嬉しかったことは・・・
とうちゃんの実家で初めて、義母に感謝されたこと。初めてという表現は不適切にも思えるけれど、自分の印象としては初めてみたいな感覚。それからもっと言えば、とうちゃんに、親たちのことで感謝されたのが初めて。自分の意見も聞いてもらえたのが初めて。(これはあくまでワタシの印象)
義母には嫁としての注意を受けることがいろいろと多かった。今は相当ボケも入っているから(ワタシのこと)色々言われたって、忘れることもできるだろうけれど・・・。若かったころに言われたことのいちいちは本当に応えた。今でも恨みごとはいくつだって言えるだろう。
二十数年間、自分の意識の上では自分の意見を言ったことがなかった。しかし数年前、ワタシは結婚以来、初めて義母に口答えをしたのだった。
小さいころから、上には「 はい。」で育ってきたから、自分の意見は義母にも、じっちゃんにも言ったことがない。だけど成り行き上言ってしまった。ずっと呑み込んで我慢をしてきた、その限界点が来たのだと思う。
そのような状況を作ったとうちゃんにはもっと頭にきて、当時は本気で離婚をしようと思っていた。
精神的な病気に罹ったのは、もちろん自分のせいだけれど、この家系の難しさだって、とうちゃんの星の重さだって多いに関係しているのだということがわかったから、本当にこの家にいるのが馬鹿馬鹿しくてやってられなくなったんだ。子ども達のこともめちゃくちゃな感じになっていたしね。
( どんな思いでいろんな病気を越えてきたと思っているのよっ!)
実家でも、小さいころから悪い子。嫁ぎ先でも、直接言われたことはないけれど、まあおそらく悪い嫁。ワタシは人生誰にも認められることなく、ひとりぼっちで生きてきたようなところがある。
とうちゃんには、ひねくれていると言われ、まあ そう言えなくもないけれど・・・。
家族みんなに支えられ、期待され、大事にされ、ある意味家族が犠牲になって、皆に支えられて生きてきたとうちゃんに、ワタシの一人ぼっちの苦しさや寂しさなんてわかるわけがないじゃないか!ってずっと思っていた。
実家の姉さんが初めて「 帰ってきていいよ。」と言ってくれたのは、いつだったかな?あのいちょう街にいた、夏の頃だったかな?
あの時は嬉しかったな~。( ワタシにも帰れる場所があるんだ~。)
母「 結婚してもええが、ワシの目の黒いうちは、離婚してくれるな。離婚するんじゃったら結婚せんとってくれえ。」
母のその一言でずっと耐えてきた結婚生活だったからね。
親に心配だけはかけない。というのがワタシの信条だった。
実家が大金持ちで、出戻っても死ぬまでご飯を食べることが可能で、両親が子どもを甘やかす家だったら、とっくの昔に成田離婚して実家にもどっていたと思う。
楽しかったのは、大学生活をしていた四年間だけ。あとはずっと苦しい生活だった。
< 占いを学ぶほどに・・・ >
離婚しなかったのは、子ども達のため。あとは、家族間の、星と星の関係、からくりが少しづつ理解できるようになったから、
( そうだったのか~。)
例えば、自分が持っていない星って、年をって、死ぬ間際位までに、世間様で苦労して、何とか理解可能になってくるとは思うけれど、長く生きなくては理解不能なのだとわかった。相手の気持ちが理解できませんと書いてある人(占いにはそのようなことが書いてある)に、ワタシはこんなに苦しいんです。って訴えたところで理解してもらうことは不可能に近い。
夫婦のいずれかが、”相手の事理解できませんよ。”なんていう組み合わせは世の中にいくらだってある。”相手にわかってもらおう”なんていうのが土台無理な話なんだ。
学ぶほどに家族の各々が持っている星の重さ加減が理解可能になってきた。これは、こういうことが相当苦しいだろうな~。とかこういうことが大変だろうな~。とか。
自分の持っている星との関係がわかってくると、まあ お互い様って感じになってきた。
何より、自分自身の限界点が来た時には、例え家族には理解されなくとも、どこからかお助けマン(まれびと)がやってきて力をかしてくれるようになったから、そう言った意味でワタシはひとりぼっちじゃあない。
+++++ +++++
今思えば、二十年なんてあっという間だった。何よりじっちゃん達は年をとった。じっちゃんはかわいい赤ん坊みたいだし、それを介護する義母とおばちゃんは、姉妹喧嘩をしながらもまるで幼稚園時にもどったみたいな無邪気さ、あどけなさだ。表現は、ずれていると思うけれど、感情むきだしの、素のままの、どこかおままごとをみているようなのような様子。せ・い・か・つ。
あれだけ病院用のベットは嫌だと言い張っていたじっちゃんは、そのベットを上下させて遊んでいるらしい。
少しはヘルパーさんに入って頂いて、義母たちにも楽をしてもらいたいとワタシ達夫婦は思っているのだけれど、義母は他人に家の中に入ってほしくないらしい。汚いお部屋を見られるのが嫌なのかもしれない。義母は大層綺麗好きだ。
ワタシは、ただお掃除をしてベットの入れ替えを手伝っただけ。随分と喜んでもらえたことがとても嬉しい。やっと嫁として認められたようなそんな気持ち。
お掃除くらいやれます、おかあさん。( 自分ち 汚いけど。)
お料理も 次回は おさかなのお料理挑戦してみます、おかあさん。
待っていてください。
さっ 今日もいきま~~す。あやかし@。
この日、誰かの役にたっている、喜んでもらえている、そのことが人を動かしているんだということにあらためて気づかされた。
「 ありがとう! 」
とうちゃんの実家で初めて、義母に感謝されたこと。初めてという表現は不適切にも思えるけれど、自分の印象としては初めてみたいな感覚。それからもっと言えば、とうちゃんに、親たちのことで感謝されたのが初めて。自分の意見も聞いてもらえたのが初めて。(これはあくまでワタシの印象)
義母には嫁としての注意を受けることがいろいろと多かった。今は相当ボケも入っているから(ワタシのこと)色々言われたって、忘れることもできるだろうけれど・・・。若かったころに言われたことのいちいちは本当に応えた。今でも恨みごとはいくつだって言えるだろう。
二十数年間、自分の意識の上では自分の意見を言ったことがなかった。しかし数年前、ワタシは結婚以来、初めて義母に口答えをしたのだった。
小さいころから、上には「 はい。」で育ってきたから、自分の意見は義母にも、じっちゃんにも言ったことがない。だけど成り行き上言ってしまった。ずっと呑み込んで我慢をしてきた、その限界点が来たのだと思う。
そのような状況を作ったとうちゃんにはもっと頭にきて、当時は本気で離婚をしようと思っていた。
精神的な病気に罹ったのは、もちろん自分のせいだけれど、この家系の難しさだって、とうちゃんの星の重さだって多いに関係しているのだということがわかったから、本当にこの家にいるのが馬鹿馬鹿しくてやってられなくなったんだ。子ども達のこともめちゃくちゃな感じになっていたしね。
( どんな思いでいろんな病気を越えてきたと思っているのよっ!)
