ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

法句経から。

2011年04月28日 | 毎日、法句経。
*53番
うづたかき華堆(はな)より
かづかづの華(はな)の鬘(かざり)を
作りえん
かくのごとく
ここに生まれたるもの
ここに死すべきものの
なしとげうべき
善きことは多し

**
山と積まれた華から、数多くの花飾りを作り出すように、この世に生まれ来たって、成し遂げるべき善事は多い。

法句経から。5日目です。

2011年04月27日 | 毎日、法句経。
*50番
他人(ひと)の邪曲(よこしま)を
観るなかれ
他人(ひと)のこれを作(な)し
かれを作(な)さざるを
観るなかれ
ただおのれの
何を作(な)し
何を作(な)さざりしを
想(おも)ふべし


**
とかく、他人のすることは邪や不正が目につく、何をして、何をしてないか、常に人のことを挙げ連ねる。
それを言う前に、自分は何をして、何をして来なかったか、深く反省してみることだ。
政治家の与野党の対決に見ることが出来る。いやもっと身近なことで、想ってみよう。

フェンスから、覗く他家のツツジ。

法句経から。

2011年04月26日 | 毎日、法句経。
*49番

花びらと色と香を
そこなはず
ただ蜜味(あじ)のみをたずさへて
かの蜂のとび去るごとく
人々の住む村々に
かく仁者(ひじり)は歩めかし


花から花へ飛ぶ蜂は、花びらや、色や香を傷つけずに蜜のみ集めて飛び去る。
自分の本来の仕事は何か、寄り道して余計なことをしてしまわないことだ。
自己の本分をわきまえて、まっとうな道を歩むのが賢者だ。

人間のやることは、とかく自然に逆らって、その毒で自らを損なう。
原子力なんて、本来人間の手に負えるものではないことを知るべきだ。

法句経から

2011年04月25日 | 毎日、法句経。
*21番
精進(はげみ)こそ不死の道
放逸(おこたり)こそは死の径(みち)なり
いそしみはげむ者は
死することなく
放逸(おこたり)にふける者は
生命(いのち)ありとも
すでに死せるなり



仕事に励むことこそ、生きている価値がある。
何もしないで、ぶらぶらしているのは死の道だ。
いそしみ励む人は、死ぬことも無い。
遊びにふける人は、生きながらにして、既に死んだも同然だ。

法句経から。

2011年04月24日 | 毎日、法句経。
*5番

まこと、怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みを懐(いだ)くその日まで
ひとの世にはやみがたし
うらみなさによりてのみ
うらみはつひに消ゆるべし
こは易(かわ)らざる真理(まこと)

**

人生で人のことを怨む心があれば、どういう手段をもってしても
怨んでいる間は怨みが消えることはない。
怨みが無くなってこそ、ついにうらみは消える。
これは、変わらない真理である。

法句経から。

2011年04月23日 | 毎日、法句経。
昭和50年代の初めに神田寺の友松円諦師から受けた法句経講座から、一日一句更新します。
縦書きで、ルビが入っている。ルビは()に入れる。

*405番
弱きにも
強きにも
生命(いのち)あるものに
刀杖(つるぎ)を加へず
自らも殺さず
他(ひと)をも殺さしめず
我かかる人を
婆羅門とよばん



法句経というお経には中国に伝わったものとセイロンにダンマパダ(法句経)の名でで伝わったものがあるが、いずれも釈尊の自説で経典の中では最も古いものとされている。
セイロン伝法句経423偈から一句ずつ更新。


「強きをくじき弱きを助け」ではなく、命ある者すべてに武力で殺戮することなく、苦しみに耐えられず自らの命を絶つようなこともなく、自他の命を大切にする人を「婆羅門」(インドで最高位の僧)と呼ぶ。
世界は、今この釈尊の言葉に背いて戦争や紛争が絶えない。自爆テロ、無人機による爆撃、「命」を何と思っているのか。
正義の名のもとに武力で裁く強者と、弱者を統べる独裁者との激突に弱者の多くの命が犠牲になる。
誰の命も失わない平和の希求こそ、釈尊の理想であった。