ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

釘を打つ・・、釘をさす。

2012年07月11日 | 一行法師

久しぶりに、釘を打つ作業をした。

物を掛けるのに、一、二本打ってくれと頼まれた。

以前は、釘を刺されることもあった。

出かける前だ。「調子に乗ってあまり飲まないでよ。」

「いい気になって、べらべらと余計なおしゃべりや、駄洒落言わないでよ」

ミダイが、刺してくる釘だ。

あらかじめ、念を押しておくのが「釘をさす」だ。

もう二〇年も前のことだ。

同窓会に出かけるとき、道具箱から五寸釘を一本持って会場に向かった。

同級生の友達や、元の先生が集まり盛り上がっていた。

各自近況を話すことになり、自分の番になって、いつも面白いネタで話すので期待と、拍手で壇に立った。

頭を下げ、あいさつの後、十数秒押し黙って、おもむろにポケットから、件の五寸釘を出した。

釘に注目が集まったところで、「今日は、女房から、いつものように下らない話は、しないようにと、釘を刺されて出てきましたので・・」

大いに受けた。

先生は、以後会うと「おい 釘 元気か」と尋ねられてきた。

その先生も、昨年亡くなり、今年は新盆だ。


世の中、面倒なことばかり。

2012年07月05日 | 一行法師

なんでも、物事は面倒なことでできている。

単純に、解決できれば楽なんだが。

面倒なことから、逃げてばかりいると、前に進まない。

役所の手続き、デジタル機器の初期設定。

契約、解約、その他、単純にいかない。

家族との会話だって、一筋縄にいかないものだ。

北方領土だって、沖縄だって、ロシアやアメリカとのやり取り。

本当に面倒でござんすよ。


半夏生のころ。

2012年07月02日 | 一行法師

         半夏生 母を偲びて 細工貼り

夏至から数えて、十一日目の七月二日が例年の「半夏生」(はんげしょう)であるが、今年は閏年で七月一日が半夏生である。

毎年は七月二日で、誕生日の前日である。

母は「さいこん貼り」と称して、障子の小さな穴や破れを、桜の花や、花びらに切り紙をして、器用に綺麗に貼っていたのを思い出す。

「さいこん貼り」とは、辞書で引いても出てこない。

どうやら、「細工貼り」のなまったものと思われる。

自分も、半夏生の昨日、三か所ほどの障子の穴を、花の模様に障子紙を切り、細工して塞いでみた。

母ほどではないが、思ったより、うまく貼れた。

別に、半夏生の日にと限ったことではないが、たまたま亡母のことを思い出し、さいこん貼りをして見たまでだ。

          片白草 ほんにお前は 半化粧

何年か前に、知人から半夏生草(はんげしょうそう)を頂いたことがある。

その後、近くの農家の生け垣の下から、覗いているのを見かけたことがある。ちょうど今頃であった。

ドクダミ科の多年草で、半夏生のころ、茎の先の方の葉が、二、三枚半分ほどが、白く色が変わる。

別名、片白草、三白草ともいう。草全体が、臭気がするので切り花にして飾れない。

淡緑色の葉なのに、半分白く化粧したようになるのでハンゲショウソウと言われたりするとも。

やはり、このころに生じる烏柄杓「カラスビシャク」(サトイモ科)も別名「半夏」。


今日は、いいスタート。

2012年07月01日 | 一行法師
時は、ゆっくり動いて、自分のペースで進んだ。
かねてより、気にかかっていたことに、着手できた。
ほんの些細なことが、気が向かないとやる気にならない。
気分屋だ。
故に、物事が滞る。
ちょっとしたきっかけが、あってやり始めると、すんなりと出来てしまう。
そんな一日であった。
やれば出来る。


