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アニメ「アイアン・ジャイアント」~特攻に見る自己犠牲の精神

2010-05-23 | 映画



「特攻」という行為を、戦後日本のある一部の人間が言うように「無駄死に」「愚かな行為」だと、
日本人以外の世界の人々も思っているでしょうか。
 
そして、彼らは、今のマスコミの言うように「国による犠牲者」で、
望まぬ死を余儀なくされただけの可愛そうな人たちなのでしょうか。

私は否、だと思います。

フランスの思想学者であり、文人、政治家でもあったアンドレ・マルローの言葉です。

「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにも代え難いものを得た。
これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。

 ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、
結局は権力を手に入れるための行動であった。
日本の特別特攻隊員たちはファナチック(狂信的)だったろうか。
断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。

代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、
逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。
人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。」


このアニメが、私の知る限り日本で上映されたという覚えが無く、
全く知られてもいないのは実に不思議な気がします。
エリス中尉がこのDVDを買ったのはアメリカですが、日本で購入できるのでしょうか。


米ソで冷戦が行われているころ。
少年ホガースは、森の中で身長100フィートの宇宙から来たロボットに出会います。
別の天体の破壊兵器として生まれたらしいこのロボットは、ホガースの言葉を理解し、
仲良くなります。

ところが、噂を聞いて、政府が調査と壊滅に乗り出します。
この巨大ロボットを攻撃するため、愚かにも原子ミサイルを打ち上げてしまう軍。
「もう終わりだ。このミサイルがここに戻って落ちてきたら我々は死ぬ」

ロボットはホガースに
“Stay here. Don’t follow me”
(最初に家についてこようとするロボットに、ホガースは犬に言うようにこう言った)
と言い、空に飛び立ちます。

放物線の頂点で向きを変え、落下してくるミサイル。
アイアン・ジャイアントは、最後にホガースの言葉を思い浮かべます。

「いいかい、なろうと思えば、僕らはどんなものにだってなれるんだ」

ジャイアントの顔に微笑みが浮かびます。
「・・・スーパーマン・・・」

スーパーマンらしくカッコよく飛ぶんだ、ほら、こんな風に、とホガースが教えてくれた、
片腕を前に突き出した飛び方のまま、ジャイアントはホガースや町の人々を守るため、
ミサイルに向かってまっすぐ突き進んでいくのでした。


ストーリーの途中で、スーパーマンのマンガと一緒に「アトモ」という題のマンガ本が写ります。
これは、皆さんもお察しのように、手塚治虫の「鉄腕アトム」への(英題『アストロ・ボーイ』)
オマージュだと思われます。

アトムは、地球に向かって飛んでくる流星に向かって、爆弾を抱いて突撃して果てます。
このアイアン・ジャイアントの作者が、日本の特攻にも見られる、このアトムの
「武士道的自己犠牲の精神」に強く感銘を受け、
ジャイアントの最後になぞらえたであろうことは想像に難くありません。

マルローは、またこうも言いました。

「フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。
フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、
こんなに少ない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。

 そういう人たちに、私はいつも言ってやる。
《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、
自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。
愛する者が殺められるのを黙って見すごせるものだろうか?》と。

 私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、
 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに
男の崇高な美学を見るのである」