◎信心銘でアートマンの後先
(2019-05-24)
信心銘の続き。
『眼(まなこ)若し睡らざれば 諸夢 自ずから除く
心 若し異なざれば 万法一如なり
一如体玄なれば 兀爾(こつじ)として縁を忘ず
万法 斉しく観ずれば 帰復 自然なり』
※眼(まなこ)若し睡らざれば:
熟睡中に眠らない自分。ウパニシャッドの頻出テーマ。荘子大宗師篇にも寝ても夢見ないというのがある。ケン・ウィルバーが、自分では悟ったと思っていた時期に、熟睡中に眠っている自分を発見して愕然として、修行をし直した例もある。
※心 若し異なざれば:
臨済録に、『如何なるか是れ心心不異の処?」と弟子が問うと臨済が云く、「あなたがこれを問おうとしていることは、既に異であって、いけない。』というのがある。これに続く言葉である万法一如(ア―トマン)と心が異なってはならない。
※一如体玄なれば 兀爾(こつじ)として縁を忘ず:
万法一如(ア―トマン)は、この一つながりのものであって、万物も時間も空間も物質もあらゆる生物無生物の想念も感情も意思も含まれる今ここしかない今。これが玄(神秘)なのだが、ごつごつとした石くれのように取り付くしまがなく、非人間的な乾いたもの。
そこでは、あらゆる人間ドラマを起こす原因である縁すら忘れられている。
※万法 斉しく観ずれば 帰復 自然なり:ここで斉(ひと)しく観ずるのは、男女、天地、有無、善悪、貧富、貴賤などあらゆる区別。万法アートマンという石ころの心から一歩出て区別がスタートしたら、以前とは別の本来のナチュラルな自分らしい自分が始まる。