◎禅の六祖壇経
(2020-09-21)
東京12チャンネルで中国宮廷ドラマ「花散る宮廷の女たち」を放映している。
中国宮廷ドラマは、時々見ることがあるのだが、今回のドラマの特徴は、キスシーンが多いこと。それと、いつも必ず出てくる「皇帝が何枚もある夜伽の女性札から一枚をひっくり返すと、簀巻きにされた当の女性が皇帝の寝室に運び込まれるシーン」がないこと。
康熙帝には、35男20女の子がいて家康もびっくり。後継者争いは年長の9男くらいで争ったが、後継者争いのしこりは、四男雍正帝が即位してからも残った。
雍正帝は自らの後継者問題を防止するために皇太子を置かず、後継者の名は錦の箱に入れて乾清宮の正面の額の裏に置いて、皇帝の死後に衆人立会いの下でこれを開くという「太子密建の法」を採った。
この方法で後継者争いは起きなかったとされるが、太子密建の法は先帝が何度も中身を変更できるというメリットはあるものの、大盗賊やら有力宦官やら大物政治家が密かに中身を変更しても、開いた中身が先帝の意図したものだったかどうかは死後ではわからない。
一方日本の将棋タイトル戦においてすら封じ手を書いた封筒は三枚用意するもので、まだ太子密建の法よりも公正のように思われる。
もっとも仏教の信仰厚いチベット密教でもダライラマ後継者選定は毎度問題になっていて金瓶掣定というくじ引きをやっていたので、清朝のことは笑えない。
おやっと思わされたのは、四男が禅の六祖壇経の
『菩提本(もと)樹無く
明鏡も亦(また)台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かん』を読み上げるシーンがあったこと。
これは、禅の五祖弘忍禅師の最上位の弟子神秀が、「この身は悟りの本だからいつも努力して汚れを掃除していないければならない」と偈を出して来たのに対し、一介の米つき男慧能が、「本来無一物なのだから元々汚れなどない」と大逆転シュートを放った故事。
清王朝はラマ教であり、禅籍を学ぶことはまずないはずなのだが、後の禅僧弾圧からヒントを得たのだろうか。中国人がアメリカに大勢渡りアメリカの禅ブームに刺激を受けたのか。アメリカでは、小粋くらいの意味の形容でzenが使われるのだが、そういう逆輸入か。
禅は日本に入って、臨済系と只管打坐系で残っているが、中国でも禅僧禅刹が残っているから禅が残っているとは言わない。禅で大悟した人がいてなんぼである。