ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

三か月のスケジュール。

2012年09月23日 | 日常・身の回り
もう年末に向けて、三か月のスケジュールを、立てる必要が出てきた。
郵便局の配達員が、年賀状の予約申し込みの紙を置いて行った。
具体的には、十月がカレンダーに50%、十一月が30%、十二月が20%埋まっている。
売れっ子芸人さんほどでないにしても、気ぜわしいことだ。
外せない、外出の日などを、避けて、これからの予定を入れてゆく。
行事の出欠ハガキを、早めに返事する。
夜間の集まりは、体のことを考えて、お付き合いも義理を欠くが、欠席で返事する。
それでも、積み残しの仕事が年を越す。
来年のことを言うと、鬼が笑うと言われるが、近い将来を、近いうちにと、言い換えても同じだ。
優勝した日馬富士のような集中力で、一日、一日をこなして行こう。



車中のウォッチング。

2012年09月22日 | まち歩き
着るものに、混乱している様子が、車中を見回すと、良く分かる。
急な気温の変化で、電車の中の人たちの着ているものバラバラ。
ノースリーブから、半袖、七分袖、長袖といろいろ。
特別に何を着なければいけないと言うルールがあるわけでない。
この涼しさに、あわてている。


降ったりやんだり。

2012年09月21日 | 日常・身の回り
雨が降ったりやんだりで、落ち着きません。
でも、涼しくなりました。
やはり、「暑さ寒さも彼岸まで」でしょうか。
今年は、彼岸花が、いつもの場所に咲いていません。
民主党の代表選に、野田首相が再選されました。
政権も今日のお天気のように、はっきりしませんね。
オスプレイは、日本で少し飛んでみました。タケコブターの方が安全ですよ。
アイフォーン5が発売されましたが、当分、須磨穂はもちません。


彼岸の入り、お墓参り。

2012年09月19日 | インポート
朝から、雷、大雨、お墓参りと決めていたので、東京羽田の、家内の実家のお墓に向かう。
東京上野に付いたころには、幸いに雨も上がる。
彼岸の入りということもあって、すでにお花お線香のあがっている、お墓が多い。
お線香、お花を供え、良く拝んでから、地蔵菩薩の方にも、お水をかけ、お線香を供える。
各個のお墓と違って、お地蔵様には皆さんがお線香を供えるので、
沢山のお香が積まれ燃え上がるので、煙がもうもうとして、むせかえる。
お地蔵さまも、さぞ煙たかろう。



3000万人の中の一人が、敬老について考える日。

2012年09月17日 | 日常・身の回り
65歳以上の人が、3000万人とやら。
75歳は、85歳より10年若い。
石を投げたら、老人に当たる。
老人の数が、増えたので敬老の日だと言って、老人を敬えともいえない。
確かに、電車に乗ると若い人が席を譲ってくれる。
少子高齢化で、若い人のほうが数が減ってゆく。
若者を大事にしないと、面倒を見てもらえない。
敬若の日を、制定して「よいしょ」をしよう。
しかし、今の高齢者の人たちが、企業戦士と言われ、
一生懸命働いてきたから、今日の日本があるんだよと、教えておくことも必要だ。
過酷な、労働に耐えて、頑張ってきた人たちが、長生きして老人になったんだよ。
一方で、高度成長でも、子育てや、教育費にお金がかかりすぎ、「貧乏人の子だくさん」になるのを、嫌って、
子作りを手抜きした、つけが今、回ってきた。
それでも、就職難で、若い人の仕事がない。
外国人と、機械化で、仕事を賄うので、正社員で雇われる機会が減る一方。
資格は、色々あるが、取得した資格が職業に活かされることは少ない。
親方に付いて、技術を身につけ、職人さんになるのがいいが、一流になるまで我慢できる人は少ない。
「コンクリートより、人」と言っておきながら、人材育成もしてこなかったし、
ゆとり教育とかやらで、教師が楽して、ゆるゆる教育で、勉強に精出さずに、
そのエネルギーが、「いじめ」に、回ってしまった。
国会議事堂の中や、外で「ああでもないこうでもない」と先生方が、言っているうちに、
中韓、露の人口大国が、圧力をかけてくる。
子供や、若者の人口が少ないと、お金のない国と同じくらい馬鹿にされる。
日本は、少数民族で、絶滅危惧種だ。
日本の朱鷺が居なくなって、お隣の国から、朱鷺を貰ってきて、育てて放鳥しても俄かに増えるわけでもない。
日本のお相撲さんが、居なくなって、外国のお相撲さンを入れて、日本人の横綱がいない。
ああああ・・、敬老の日の夜は寝られない。
でも、寝るけどね。



道半ば

2012年09月16日 | ときに思うこと。
やりかけて、最後まで遣り通せなかったことの、なんと多いことか。
日常の生活や、仕事はTODOで管理しているが、ちょっと手を染めて途中でやめてしまったことや、またいつかやろうとしてそのままのもの、完全に放棄して見向きもしないものの数々、一度全部書き出してみると、これが自分の人生のすべてかと思うであろう。
何かと好奇心の赴くままに始めたこと、趣味や仕事として何とかモノにしたいと、手をつけたことなど。
自分自身に対してのことだが、これが他人様に持ちかけてやらなかったとなると、まさに詐欺同然である。
いや、自分に対しての詐欺行為である。
全部、近い将来、近いうちに、やり遂げようとしても、晩年になって、遣り残したことが、大勢の亡者のように、押し掛けてくるのではないか。
沢山のもののうち、どれか一つライフワークとして打ち込んでいれば、今頃そ道の権威として通用したであろう。
いや、今からでも、遅くない。
道半ばといえども、三年も集中して、精進すれば、プロになれる。
投げない、あきらめない。