ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

メタボリスメン

2008年07月04日 | まち歩き

サミットの特別警戒で、洞爺湖から離れた都市部でもポリスメンの数が増え、駅等は不審者がいないか見張り強化。

でもー、メタボ系のポリスが目立つ。

もちょっと、機敏に動くにはどうかと思いますよ。

不審者や、容疑者と闘う前にメタボと闘うことが先みたい。

メタボポリス。メタボリスメン。

警視庁のパトカーのわき腹の、policeの文字が大きくなってかっこいいのですが。


「親の顔が見たい」と、前の席のご夫婦が 、なげいておられましたよ。

2008年04月27日 | まち歩き

モブログで更新したF市からの、帰りの電車の車中のこと。

ある駅で、急いで降りようとした若い娘(こ)がケイタイを落としてそのまま行こうとしたとき、近くの男性が「落ちましたよ」と大声で教えました。

その娘(こ)は、引き替えしざま さっと拾って降りました。

それを見ていた前の席のご夫婦が、「済みませんとか、有難うございますとか、ひとこと礼を言って行けばよいのに」「ほんとに、親の顔が見たいよ」と嘆いておられました。

電車も先へ行って、乗ってきた若奥さん風の女性が開いて読み始めた本(絵本のような表紙の)。見るともなしに見ると題名が「育てたように子は育つ」相田みつを・命の言葉、でした。

親の親ぐらいから、日本人の育て方が間違ってきたのかな。我らにも責任の一端有りか。道徳とか言う教科あるらしいが、こちらもどの様なこと書いてあるのか疑問だよ。

まさか、「老人はいじめよ。弱者は切り捨てよ。」と教えていないと思う。

咲きそろったチュウリップを、なぎ倒し、なで斬りする輩がでる。

「美しい国日本」にしたいとの志半ばで、首相降りた方が今となっては、懐かしい。


芭蕉さん。

2008年04月24日 | まち歩き

昨日、清澄白河駅(都営大江戸線)を降りて、深川の門前仲町の方へ歩いていましたら、清澄庭園を越えたところの海辺橋渡ったたもとになにやら、たたずむ人あり。

声を掛けようと思ったら、銅像でした。笠をかむり杖をついて腰を下ろした芭蕉さんでゴザンシタヨ。

この川沿いは、芭蕉さんの散歩道と記してありました。川を覆う桜はもうすっかり葉桜になっていました。花の頃は、綺麗だったのでしょう。

奥の細道の旅にでた出発点、江戸深川の芭蕉庵のあたりになるらしい。(古地図では、隅田川にそそぐ小名木川の川口付近と言う)

近くに芭蕉記念館もあるらしいので、今度は出向いてよく調べてみよう。


いやー、歩きましたよ。

2007年10月03日 | まち歩き

今日は、根津で用事を済ませて、千駄木、谷中、忍ばず通りから、夜店通りをぬけて、日暮里に出るつもりが、行きすぎて西日暮里の駅前に出てしまったので、尾久橋通をまわって、日暮里駅に行き着いて常盤線にやっとこさと乗って帰ってきました。

どれくらいの距離になるのか分かりませんが、文京区、台東区、荒川区を、縫って歩きましたさ。東京に縁のない方や、下町の地理に詳しくない方は、吉天がさまよって歩いた道筋はどうでも良いことに違いない。しかし徒歩2時間近くかけてのウオーキングと相成った。

不忍通(しのばずどおり)の道路に面した北側は、壁を成すマンションが続くのには驚いた。つまり、南向き日当たり良好で、建てただけ入居者がうまるわけだ。マンションの日陰になる部分には、人住んでいないのかと思った。次に通ったときは、マンションの裏側探索して見ようっと。

「まち歩き見聞録」出来そう。


三社祭

2007年05月19日 | まち歩き

以前記事にした、「人生は巨大なアミダくじ」。 

本日(18日)も、節ごとに折れて曲がって、交差点ごとに青信号になった方に歩いて行ったら、三社祭に行き着いた。アミダくじのようにだ。

浅草寺と、浅草神社におまいりして、途中 御輿や祭り支度の人々に会いながら、帰りも青信号を、右に左にたどって、上野駅に戻った。明日、明後日は混みあって自由に歩けないだろう。

