向田邦子さんの「夜中の薔薇」を読んでいる。
30年前に一度読んでいるから、すぐに思い出せる章(章と言っていいのかどうかわからないけれど)が多いけれど、全然思い出せない章もある。
全然憶えていない中で、「質問」という章があった。
向田さんが小学5年生のときの思い出だ。
師範を出たばかりの若い女の先生が、子供達に、
「梅の花はどんな匂いがしますか?」
と、質問した。
私は、子供にする質問じゃないな、と思いながら読んでいた。
子供達は誰も手を挙げないので、先生は一人の男の子を指名したそうだ。
その子は、しばらく考えて、「くせわい」(くさい)と答えた。
そして、先生も他の生徒も笑ったのだろう。
「先生は「いい匂いです」という答えを期待されたのだろうが、生徒は、自分の鼻が感じた本当の匂いを、自分の言葉で答えたくて、七転八倒していたような気がする」
と向田さんは続けている。
なるほど、自分の鼻が感じた本当の匂いを言い表す自分の言葉が見つからなくて、くさいになったのか。
そこで思うのは我が夫のこと。
彼が、いい匂いも嫌な臭いも何でもかんでもくさいと一言で済ますのも、そういうことなのかしら?
バラも百合も、芍薬も、自分で買ってきてくれたジバンシーのトワレさえも、「くさい」というのは、言い表す自分の言葉が見つからないからなのね。
夫がくさいという度に、「せめて、いい匂いと言えないものかしら」と一応文句は言っていたけれど、仕方がない、許すとしよう。
それにしても我が夫、表現力は小学5年生と同じレベルか・・・