◎信心銘から
(2019-05-23)
禅の三祖僧璨(ソウサン。達磨の弟子の慧可の弟子)の信心銘から。三祖僧璨は、中風を病み、臨終時は立ったままだった。仏教禁令の時代を片腕のない慧可と過ごした。
『智者は無為なり 愚人は自縛す
法に異法は無く 妄(みだ)りに自ら愛著す
心を将(も)って心を用う 豈に大錯に非ずや
迷えば寂乱を生じ 悟れば好悪は無し
一切の二辺は 妄(みだ)りに自ら斟酌する
夢幻虚華 何ぞ把捉を労せん
得失の是非 一時に放却す』
※大錯:大間違い
※寂乱:寂と乱の対立、差別
※夢幻虚華:夢と幻想と空虚な華
大意:
心をもって心を用いるのは、大間違い。心が静まったり乱れたりするのは、実体のないことで、迷うから起こるもの。男女、天地、貧富、貴賤など一切の二辺の区別は、心が起こすものであって、そうした実体のないものをことさらに追うべきではない。メリット、デメリットの判断は捨て去ることだ。
これを哲学と見るようなことは禅者はしない。このメリット・デメリットでの区別全盛の時代に、それをほおっておくことを求める。
ほおっておくためには、まずスマホを離し、イアホン・ヘッドホンをはずし、テレビ・ラジオを止めることから始めなければならない。最初は、そのこと自体が惑乱と感じる人も多いのだろう。そして坐る。