他人からみれば、無駄に歩き回っている暇人としか思われないが、途中、途中の出会いと、見聞録は吉天の人生の栄養素になる。

ネットでなく、リアルで自分の足で歩く事は健康にも良い。

浅草の或る角では、久保田万太郎の生誕の地 句碑に行き当たった。

「浅草にて 、 ふるさとの 月のつゆけさ 仰ぎけり  久保田万太郎」

手元の手帳にメモって帰った。


やってしまった大道芸

2007年04月23日 | まち歩き

都内のあるショッピングモールで、孫達の家族に食事をご馳走になり、そのあと孫の持っていたサービスのゴム風船をちょっと手に取り、風船の棒を手のひらにのせてバランスをとって、風船が倒れないように歩いてみた。

意外と倒れないもので、調子に乗って手のひらを突き出し、あっちこっち動かし続けて、ふと見ると前のレストランのガラス越しに、若いカップルが拍手をして、わが芸を見て笑っている。おまけに手まで振っているではないか。

気が付けば、ガラスの内と外のギャラリーに、大うけに受けていた。

思わぬところで、やってしまった大道芸、あとで家族の顰蹙をかってしまい、反省しきり。(ヒンシュクと言う漢字は難しい)

従心(しょうしん)=七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず


喰うポン券

2007年04月13日 | まち歩き

近頃、駅付近で配っているもの。なァ~んだ?

ティッシュ。

ブー。

喰うポン券さ

ファストフード、コーヒーショップ。居酒屋、ファミレス。まとめて割引券が冊子になったの配っている。食べ物屋の談合ーか。


妙に落ち着く、薄汚れたお蕎麦屋さん

2007年02月22日 | まち歩き

今月初めのこと、とあるお寺の参道にそった門前の蕎麦屋さんに入った。他にも小奇麗な食堂も、1、2軒はあったのだが、何故かその店に入った。昼時を少しまわっていたので、空腹感もあり とりあえずの気持ちで、ガラガラとガラス戸をあけた。ちょうど食べ終わった帰りがけの客の中年女性が出るところで、今なら引き返して他の店ヘ行く事もと一瞬考えたが、そのまま手近なテーブルの椅子にかけた。

開店以来、手をかけて無さそうな たたずまいは、どこに目をやっても薄汚れて見える。白髪交じりの中老の主人がカウンターの中にいて、奥さんらしきひとが、今出て行った客の盆と食器を下げて、カウンター脇の階段の三段目に置いた。

コンクリートの土間に、テーブルが二つに、それぞれに椅子が四脚。あと壁にそって細長い座席に、薄い座布団が四、五枚並んでいる。席がいっぱいになったり、行列のできる心配など無縁でこれで充分な広さ、夫婦二人でその日その日の店商い。この先も改装してまで、客を入れる事を考える余裕はなさそう。

開店時の、千客万来の額は贈り主の人たちの連名で、浮き文字がすすけてみえる。その下の棚にアルミの灰皿が十枚ほど重ねてある。

聞かれて親子丼を、注文する。ややあって、盆にのった親子丼と、小皿のたくあんと青菜の漬物、お茶がテーブルに運ばれた。白い小皿は、周りが かけかけで一方の端がぎざぎざしている。

ところが、割り箸で口に運んだ丼の中身は、予想外の美味。

ん~ま。 蕎麦屋さんだけあって、だしがいいのか。

お茶を、注ぎ足してくれた急須が、これもアルミで蓋や周りが黄色くなっている。洗ってはいるのだろうが、永年の汚れが落ちないのであろう。ともかく、どれもが薄汚れたと言う印象はぬぐえない。しかし不潔とか、不衛生と言うのでも無さそうなのでおいしく頂けた。

よく民家を移築して、柱など磨き上げて、煤竹や杉戸の古びた時代を感じさせる建具で、ものを食べさせるお店があるが、そういった所の、対極にある このお蕎麦屋さんは、永年の汚れがこびりついた安普請が、妙に私を落ち着かしてくれた。

お店の人に言葉を交わすこともなく、小半時 丼を味わってゆっくりとして表に出た。

二月ながら、今年は暖かく なんだか癒された気持ちのまま、寺とは反対の方向に所用を済ますために歩んだ。


カメラの放列。

2007年01月19日 | まち歩き

昨日今日と、少し風はあるものの、穏やかな良いお天気でございました。

昨日、上野公園を歩いておりますと、望遠レンズのついた大きなカメラの放列、10数台。何事やならんと、そばによって尋ねました。

アマチャーカメラマン、爺たちのカメラ愛好家のサークルのようで、繁みに来る小鳥を撮影するようでございます。

良い写真が撮れることを祈って、お邪魔にならぬよう そっとはなれました。