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お百度詣り  ( その5 )

2009-08-06 08:11:11 | ある被爆者の 記憶
 「 爺さまはな。そんな武芸の達人じゃったが、また一方では、優しいお人でな、人形づくりも名人といわれなさった。その一つがな、春日社の鳥居をくぐってから、暫く行くと、桜門があるやろ、あの桜門の左右に、左大臣、右大臣が入ってござらっしゃるのを知っておいでか。その右大臣、顔の赤い方やない。白い方でっせ。あの白い方は、爺さまが作りなはった。今度、お詣りする時は、よう拝みなはれや。」
 強くて、優しい、こうした両面を備えることが、人格の完全さとして、祖母は、孫たちに語ったのにちがいないが、孫たちはもっと一方的で、この人形づくりの名人の話は、私を嬉しがらせはしなかった。それどころか、私はふと、人形をつくる祖父を想像して、何か祖父に暗い歴史の影があるように思えて、その話になると、なんとか早く打ち切らせて、強くて勇ましい話に切り換えて貰うように、祖母にせがんだ。そして切り換えるにふさわしい話というのが、私に決まっていたし、祖母も、いつの間にか、おかしな子だと笑いながら、そんならといって、話し出す話というのが、決まっていた。
 「 西園寺公望といいなさる、それはそれは若くて綺麗なお公家さんがの、薩摩、長州の軍隊に守られて、山陰道鎮撫使といいなはってな、天朝様の御名代として、京都を発って、いの一番に、この篠山入りなさったんじゃ。
 ところがの、福住(篠山に至る四里の地点)まで来て、勝ちに乗じた薩長の軍隊がぴたりと動かんのじゃて。それはの、篠山藩の出かたを窺う作戦じゃったそうな。というのはの、篠山のお殿様の青山さんは、三河以来の徳川さんの大事な家来筋じゃ、そいでの、篠山藩は、この官軍を相手に一戦交えるか、それとも素直に城明け渡すか、会津の白虎隊のこと知っとっなはるやろ、ちょうどあの会津の戦が起こるより前のことじゃから、官軍の方も大事をとったやろうし、御家中の方たちも、どうしたものかと迷いなはったということじゃ。それにその時、お殿様は、鳥羽伏見の敗け戦で、将軍様といっしょに、江戸に移っておしまいなされて、篠山にはおいでにならず、天地がひっくり返るような騒ぎは、この静かな篠山が、あとにも先にも、あの時ばかりであったと言いますがな。
 でものう、この篠山にも、偉いお人がおいでなはったもので、篠山の大石内蔵助じゃと人々は言うたそうな。首席家老の吉原善右衛門利恒というお方での。爺様も直接には、この方の命令によって動きなはったとじゃ。
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