◎真摯な冥想者の数に応じてマスターが出る
修行と行法の結果は必ずしも一致しない。たとえば、只管打坐をやり続けていた人が、必ずしも身心脱落するわけでもなく、別のタイプの見仏や涅槃に進む場合がある。またさる妙好人のようにマントラ・ヨーガを繰り返し実習していた人がマントラ・シッディに終わらず宇宙意識(ニルヴァーナ)にまで飛び出していく人もいる。
さらにキュブラーロスの出会った黒人掃除婦のように冥想修行らしい冥想修行はなくとも、きちんと見神した人もいる。
さて現代の特徴はマスコミによる一律な情報の洪水的伝播である。そのやり口は、冥想に関しても、新興宗教の布教手段としても顕著だが、主に本や雑誌などの印刷物とネットでもって冥想と思想をコントロールしている。
しかし、もとより与えた情報や冥想手法が一律であっても、個々人によって出て来る結果は千差万別である。
さる教団に加入して冥想修行しても、大半は見仏見神しないし、運よく小悟みたいなのをしたとしても、それが見牛なのか、一瞥なのか、あるいはどのメンタル体チャクラの開顕であるかは、人によって異なるという、行法・冥想手法と結果のミスマッチというのは起き続ける。
つまり冥想のサプライヤーは、大量一律・ワンパターンだが、その結果はてんでんばらばらであるということ。宗教業界では、宗派を問わず、そうした長年の効果の薄かった布教実績が積み重ねられてきているということになる。宗教商売が回転していけば教団としては存続していくという面はあるが、それは個々の人間の救済とは何の関係もない。
仏典では、釈迦が対機説法だと言われるが、そのように、特にクリア・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガでは、相手によって全く異なる指導、つまりテーラーメイド指導をしないと、相手のためにならないのではないか。
つまり現代のように個々人の価値観や生き方が全く異なる世界では、個々人にとってテーラーメイドな冥想指導しか有効とは思えないのだ。
翻って、今の新興宗教のような冥想手法や思想の一律大量の流し込みは、大半の人にとって有害無益なのだと思う。マス布教は百害あって0.0001利くらいか。
個々人にとってテーラーメイドな冥想指導に必要なもの、それは、多数の冥想教師、マスター、グルである。冥想教師、冥想マスターへのデマンドは極めて高いが、サプライサイドは全く応えられておらず、ここに大きな需給ギャップが生じている。
されば、どのように多数の冥想教師、マスター、グルを育成していくか。地味だが、いわばコンビニのおじさん、おばさん、お兄ちゃん、おねえちゃんが日々冥想をするようになることだろうと思う。
本気で冥想に取り組む人がその位多数出てくれば(デマンドサイドの本格的拡大は、未(いま)だし)、マスターも自ずと大量発生していくもの。そんな感じでないと百万人単位で覚者なんか誕生しないわな。
そうなったら宗派とか教団の区別とか言っていない(超宗派的)で、自分に最もマッチしている手法を選ぶのが最優先されることになる。それがテーラーメイド。
修行と行法の結果は必ずしも一致しない。たとえば、只管打坐をやり続けていた人が、必ずしも身心脱落するわけでもなく、別のタイプの見仏や涅槃に進む場合がある。またさる妙好人のようにマントラ・ヨーガを繰り返し実習していた人がマントラ・シッディに終わらず宇宙意識(ニルヴァーナ)にまで飛び出していく人もいる。
さらにキュブラーロスの出会った黒人掃除婦のように冥想修行らしい冥想修行はなくとも、きちんと見神した人もいる。
さて現代の特徴はマスコミによる一律な情報の洪水的伝播である。そのやり口は、冥想に関しても、新興宗教の布教手段としても顕著だが、主に本や雑誌などの印刷物とネットでもって冥想と思想をコントロールしている。
しかし、もとより与えた情報や冥想手法が一律であっても、個々人によって出て来る結果は千差万別である。
さる教団に加入して冥想修行しても、大半は見仏見神しないし、運よく小悟みたいなのをしたとしても、それが見牛なのか、一瞥なのか、あるいはどのメンタル体チャクラの開顕であるかは、人によって異なるという、行法・冥想手法と結果のミスマッチというのは起き続ける。
つまり冥想のサプライヤーは、大量一律・ワンパターンだが、その結果はてんでんばらばらであるということ。宗教業界では、宗派を問わず、そうした長年の効果の薄かった布教実績が積み重ねられてきているということになる。宗教商売が回転していけば教団としては存続していくという面はあるが、それは個々の人間の救済とは何の関係もない。
仏典では、釈迦が対機説法だと言われるが、そのように、特にクリア・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガでは、相手によって全く異なる指導、つまりテーラーメイド指導をしないと、相手のためにならないのではないか。
つまり現代のように個々人の価値観や生き方が全く異なる世界では、個々人にとってテーラーメイドな冥想指導しか有効とは思えないのだ。
翻って、今の新興宗教のような冥想手法や思想の一律大量の流し込みは、大半の人にとって有害無益なのだと思う。マス布教は百害あって0.0001利くらいか。
個々人にとってテーラーメイドな冥想指導に必要なもの、それは、多数の冥想教師、マスター、グルである。冥想教師、冥想マスターへのデマンドは極めて高いが、サプライサイドは全く応えられておらず、ここに大きな需給ギャップが生じている。
されば、どのように多数の冥想教師、マスター、グルを育成していくか。地味だが、いわばコンビニのおじさん、おばさん、お兄ちゃん、おねえちゃんが日々冥想をするようになることだろうと思う。
本気で冥想に取り組む人がその位多数出てくれば(デマンドサイドの本格的拡大は、未(いま)だし)、マスターも自ずと大量発生していくもの。そんな感じでないと百万人単位で覚者なんか誕生しないわな。
そうなったら宗派とか教団の区別とか言っていない(超宗派的)で、自分に最もマッチしている手法を選ぶのが最優先されることになる。それがテーラーメイド。