アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

石ころは、すでに、石ころではない

2025-02-05 07:00:47 | ダンテス・ダイジの風光

◎石ころは、高らかに笑う(老子狂言)

 

『石ころは、高らかに笑う

 

私は考えられないくらい

幸福だから 

考えられるほど不幸だ

 

たしかに

観念といえば観念だ 

でも、どうでもいいではないか 

無限は無限なのだから・・・

 

だが 

これは 

とこしえに

それ以上だ!

 

石ころは、すでに、石ころではない 

これは体験したほうがいいだろう

その刹那 

石ころは高らかに笑う』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

これは、石ころの心を知らないと全く何のことかわからない。石ころの心から、人間の喜びと悲しみとをしみじみと眺めあたたかく包む何ものかが、限りなくあふれ出すのだ。

 

石ころは、【考えられるほど不幸だ】が、【私は考えられないくらい幸福】なのだ。

 

石ころこそ無限であって、世界の秘密、闇の秘密、666の黒光りしたクンダリニー、女の汚れの中の女

 

【石ころは、すでに、石ころではない 

これは体験したほうがいいだろう

その刹那 

石ころは高らかに笑う】

これは、カイヴァリヤである。

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見知らぬ未知に飛び込むのは

2025-02-05 06:38:28 | ダンテス・ダイジの風光

◎何と完全なんだろう!(老子狂言)

 

何と完全なんだろう!

 

見知らぬ未知に

飛び込むのは

本当に恐ろしいことだ

 

そして

それよりもっと恐ろしいことは

君が、すでに未知だということだ

 

私は

なにも知らないとも

言えない 

 

何と完全なんだろう!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【見知らぬ未知に

飛び込むのは】とは、ニルヴァーナに突入するシーン。

 

突入して中心太陽にあっては、

【君が、すでに未知だということだ】。

 

その時私は、すべてのすべてにして、なにもかもなし。よって、

【私は

なにも知らないとも

言えない 】。

 

おお、稀有なる中心太陽突入の実感描写よ。

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パンドラの箱はあけないにこしたことはない

2025-02-05 06:27:41 | ダンテス・ダイジの風光

◎パンドラの箱(老子狂言)

 

パンドラの箱

 

パンドラの箱は 

あけないにこしたことはない

 

知恵の樹の実は 

食べないにこしたほうがいい

 

けれども 

どうゆうわけか

 

種子は花開き

果実になってゆく 

 

そうなって行く

そのままに

まかす以外にないじゃないかい』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

パンドラの箱からは、あらゆる苦難と最後に希望が出た。知恵の樹の実を食べたばかりに数々の艱難を経て、ハルマゲドンから至福千年を目指すことになった。

 

現代は花の時代であって、やがて実が大地に落ちるのがカタストロフィーにして大峠。

ただしその実は、も叫びもないみろくの世、千年王国の礎になる。

 

だから

【そうなって行く

そのままに

まかす以外にないじゃないかい】。

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太乙金華宗旨の光について-4

2025-02-05 03:00:34 | 覚醒のアーキテクチャー

◎西洋は太陽重視で、男性偏重で、活動的すぎる

 

光とは何か。OSHOバグワンの説明。

太乙金華宗旨の冒頭。

 

ポイントは、以下。

  1. 天上のこころ(天心)は太陽と月の中間にある。それは、男性的でもなければ、女性的でもない。
  2. 西洋は太陽重視で、男性偏重で、活動的すぎる。
  3. 東洋は月重視で、女性偏重で、受動的すぎる。
  4. 外側では太陽を重視し、内側では月を重視せよ。太陽と月をあなたの内側で出会わせ、あなたはちょうどその真ん中にいれば天上の心がある。

 

そして光を巡らせる瞑想は、ひとえに逆流の動きにかかっている。それにより思考の集中が起こる。天上のこころは太陽と月のあいだに位置している。

 

いいかね、もう一度くり返そう。太陽は男性エネルギーの象徴であり、月は女性エネルギーの象徴だ。

ハートは男性的でもなければ、女性的でもない。それがハートの美しさだ。すなわち、ハートは神聖なものであり、男性的でもなければ、女性的でもない。それは まさにその両者の中間にある。

 

男性エネルギーに傾き過ぎている場合には、人は過度に活動的になっていて、どうやって受動的になればいいのかわからなくなっている。西洋で起こっていることはそれだ。西洋は太陽指向であり、あまりにも活動的だ。人々は狂ったようにみずからを活動に駆り立てている。

 

(中略)

 

西洋は太陽を重視している。東洋は月を重視している。

東洋はあまりにも受動的で、宿命論に傾き過ぎるようになった。「何もする必要はない。ただ待てばいい。神がやってくださるだろう」と。これはまた別の種類の愚劣さ、愚昧さだ。東洋は貧しくて、怠惰で、不潔だ。が、人々は何ひとつ気にかけていない。どこを向いても惨めさが――貧困、乞食、病気が目に飛び込んでくる。が、誰も気にかけていない。すべては受け容れられている。「しかたがないでしょう?これは神の御意志なのです。私たちは甘受しなければなりません。待てばいいのです。いよいよの時になったら、神がおいでになります。他にどうしようもないじゃないですか」これは女性的な精神だ。

 

『黄金の華の秘密」は言う。人は男性的であってもいけないし女性的であってもいけない、どちらの極にも傾かず、ちょうど真ん中にいなければならない、と。そうなったらバランスが生まれる。そうなったら活動的でありながら、しかも内側深くではくつろいだままでいることができる。そうなったらくつろいでいながら、しかも外側では活動をつづけることができる。

 

外側では太陽を重視し、内側では月を重視するがいい。太陽と月をあなたの内側で出会わせ、あなたはちょうどその真ん中にいればよい。そして真ん中にいることに超越がある。』

(黄金の華の秘密/OSHO/メルクマールP33-35から引用)

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