光陰矢のごとし

2012年06月30日 | 一行法師

今年も半分過ぎた。

月日の経つのが早いと感じるか。

いや、時はゆっくり動いていると、思うか。

動いているから、いいのだ。

時間が、ぱたっと止まってしまったら、どうなる。

その瞬間、「開いた口は、ふさがらず」「あげた手は、下せず」。

前にも進めず、後ろにも戻れず。

弓を離れた矢は、空中で静止している。

時間が止まるということは、こう言うことだ。

六月三〇日で、時が止まったら、七月一日は来ない。

幸せの絶頂期にある人は、このままずっといたい。

人生の奈落の底にいる人は、この悪夢から覚めたい。

しかし、幸せであろうと、不幸であろうと、後にも先にも動かない。

さあ、あなたはどうしますか。

いや、どうにもならない。

神様、どうか、再び時をススメテください。

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パソコンが、フリーズしました。

マウスを動かしても、ポインターが、動かない。

強制終了するか、しばらく待つか。

やがて、ピ・・と音がして、ポインターの矢印が動き出しました。


やはり、一行でも毎日 更新しないとダメ。

2012年06月25日 | 一行法師

忙しくても、毎日一行でいいから亢進症と更新しようと、一休禅師と西行法師のコラボで「一行法師」なるカテゴリーを設けたが、一行どころか、一字も記事のない日が続く。

ついに、アクセスがゼロの日が、二日も。

お店に閑古鳥が鳴いて、商売なら大変なことに。

真夜中に、懺悔の記事を書く破目になった。

休場するか、一行書くか。迫られている。

ま、いいか。

明日という日がないじゃなし。  お疲れ様。

おやすみなさい。


吉天は、大人の対応が出来ない。

2012年05月26日 | 一行法師

何かあったとき、意地を張らないで、「あ、すみません」と、さらりと受けて流すような大人の対応が出来ないと、かなり危険な状況にさらされる。

渋谷駅のエスカレーターで、肩が触れた、ぶつかったで、追いぬいてトラブルになり、刃物で刺された最近の事件。

加害者は、トラブルを想定して護身用に刃物を持ち歩いていたのではないか。

「おっと!来たか。」と、日頃鞄に忍ばせている凶器を使う絶好の好機だったのかもしれない。

まあ、こんな修羅場でなくても、日常に相手の出方で、つい言葉が荒くなり自分を見失う。

売られたケンカは買った方が負けと、肝に銘じて、その場は引いてやり過ごす度量が必要だ。

正面衝突を避ける「大人の対応」は、爺になるほどできなくなる。

若ければ「若気の至り」で通すこともあろうが。

頑固爺いは、始末に悪いと言われるのが落ちだ。

「大人の対応」が出来ないと、結果的に損をする。

信念をもって、自分を通すのは、悪いことではない。

しかし、年をとれば、物事を柔軟に通す手練手管を身につけたい。

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そんなこたぁー、吉天には出来ない相談だ。

「人間だもの」。


東日本大震災1周年の今日。

2012年03月11日 | 一行法師

311246.

3月11日。午後2時46分。日本全国で黙祷。

国立劇場で、追悼式。天皇陛下ご病気ご療養中にもかかわらず、おしてのご出席。

お言葉を述べられる。

三県の遺族の代表の方々の言葉に涙する。

正座してテレビを見る。

先の太平洋戦争終結の八月一五日、昭和天皇のラジオでの詔勅以来のような気がする。

一面焼け野原の東京。日本一体となっての復興。東京オリンピックの時には、戦前の日本を上まわる復興と成長。

瓦礫の広がる津波被害の東北沿岸も、必ず、遠からず旧に倍する復興と新しい東北の時代がやって来るものと信じる。

今日は、昨日では無い。明日と言う未来にかけて、日本中力を合わせて前進。

被災を免れた他府県の人たちも決して他人事のように傍観してはならない。

ナマズの住む日本列島、いつどこで大地震が起こるか分からない。

現在の科学でもってしても、予知不能であり何パーセントの確率で何年以内とか、おおよそ漠たるものである。

防災の心構えと、何処で何が起きようとも、お互いわが事としての、助け合いの精神と、その実行力であろう。

一年間で、「絆」と言う言葉もすっかり使い古された感がある。

口先では無い「絆」、何が出来るか考えて見よう。

逆に、被災者の方々からの言葉や、困難を乗り切ろうとする努力、生きる力の尊さを、教えられる、この頃である。


新聞の大見出し、ビンラディン容疑者殺害

2011年05月03日 | 一行法師
歴史年表の中の大事件に囲まれて生きている。
毎日、歴史が刻まれるなかで、歴史の片隅にも入らない一人の人物、つまり吾。
年表に記されるような大事件が、容赦なく起こる昨今、その狭間で不思議に生きている。
歴史に残るような偉大な人間にもなれないし、大悪党にもなれない。
これから100年たって歴史上から抹殺されることも無い。
ただの団子虫だから。よかったね。
そうだよ、君は絶滅危惧種の「お人よし属」。


恥ずかしがりやの、お月さま。

2010年09月22日 | 一行法師
名月と言うので、表に出てみた。
見上げると雲間から少し顔だして、また雲に隠れる。
今宵の月は、恥じらいがちで、昔の乙女のようだ。
今の乙女は、人前に堂々と顔だしてひるむこと無し。だ。
現代っ子は、月ではなく、真夏の太陽のように輝いている。

月とか虫とか、感傷的なのが秋。
感傷に浸って居られないのが昨今。
国際問題、政治経済、社会の問題、そして爺問題。

昔の爺は、ご隠居さんで悠然としていたように思う。
今、自分が爺の年になって、(昔と)何か違うなと思う。

腰から煙草入れをだして、きざみタバコをキセルに詰め、火鉢の炭に近づけ吸って火をつけたのを、うまそうにゆっくり吸うと煙管の先がぽうと赤くなる。
くったくのない、憩いのひと時を生きていた。

そういう爺さんになれない時代だ。
月を愛でる情緒は、形式だけ残ったが。