最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

決めたのは、ぺこちゃんでした。

2020-07-13 02:16:16 | 日記
こんな結末ってあり得ない、でも決定的な事実を知らされることになりました。

日曜日の午後、ペットショップへ、いそいそとでかけました。
その時点では、好機逃がすな、それのみでした。悔やまないためにも。
この頃は、ペットといってもローンまで組まれています。私は、カードでもなく、
新札を数十枚揃えて、必要と思われるその他のもののリストも忘れずに出向きました。

はやる気持ちを抑えながら、いつもいる真ん中の後列のあの子の場所を一目散にめがけて駆け寄りました。
いません、
ひょっとして、私たちが来るのを事前予約していたっけ?裏で最後のおめかし中?とそんな吞気なことを考えていました。

あのお、とショップのおねえさんに尋ねてみました。
あの3か月のミニチュアダックスフンド、家族に加えたいのですが、どこに?
お姉さんたちの間であわてた雰囲気が。前回も、前々回もスタッフがおにいさんだったので、連絡不行き届きなのかな?と、その時はまだそれくらいしか感じられませんでした。

しばらく待っていると、店長らしき方が出ていらっしゃいました。
実は・・・

簡単にお話申し上げますと、
今朝、痙攣が起こり、急遽、動物病院へ。
はじめての発作だったのに、打つ手がなかった。お昼過ぎに逝きました。

先日会いに行ったときに、何気なく、対応してくれた男子店員さんに、尋ねたことを思い出しました。
「前のわんこのときの獣医さんが、もうお亡くなりになって、知り合いの獣医さんもいらっしゃらないから、こちらで、ご紹介いただけますか?」と。
この犬種は、純血統の悲しさで、ごくまれに、てんかん発作を起こすことがあるのを、昔、目の当たりにしたことがあったので。老婆心のつもりでした。
そのあと、ペコちゃんの寿命、私の寿命、となかなか思い切れずに悩んだ結果の今日は、家族に迎えるための日、のはずでした。

こんなことってあるものでしょうか。。。
短い縁ではありましたが、この3週間ほど、私の生活に活気をくれ、いろいろ楽しい想像をさせてくれたぺこちゃん。
これが結果としては、決定に至った事実です。

心が空虚になっていたのもやっと少し落ち着きました。
あんなに悩みの種になったのも、何か不思議な理もあったのかも、とも思います。

今後は、やはり、よその散歩中のわんこちゃんたちを見る楽しみだけにとどめておくことも決意しました。
お騒がせしましたが、以上です。

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歩きながら考える、はたまた、考えた後で走り出す、あるいは???

2020-07-11 22:35:24 | 日記


「ものの見方について」笠信太郎著です。
この本が最初に刊行されたのは、敗戦後5年を経た時点でした。私は生まれていません。
筆者は、朝日新聞のヨーロッパ特派員として異郷の地で、日本と日本の将来について悶々として考え続け、活路を探し求めていたのでした。

冒頭にあの有名なくだり、「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」がありますね。日本人は??それぞれの国民の「ものの見方」「考え方」を社会、経済、政治、文化、歴史の各方面と結びつけながら解き明かし、その中から日本の学ぶべきものを鋭く指摘しています。
高校1年生の時、この本に触れ、未熟なりに、考えさせられました。その後、改訂されたのを求めたのは、今世紀に入ってからでしょうか。

そしてこの2日ほどで、ほぼ忘れかかっていたこの本を再読しました。
現代に、この国民論が合うかどうか、は、疑問の余地もあります。国家間の相違より、個人の個性の違いといったほうが、すっきりするとまで言えるかもしれません。ただ、個人も背景があってこそ、私たちが日本人だからこそ、たとえば、コロナ禍もスムーズに乗り終えられた、なんてめでたく拍手喝采、自画自賛していたのもつかの間、最近はそうもいっておれないひっ迫した事態が繰り広げられています。
将来この国を背負うはずの若者が自分を、自分の身近な周囲を大切にするという基本的最低ラインを死守できない、そんな風潮に、日本の国民性もへったくれもない、と虚しくなる人も少なくないでしょう。

もう時代遅れかもしれませんが、この本は色々考えさせてくれました。
ここに記すには、少し頭の整理が必要なので、いずれまた読了感を残したいと思います。
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決心がつきません。決めるは、私なのですが。

