ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

お酉様

2006年11月16日 | まち歩き

駅のコンコース、うしろを歩いてくる二、三人の若い女性の会話、聞くともなしに耳に入ってくる。

ムカデ買うんでしょ」 「え、何 ムカデって」 「ほら お酉様行って皆かついで帰ってくる あ・れ・よ」

「あれって、熊手のこといってるのね。ムカデは足いっぱいある毒虫ジャン。」

今日は、二の酉。 百足(ムカデ)でも、八手(やつで)でもご随意にどうぞ。

お隣の玄関先に、今ちょうど八手の白いまるっこい花が咲いている。  「カッワイイ」 

ホホホのほ だい。 てやんでぃ。べらぼうめ!


話の接ぎ穂

2006年11月11日 | まち歩き

Mと言うお店の店員さんは、お客の対応がうまい。

お客の気持ちをそらさないようにして、お話をころがしてゆく。

途切れることなく話の接ぎ穂を挿しかけながら、会話力で販売を伸ばしている。

日常会話にも参考になる。ぷつんと話が途絶えて気まずい思いの沈黙が続くと、いたたまれなく去るしかない。

テレビのバラエティの司会ように、笑いを取らなくてもよいから会話のキャッチボールが出来ればいい。

聞き上手は話し上手、コミニュケーションが途絶えると、宣戦布告のようなもの。

沈黙は禁 


めだか・命

2006年09月01日 | まち歩き

ものすごく感動した。小さな命。

昨日 天神様の奥様から、めだかの子を見せていただいた。

奥様は、茶道や華道の先生で、さすが夏らしい 「しつらい」で硝子鉢に珊瑚や藻とともに、メダカの稚魚を飼っておられる。生まれて一日ほどのメダカは、誠に小さく一ミリ余、動いていないと水中のごみに過ぎないほど。

それが動き回って、一匹、一匹が命を得て無心に泳いでいる。

じいっと眺めていると、自分もその中の一匹になったような不思議な気分になる。 この小さい命、どこから来たのか。透き通るような微塵のボデイに もう黒目だけは しっかり確認できる。

少し大きくなって、ジュニアのメダカは別の鉢に移され、さらに大きくなって、大人のメダカはお庭の蓮池に放たれる。

三センチほどが、俊敏な泳ぎで蓮の葉陰に隠れる。別に三枚におろして、刺身して食われるわけでもないのに、人影におびえてさっと身を隠す。人間って信用なら無い悪だとメダカは、そう思っているらしい。

池の蓮も、古代蓮で2千年も前の種が、芽を出し蓮になり見事な花をつけていると奥様。

大宇宙からすれば、人間も このメダカよりも ちいさなものナノだ。

メダカ、蓮、人間、みんな一瞬の命の輝きにすぎない。

生命の不思議について考える。 生きて生かされている有難みをメダカは、蓮の花に訊ねているだろうか。

 「何思う 蓮の葉陰の メダカかな」 秦 吉天子


上野池之端散策 見聞録

2006年07月28日 | まち歩き

不忍池の蓮の花、よく咲いています。上野の夏祭りで、骨董市や、植木市で賑わっています。

そんな中、弁天島にいたる参道の池の端で何やらやっている中高年の小父さん発見。

足を投げ出している小父さんの周りに、雀が二,三十羽取り囲むように集まっている。餌をやっているのだ。

普通 鳥などに餌を与える場合、ばっとばら撒いて、拾いにくるのだが、彼の小父さんの場合は、指先で、米粒ほどの餌(何なのか不明)を一羽、一羽ごとに与えている。

雀の方も何の警戒心も無く寄って行き、小父さんの指先から でついばみ、引き下がると次の雀と入れ替わり立ち代りで、次々と餌をもらっている。

二,三十羽が常に取り囲んでいる、不思議な光景。

すっかり、信頼関係の出来た人と雀。

雀の学校の先生は、むちを ふりふりチイパッパではなく、餌を指先、チイッパッパでありました。     おしまい。


病院の待合室で「爺会議」

2006年07月12日 | まち歩き

診察券受付までの10数分、先に並んで待っている4,5人の爺様たち、どう見ても、病人には見えない頑健そうな爺様たち、井戸端会議風。奥方か孫かの診察券を出しに来たのでありましょう。以下その会話の小耳コミ。

子供や、その嫁さんにはこの先、世話になりたくない。 二世帯住宅ながら離れて住んでいる。 かみさんと娘夫婦の場合、親子でごたごたがあっても、後に問題が残らない。 サザエさんのようなマスオサン状態である。

これが息子の嫁さんとなれば、嫁姑、しょせん他人で、他人行儀は、ぬぐえない。何かあれば後々まで”しこり”が残る。

退職金は住宅ローンの繰上げで無くなり、わずかの年金で生活するしかないが、受給者は増え、払い込み者は減りこの先どうなるか不安は残る。

先々も息子や嫁に迷惑も掛けたくないし、世話にもなりたくない。

たまに夫婦で旅行に行くが、ほとんど年寄りばかりで、若い人はいない。もっとも若い人は海外旅行であろう。

北欧、デンマークなどは、福祉が進んでいるので何でも福祉任せで、かえって家族の絆が薄く、介護施設に入れば、子供たちもめったに会いに来ないそうだ。それも寂しいものだ。

男は(爺は)、明るくしなやかに生きることだ。松竹梅なら竹のように。

男は幾つになっても、明るく、しなやかで、強靭でなければならない。

受けない駄洒落も、ユーモアのセンス。 江戸の粋人は、しゃれが得意であった。

これからも「爺問題」の種はつきないが、凍りつかないように陽気に明るく笑い飛ばす元気があれば、生きている間は元気印が一番で通る。

06年高齢社会白書

65歳以上、初めて2割越す 政府が06年版の「高齢社会白書」を閣議決定。

それによると65歳以上の 高齢者は05年10月1日時点で過去最高の2560万人となり、総人口に占める割合は20.04%と、初めて20%だいに。