ここ琵琶湖の東部、近江の穀倉地帯は、お国のために増産と、
鏡のように張られた水田には植えられたばかりの早苗がわずかな風になびいている。
なぜか、空襲警報も、警戒警報もサイレンの音をきかなかった。
いつの間にか侵入してきたB25か、B29であろう。上空で開いたのか、ひらひらとそれは沢山の白いものが
舞い降りてくる。
雪のようでもあり、花びらのようでもある。
やがてその白いものは、農家の屋根や水田に、ぴたぴたと落ちて貼りついた。もちろん野道や手元にも落ちてきた。
白い紙に日本語で、今、戦争をやめれば日本国の国民や、天皇陛下も安泰である。
皆さんは速やかに戦争をやめましょう。といったようなことが印刷してあるとのことだった。
警察から、連絡がありその紙には毒が塗ってあるかもしれない。全部残さず拾って駐在所に届けるようにとのお達しである。
大人たちは、田圃にも入って忠実に全部拾った。
あれが、紙きれでなく、爆弾だったら、新型爆弾だったらと、戦争が終わってからひそかに思った。
その紙きれが、「傳箪」(伝単)である。
「伝単」は、宣伝ビラのことであり、今で言うチラシである。
戦時下では、敵国語は使わないのでたとえば、サーチライトは、探照燈。 このチラシは、したがって、「伝単」となる。
片仮名表記の外来語は、すべて敵国の言葉だった。
ただ思い出すのは、今頃の水田を見ると、ふと「伝単」を思い出すのである。