◎世界が異なる
(2012-05-14)
唐代の禅僧趙州は、どうして「地獄へ落ちろクソ婆あ」みたいなセクハラ発言をしたのだろうか。
まず最初のケース、ある僧が禅僧洞山に問うた。「暑さ寒さがしんどくてたまりません。どう逃げればよいでしょうか。」
洞山「暑さ寒さのないところに行くとよい。」
ある僧「暑さ寒さのないところとはどのような場所ですか。」
洞山「寒ければ、お前を凍りつかせるし、暑ければ、お前を蒸し上げる。」
次のケースでは、ある僧が「四方から山々が押し寄せて来ます。どう脱出すれば良いでしょうか。」
趙州「脱出した様子もない」とだけコメントした。
でもって流れは同じだが、この件。
あるとき、一人の老婆がやって来て、趙州に質問した。
老婆「仏教では、男性に比べ、女性は5つの障(さわり)が重いとされています。だとすれば、女性であるわたしが天上に生まれるには、どうすればいいのでしょうか?」
趙州は老婆に
「願わくば、すべての人が天上に生まれるように。そして願わくば、この老婆が永く地獄に沈まんことを」と答えた。
これが、『地獄へ落ちろクソ婆あ』である。
自分が女だろうが男だろうが、そんなことは関係ない。天上に生まれるとか地獄に落ちるだとかそんなことは本質ではない。そこから脱出したかどうかだけを問題にしている。
失礼な!・・・・で終わっては何も起きない。だから、禅は一触即発、一瞬の油断もできないところで戦っているから、機鋒が鋭いとかって表現になる。禅には段階はない、ステップはない。できたかどうかだけだ。