◎漆黒の闇と光
(2018-01-05)
『蝋燭を持って歩きながら、私はある子供に、
「この光は、何処から来たか?」と訊ねた。
その子は、即座に蝋燭を吹き消した。
「僕に光が何処ヘ行ってしまったか教えよ。
そうしたら、それが何処から来たかあなたに教えてあげるよ」。
(バスラのハサン)』
(スーフィー 西欧と極東にかくされたイスラームの神秘 イドリース・シャー/著 国書刊行会P289から引用)
これは、まったく禅問答である。無門関第二十八則で、似た話がある。
龍潭和尚が徳山に、「夜も更けたので、帰ったほうがいいだろう。」
徳山は別れの挨拶をして簾を上げて出たものの、あまりに暗いのでわざわざ戻って行って、龍潭に「外は真っ暗です。」と云うと、
龍潭はすぐに蝋燭に火をつけて渡した。
徳山が取ろうとした瞬間に龍潭はふっとその火を消したところ、あたりには漆黒の闇が迫ってきた。
この時徳山は、大悟した。
この再びの漆黒の闇こそ人生の裂け目、隙間である。ろうそくの光はどこへ行ってしまったのだろう。宗派の違いはどこへ行ってしまったのだろう。