2020-07-10 20:50:21 | 日記
結婚して43年になります。
最初の7年間は、概ねつれあいと二人暮らしでした。
その後、こどもを授かって、18年間、親子3人の暮らしはあっという間に過ぎました。
ムスコが大学入学で一人住まいを始めてから社会に出るまでは、構成員三人のつもりでした。社会人になり、ほぼ間をおかずに、婚約、結婚、そこから今までの10年は名実ともに二人暮らしです。
こどもを迎える前にセキセイインコを育てていました。つがいだったのが、総勢38羽の大所帯になって、大変とも思わず、やがて、ムスコの成長時には次々寿命を全うしました。最初のつがいが最年長で10年は家族でいてくれました。
縁があって、ムスコ年長児から高3まで13年間、柴犬「ころ」が我が家の一員として楽しい思い出を有り余るほど残してくれました。
高3の秋、澄み切った空の下、天国に旅立った「ころ」の喪失感で、ムスコは、一日学校を欠席しました。当時の担任だった先生が、ムスコにお悔やみを言って下さったのを覚えています。今日届いた同窓会誌で、なんと、その先生が、現在、母校の校長先生だとようやく知った私です。ムスコもきっと知らないのでは(笑)
当時13年間健康に生きたのは、十分長生きだと獣医さんにも慰められました。あまり苦しまずに私の膝の上で最後の一息を大きく吐いて旅立ちました。
その後二人家族になって、喪失感は埋められるかと懸念がありましたが、二人とも50代と40代で、仕事に追われて猛進している時期だったので、寂しさどころではありませんでした。

ころが逝って20年になります。
名実ともに二人暮らしは、10年を超しました。

ここへきて、もう一度わんこを家族に迎えたい、と、出会いを求めて半年以上になります。
週に一度は、ペット屋さんとか、保護犬の催しとか、出向いてきました。
なかなかころに代わるわんこに出会いませんでした。

ころは、実は二代目ころです。つれあいが小さいときから中学生くらいまで、飼っていたのもころだったので。
次もころ、にしたい、と何となく、名前に応じたわんこ探しをしていたのかもしれません。

先日、もしかして、これが出合い?といえるわんこに会いました。
つれあいは、名前をすぐにつけました。ころ、ではなくて、ぺこちゃんです。

ミニチュアダックスフンド イエローです。
決定的な決め手は、ムスコの誕生日と同じ日生まれだったこと。ただし令和2年、まだ3ヶ月の仔犬です。
だっこもさせてもらい、ほぼ決めた思いで帰宅。

それから煩悶が始まりました。
つれあい曰く、これからのわんこは15年間は生きるから、その間にボクは逝く、ぺこちゃんの最期を看取ってからキミが逝くのは妥当だ。

60代それも後半世代は女性の平均寿命が長いから、わんこを飼っても大丈夫、そんなところまで考えていませんでした。
室内犬ですので、散歩の心配はあんまりしていませんが、万一、私のあとまで生きながらえることになったら・・・
えいままよ、それはだれもわからない、まずは、今が楽しければいいのだ、と思い込もうとしながら、どうにもそれ以上前へ進めない自分がここにおります。




ちなみにころの法事は、一回忌、三回忌、七回忌までお勤めをあげてもらいました。それで永代供養してもらい、山の中の慰霊塔に眠っています。
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無断借用したつもりはありませんでしたが、

2020-07-06 01:15:35 | 日記
私のPCのメールボックスに、昨日載せていただいたからすみの会社から、
早速、購入を促すDMが入っていました。
普段は、その手のメールはジャンクメール扱いをするところですが、
今回は、開いて読んでみました。
高級カラスミの購入案内です。料理の仕方なども説明されています。
ちなみに、昨日のは、80グラムでしたっけ、、、
お高いとは思っていましたが、さもあリなん、80g 7,000円でございました。
能登柚餅子は大の丸柚餅子が3,000円です。
量だけの比較をすれば、およそ10倍くらいカラスミは高価ですね。

どうやら、自分が撮影したもの以外の写真を貼るときは、その旨お断りして
著作権に敬意を表さないといけないようです。
もともとそんな技量もないですが、以後、気をつけませんと。

九州で繰り広げられた豪雨の惨状は、言葉になりません。
多くの罹災者の方々が、眠れぬ夜をお過ごしのことと、心よりお見舞い申し上げます。
最後まで力の限り頑張ったのに、虚しくも洪水の前に尊いお命を失くされた方々とご遺族に対し、
衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

