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お百度詣り  ( その6 )

2009-08-06 08:10:41 | ある被爆者の 記憶
 まず、御家老様は、竈(かまど)の煙さえ立ててはならぬと町中にお触れをお出しになったそうじゃ。それは、官軍が、戦の合図の狼煙と間違えて発砲してきたりせぬための用心と、もう一つは、火の不始末で、大事の時に、火事を出したりせぬことが、ねらいじゃったそうな。
 それから、御家中の侍たちには、鎧はもちろん、陣羽織までも着用一切罷りならぬと、御沙汰なされ、町中の取締まりにまで、お役人は、熨斗目(のしめ)麻裃 を着用させ、麻裏の草履ばきをお命じになったと言いますがな。熨斗目麻裃草履ばきというのは、侍の礼服なんでおます。これでは、血気に逸る若侍たちでも、拍子抜けして、軽はずみが出来ませなんだといな。お侍衆がこうなれば、町人たちも大八車を引っ張って、引っ越し騒ぎもなりませぬ。
 こうしておいて、御家老様はな、御自身もとより、熨斗目麻裃のお姿で、お供はたった二人召し連れなされて、騎馬で官軍陣営に向かわれなすったそうな。そのたった二人のお供の一人に、爺様が選ばれなさったというわけじゃ。」
 このあたりまで、話し込んでくる時の祖母の顔は、孫に話しているというより、自分の夢を追っているように若やいだ。そしてこのくだりで、かならずといってよいほどに、
 「 爺様々々というが、爺様が十九の時だもの、爺様にはちがいないが、その頃はおじいさんじゃない、町でも西の大関と評判の美少年じゃったそうな。」
と、つけ加えて、嬉しそうに笑った。
 この祖母は、祖父の後妻にきた人だから、町で西の大関という評判の美少年の頃も知らないし、実際、祖父と、十一歳も違っていたのである。もちろん、この話を聞かされていた頃の私は、そんなことまで計算しなかった。
 だが、不思議に、お百度詣りの石畳の上では、しきりと、この祖母の顔が浮かんだし、祖母の顔が見え隠れするのにつれて、見たこともない祖父が、見えるような気がしてならなかったのである。
 どうやら、その原因は、人目を避けて、このお宮の鳥居をくぐり、桜門を入る時に、そうしなければならないように、桜門の左の格子の中の、祖父の手になるという右大臣の像を、弟のみずほがしげ ゝと懐中電灯で照らしだすことにあるらしかった。
 だから、見たこともない祖父の顔が、右大臣の顔と一つであったり、またその顔が、麻裃をつけて馬に跨ったまま、私たちのお百度詣りの行く手に立ちはだかったり、またある時は、例の岩山に逃げる賊を追って、明治時代の警察官の厳めしい官服姿の祖父に早変わりしたりした。
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