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編隊宙返りは事実だったのか

2010-05-02 | 海軍



多くの方がそうであるように、エリス中尉もこの世界へのきっかけは「大空のサムライ」でした。
あらゆるエピソードにあるときは手に汗握り、ある時は涙し、大笑いし、魅力的な登場人物には憧れ
(笹井中尉のことですね)・・・。

名作だと思います。

しかし、いろいろな本や資料を当たっているうちに、
「これはある種の創作だ」との確信を強くしていきました。

実際、大空のサムライは、坂井氏にインタビューしたライターが名文で書き著したもの、
というのがその筋の定説です。
あくまでも語ったことであるので、人名、日時、など、別の本では全く違っているということが
多々起こっているのです。

もちろん、坂井氏が全く無かったことを語るはずがありません。(と今は言っておきます)
笹井中尉との別れや、三段跳び撃墜など、「確かにあったこと」が殆どだとは思います。

さて、「編隊宙返り事件」という有名なエピソードがあります。

ご存じない方はいないと思いますが、一応記しておくと、
「坂井、西澤廣義、太田敏夫の三人がモレスビーの敵基地上空編隊宙返りを計6回行い、
それを攻撃せず見守った敵軍から後日
『次回は緑のマフラーを着けて来られたし、歓迎しよう』という果たし状が来た」

という事件です。

エリス中尉、この事件でものすごく疑問に思うことがあります。
我らが笹井中尉がこの果たし状を「やくざみたいで厭だ」といって握りつぶしてしまった、
というくだりです。

 何故、坂井さんはそれを、そして握りつぶしてしまった手紙の中身までを知っていたのでしょう?
いくら仲がいいと言っても、彼らを「目玉の飛び出るほど叱った」笹井中尉が坂井さんに
「いや~、こんな手紙が来てたけど、握りつぶしちゃったよ(^^ゞ」
なんて言うものでしょうか。
だいたいそれだと、握りつぶした、とは言いませんよね。

 坂井さんはあくまでも「・・・ということである」という言い方でこの事件の顛末を語っているのですが、
どのようにしてそれを知ったか、どこを見てもそのような記述はありません。
「笹井中尉は文字も一字一字楷書でしたためるようなサムライだったので、
こんなやくざみたいなことは厭だ、とでも考えたので『あろう』」
これも笹井中尉が
「俺、こんなヤクザなことはイヤなんだよね(-_-メ)」
と坂井さんに言ったわけではなさそうです。

坂井三郎のファンからバッシングを受けるのを覚悟で書いてしまいます。

「編隊宙返りは実話ではなかったのではないか?」

あくまでも、この疑惑はエリス中尉の勝手な妄想ですので、読み流していただきたいのですが、
この話には非常に不審な点が多いのです。

まず、行われた日時が明確ではないこと。(5月17日、6月25日両説あり)
そして、この事件について全くモレスビー基地側に記録がないこと。

1点目について。
この3人が同時に搭乗割に入っていた攻撃というのはそう何度もないと言われています。
その中で、このように攻撃後わざわざ基地まで行く余裕のあった日ははたしてあったのでしょうか。
5月17日は同隊の山口中尉が自爆しそれを見届けた日で、そんな時間は無かったはずですし、
6月25日には太田兵曹が一緒に出撃していません。
(碇義武著:「大空のサムライ」研究読本より)

そして2点目。
坂井さんは一度禁令を破って単機でモレスビー基地を機銃攻撃したことがあります。
戦後、当時モレスビー基地に勤務していた豪州軍の元兵士が、
「たった一機で現れたゼロが機銃掃射していった。私はその弾丸を2つ持っているが、
あのゼロはサカイだったのか」
と坂井さんに面会を求め、それが日時の一致によって坂井機であることが判明した、
という出来事がありました。

もし、編隊宙返りをモレスビー基地の何人もが目撃していたなら、その中の一人くらいは
この元兵士のように戦後「大空のサムライ」を読み、名乗り出るのでは?と思うのです。
連合軍の記録にも、全くそのようなものはないそうです。

そして、大変書きにくいのですが
「太田、西澤両名ともに亡くなってしまってそれを裏付ける証言をする人間はいなかった」という事実。

ここからは想像です。
坂井、西澤、太田の三人の間で
「一度敵基地上空で編隊宙返りなんてどうだい」「それは面白そうだな」「いつかやってやろうぜ」
という話ぐらいはきっとあったのだろうと思います。
しかし実際は話だけで終わってしまったのではないでしょうか。
戦後、最も痛快で胸のすく「本の為のエピソード」として、この「計画」を坂井さんが筆者と相談の上
「あったことにした」というのがエリス中尉の大胆な予想です。

とはいえ、編隊宙返りは既に愛すべきストーリーとしてすでに世界中の「サムライ」ファンの中に
生きています。

「white lie」(罪のないウソ)という言葉があります。
坂井さんがこの「創作」をしたからといって、それを責めるには当たらないのではないでしょうか。
何よりも、このストーリーには、坂井さんの散って行った仲間に対する心からのオマージュが
込められていると思うからです。