実家でも、小さいころから悪い子。嫁ぎ先でも、直接言われたことはないけれど、まあおそらく悪い嫁。ワタシは人生誰にも認められることなく、ひとりぼっちで生きてきたようなところがある。
とうちゃんには、ひねくれていると言われ、まあ そう言えなくもないけれど・・・。
家族みんなに支えられ、期待され、大事にされ、ある意味家族が犠牲になって、皆に支えられて生きてきたとうちゃんに、ワタシの一人ぼっちの苦しさや寂しさなんてわかるわけがないじゃないか!ってずっと思っていた。
実家の姉さんが初めて「 帰ってきていいよ。」と言ってくれたのは、いつだったかな?あのいちょう街にいた、夏の頃だったかな?
あの時は嬉しかったな~。( ワタシにも帰れる場所があるんだ~。)
母「 結婚してもええが、ワシの目の黒いうちは、離婚してくれるな。離婚するんじゃったら結婚せんとってくれえ。」
母のその一言でずっと耐えてきた結婚生活だったからね。
親に心配だけはかけない。というのがワタシの信条だった。
実家が大金持ちで、出戻っても死ぬまでご飯を食べることが可能で、両親が子どもを甘やかす家だったら、とっくの昔に成田離婚して実家にもどっていたと思う。
楽しかったのは、大学生活をしていた四年間だけ。あとはずっと苦しい生活だった。
< 占いを学ぶほどに・・・ >
離婚しなかったのは、子ども達のため。あとは、家族間の、星と星の関係、からくりが少しづつ理解できるようになったから、
( そうだったのか~。)
例えば、自分が持っていない星って、年をって、死ぬ間際位までに、世間様で苦労して、何とか理解可能になってくるとは思うけれど、長く生きなくては理解不能なのだとわかった。相手の気持ちが理解できませんと書いてある人(占いにはそのようなことが書いてある)に、ワタシはこんなに苦しいんです。って訴えたところで理解してもらうことは不可能に近い。
夫婦のいずれかが、”相手の事理解できませんよ。”なんていう組み合わせは世の中にいくらだってある。”相手にわかってもらおう”なんていうのが土台無理な話なんだ。
学ぶほどに家族の各々が持っている星の重さ加減が理解可能になってきた。これは、こういうことが相当苦しいだろうな~。とかこういうことが大変だろうな~。とか。
自分の持っている星との関係がわかってくると、まあ お互い様って感じになってきた。
何より、自分自身の限界点が来た時には、例え家族には理解されなくとも、どこからかお助けマン(まれびと)がやってきて力をかしてくれるようになったから、そう言った意味でワタシはひとりぼっちじゃあない。
+++++ +++++
今思えば、二十年なんてあっという間だった。何よりじっちゃん達は年をとった。じっちゃんはかわいい赤ん坊みたいだし、それを介護する義母とおばちゃんは、姉妹喧嘩をしながらもまるで幼稚園時にもどったみたいな無邪気さ、あどけなさだ。表現は、ずれていると思うけれど、感情むきだしの、素のままの、どこかおままごとをみているようなのような様子。せ・い・か・つ。
あれだけ病院用のベットは嫌だと言い張っていたじっちゃんは、そのベットを上下させて遊んでいるらしい。
少しはヘルパーさんに入って頂いて、義母たちにも楽をしてもらいたいとワタシ達夫婦は思っているのだけれど、義母は他人に家の中に入ってほしくないらしい。汚いお部屋を見られるのが嫌なのかもしれない。義母は大層綺麗好きだ。
ワタシは、ただお掃除をしてベットの入れ替えを手伝っただけ。随分と喜んでもらえたことがとても嬉しい。やっと嫁として認められたようなそんな気持ち。
お掃除くらいやれます、おかあさん。( 自分ち 汚いけど。)
お料理も 次回は おさかなのお料理挑戦してみます、おかあさん。
待っていてください。
さっ 今日もいきま~~す。あやかし@。
この日、誰かの役にたっている、喜んでもらえている、そのことが人を動かしているんだということにあらためて気づかされた。
「 ありがとう! 」