新しい週が始まりますが、どうぞ、これ以上、天の猛威がありませんように。
みなさまのご自愛お祈り申し上げます。
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似て非なるもの

2020-07-04 13:24:07 | 日記
ずっと、体調不良で、気になるスズメちゃんへの給餌(砕米を配るだけ)も思うに任せず、
陋屋に行けない日が続いていました。
やっと、この手でスズメちゃんに声を掛けながら(といっても野生のスズメは、頭上はるか上の、松の木や、モミジの木、モチの木などの枝々にいます。)お米を撒いてきました。
屋内に入って、さてティーターム、紅茶かコーヒー、そしてその中でもエスプレッソにするか、ドリップにするか、リーフにするか、ティーバッグでいくか、などは容易な選択。
ただ、迂闊にも自宅からお菓子を持参するのを忘れていました。
冷蔵庫にはいつものヂョコレート、でもさすがに歯のことを考えて今は自粛。
そうだ、冷凍庫にハーゲンダッツがいくつかあったんだっけ。コーヒーの上に乗せようっと。
でも思い違いだったようです。自宅冷蔵庫にはアイスクリームは欠かせません。
あったのは、冷凍された得体の知れない黒い箱に入った何か。。。

続きは後ほどまた記します。

で、その続きになります。
思わせぶりに、演出効果ねらいではありません。
一日よく降りました。南九州では、豪雨の被害が進行中だそうです。
こんな吞気な戯言を書き続けていていいのか、心も曇天から雨降りに。
気を取り直して続けます。

黒い箱の正体は如何に?

製造は年に一度、完成まで半年。能登が生んだ飴色の宝石「丸柚餅子」ゆべしです。

昨年でしたか、家人が仲間と能登への旅のお土産に、丸柚餅子一箱一個入りをくれました。
全部は一度に食べられないと、最初に切った残り、全体の80%は、冷凍保存。
そのまま今日まで忘れられていたのです。


わが家のティータイムは一躍豪勢になりました。
ゆべしにナイフを入れながら、この感触、どこかで同じのを味わったけれど、何だったっけ。。。
気になりましたが、いつものことで、まず、そんな記憶が蘇るはずはありません。
それと別個に、突然別の記憶回路が日の目を見ました。
それは、このティーカップから突然に。
これを使うのは久しぶり、数年ぶりだと思いますが、
雨の土曜日、せめて、花屋さんのお店先を明るくさせる百合が一面にあるこのティーカップで、
との思い付きから出してきました。食器戸棚の奥の列からです。
そして、ティーポットから出る湯気の景色は今日は暑くないなあ、など思っているうち、そうだ、
このティーカップ、11年前に神戸は、北野ホテル近くの喫茶店、にしむら珈琲店で同じのに出会ったんだ、とひょっこり思いだしたのです。
その日、世界一おいしい朝食を食べに、宿泊先のオークラからわざわざ出向いた北野ホテル。惜しくも人数制限で入れませんでした。
そして近くで見つけた創業120年?のにしむらに入りました。
出会ったのがこのティーカップだったというわけです。
陋屋の土蔵の奥で見つけた5人分。だいぶ古いとは思っていたので、にしむらさんで伺うと、やはり数十年前から使っているもう絶版のナルミ製でした。
緑の縁取りのソーサーが何とも今風ではなくて、以来お気に入りとはいえ、こうして思いださないと使うことがありません。

自宅に戻って、
やっと、もう一つの回路がつながりました。
よく似た感触、それは「からすみ」を切ったときのそれ。
長崎の老舗のHPから転用です。


世界三大珍味?とかいわれ、滅多に口にすることはありません。
母が健在の時、毎年新年の初釜の茶事に、懐石料理の中の八寸は、海の幸、山の幸、里の幸と三種の産物を杉の四方盆にのせて供します。
海の幸=からすみ、山の幸=栗の甘露煮、里の幸=干し柿を短冊に切ったもの(ゆべしではありません)
に決まっていました。
母なき後もお節の一段目にはからすみが入っています。
正直、そんなに美味と感じない味オンチです。

でも今日の柚餅子を切りながら、この感じ、なんだっけ、との疑問は解決しました。
似て非なるもの、それは、柚餅子とからすみでした。

個人的には、柚餅子の方が百倍は好きです。たぶん値段はからすみがうんと高いでしょう。

長々お付き合いありがとうございました。



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