スケルツォという言葉の意味は、冗談とか滑稽な、ですが、器楽曲のタイトルとして使われるスケルツォには、そういう意味はありません。
歴史的には、歌曲から始まったものが、ハイドン、ベートーヴェンなどが交響曲の第3楽章に、メヌエットの代わりに使うようになり、だんだん器楽曲としても定着していきます。
器楽としては、「急速なテンポによるドラマティックな曲」というような意味で使われています。
ショパンは、怒りや絶望の気持ちを折り込んだ曲に、カプリッチォほど軽くなく、ポーランド的でもない曲にスケルツォという言葉を使ったようです。
ショパン(1810〜1849)のスケルツォは4曲あり、今回演奏するのは第1番で、1831年に作曲され、翌年パリにて再び手を加えて完成されました。
激しい憤りを叩きつけるようなffの不協和音に始まり、渦巻く嵐のような音型がつづき、まるで闘争をしているかのような激しい曲想が続き、その後、対照的に、優しくささやくように歌われる中間部が続きます。
伴奏部の音程が広いのも特徴ですが、メロディが非常に美しく、魅力的な部分です。
これは、ポーランドにクリスマスキャロルとして伝わる子守歌がモティーフになっていて、祖国への思いがうかがわれます。
その後、再び嵐の部分が、冒頭より短く繰り返され、勢いを増して情熱的に締めくくられます。
曲の構成としては、やはり若い時の作品だからか、スケルツォでも他の曲でも、もっと後に作られたものに比べるとシンプルで、わかりやすい構成になっています。
ショパンの作品は、同じフレーズでも後で出てくると伴奏形が変わっていたり、メロディが変奏されていたりしますが、この曲は、一部に変化があるだけで、ほぼそのまま繰り返されています。
曲の構成は単純でも、嵐のような激しさは、やはり若い時期に弾くといいのかな…というのを感じますね。
この激しさに、感情的についていけない気がして、なかなか取り上げなかったのですが、これでやっとスケルツォも4曲全部弾くことができました。