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自衛隊音楽隊話(付録・似非応援ソング批判)

2013-05-08 | 自衛隊



自衛隊音楽隊のコンサートはいまやプラチナチケットと言われ、
大変手に入れにくいイベントとなっているようです。
わたしもいつかは、とくにサントリーホールのコンサートや陸海空合同のものを
聴いてみたいを思っておりますが、コンサートチケットも手に入れられない人のために
やはり我らが自衛隊音楽隊は、いろんなフリースペースでの公開をしています。

昨年観艦式が行われたとき、全国からの音楽隊が一堂に集結する形で、
みなとみらいのクィーンズスクエアでのコンサートが行われました。
各音楽隊がきっちり30分ずつのステージをつとめ、午後いっぱい演奏が続きましたが、
驚いたのはこれを聴くために訪れた人の多さ。
しかも演奏している姿が全く見えないところにもぎっしりと人が並び、
いつまでも人が減る様子がありません。

ほとんど一日立ったままでこの日の演奏を聴き、
あらためて自衛隊音楽隊の人気と、人気のわけを知ることになりました。

このコンサートのあと書いた二編のエントリのために
冒頭、二タイプの音楽隊の制服姿のイラストを描いたのですが、
この頁はいまだに閲覧数の上位によく上がってきます。

わたしは折あるごとに音楽隊の演奏を聴くためにyoutubeをクリックしているのですが、
このエントリ人気のわけは、この右側の女性が、
海上自衛隊の女性歌手三宅三曹に少し似ているからかな、と思っています。


今日はその後、ある読者の方からいただいた自衛隊音楽隊についてのコアな情報と、
お奨めの自衛隊音楽隊演奏の曲URLをご紹介します。


■ 横須賀鎮守府のピアノ

海上自衛隊の横須賀地方総監部田戸台分庁舎(横須賀市田戸台)には、
大正期に購入されたのグランドピアノが長らく保管されていました。
いつまで現役で使われていたかはわかりませんが、とにかく
そのころからここで演奏されてきたピアノです。

このピアノの修復作業が3月の12日完了し、ミニコンサートが開かれたそうです。
以下、「カナロコ」の記事より。

ピアノは本体に記された製造番号から1925年に、
ドイツ・ハンブルクの「スタインウェイ」社で造られたと判明している。
だが、田戸台分庁舎に運び込まれた経緯については
明確な記録が残っておらず、
謎に包まれたまま。
ただ、当時、日本海軍の従軍カメラマンがロシアで購入して持ち帰り、
1929年に海軍へ寄贈されたと伝えられている。

海自は15年前に一度、同社から部品を取り寄せ、
約250万円をかけて修復にあたったが、湿気などによる部品の劣化が激しく
使われないままになっていた。
昨秋から再び文化的価値も高いピアノの修復話が持ち上がり、
約50万円を投じて現代によみがえらせた。

コンサートで演奏したのは東京芸術大学出身の
海自東京音楽隊、太田紗和子2等海曹(34)。
ショパンやモーツァルトの独奏、
海自横須賀音楽隊とのアンサンブルも披露された。

近隣住民約60人も招かれた。
太田2等海曹は「鍵盤のタッチの反応が(現代のピアノと)少し違った。
ピアニストとして光栄に思います」

と感慨深そうだった。


古いピアノはそれだけでタッチが全く違いますからね。
わたしはアメリカでよく楽器店の練習室のピアノを時間貸ししてもらい、
練習するのですが、たいていが見たことも聞いたこともないメーカーのピアノで、
まともなタッチのピアノを置いている楽器店は皆無です。
向こうではヤマハは超ブランドなので、そんなところではまずお目にかかれません。
そんなピアノのタッチは、まるで鍵盤の底が抜けているのではないかと思われるほどで、
古ければ古いほどこの傾向は顕著になります。

それにしても、横須賀鎮守府の歴史的なピアノ。
どんな弾き手が、どんな曲を奏でたのでしょうか。

当時軍楽隊の一番のエリートは横須賀鎮守府に集められましたから、
かなりの弾き手がこのピアノで名曲を奏でることもあったのかもしれません。
いろいろ空想に耽ってしまいますね。


■ 自衛隊ピアニスト 自衛隊ボーカリスト

以前この自衛隊専属歌手について書いたとき、彼女のことを
「海上自衛隊音楽隊の最終兵器」と位置付けてみました。
彼女とは、自衛隊史上初の専属歌手、三宅由由香利三等海曹
横須賀鎮守府のピアノを弾いた太田紗和子二等海曹とともに
そのユニークさで注目を集めています。

とくに三宅三曹はわたしの観たコンサートでもひときわ注目を集めており、
youtubeでも熱心なファンが声援を送っている様子がわかります。

このお二人についての情報です。

太田紗和子二曹は、入隊前にはすでにプロのピアニストとして活動中でした。
オーボエ奏者の伴奏ピアニストとして、管打楽器コンクールなどに参加するなどの
経歴もありましたが、公募によって、技術海曹・2曹で入隊しています。

横須賀教育隊での新入隊員教育では、特別扱いを受けるどころか、
高卒大卒の若い新隊員に交じって、ピアニストの命でもある手に血豆を作りながら
カッター訓練にも参加したとのことです。

なんとびっくり、旧軍音楽隊では当然のようになされていたカッター訓練、
今でも健在なんですね。
水泳訓練で遠泳などもすると聞いたことがありますが、
艦艇乗り組みの任務中、何か事あって、いざというときに泳げなかったり
ボートもこげなかったりでは、海上自衛隊という組織に属している「軍人」として
失格、ということなのでしょう。

太田2曹の階級は入隊したときから2曹です。
しかし自衛隊員としては全くの新参者。

芸大高校ピアノ科を卒業後、芸大を経て芸大大学院院を卒業、
海外コンクール参加経験もありという経歴もひけら かすことなく、
率先して当直に立ち、ピアノを準備するときも自らイスを運ぶなど、
普通のソリストのように特別扱いされることを避け、あくまでも自衛隊の
「一隊員」として音楽隊の任務を果たしているのです。
そんな後ろ姿が、他の隊員にも無言の範を 垂れることとなり、
良い影響を与えているようです。


自衛隊歌手である三宅3曹は普通の新入隊員として2士で入隊。
出身の日大芸術学部では
空手部員として様々な試合に出ていた猛者なので、
体育でもダントツ好成績で教育隊を卒業 したということです。


■ 自衛隊作曲家

自衛隊は隊の委託作品をたくさん持ち曲にしていますが、
自衛隊員が作曲した曲もまた多くあります。

東京音楽隊長の河邊一彦2佐は初の音大出(武蔵野音大)隊長で、
海上自衛隊ならではの多くの オリジナル作品を発表しています。


河邉二佐の作品をいくつか紹介しましょう。
艦上で使用されるラッパ譜を散りばめた「イージス」

単純なラッパ譜に複雑な和声を伴って重なってくるブラスのメロディが、
次第に広がりを持ちつつうねりを見せながら展開していくさまは、
壮大な宇宙すら感じさせ圧巻です。

護衛艦に乗っている自衛官がこれを聴いて感動しないわけがありません。

「イージス」~海上自衛隊ラッパ譜によるコラージュ

http://www.youtube.com/watch?v=VvqbizExUbQ




「遥かな海へ ~ Beyond the Sea, far and away ~」

夜明け前の海の描写に始まり、艦艇が出港し勇壮に海原を駆ける様子から、
やがて航海­が終わり入港するシーンまでが描かれた曲。
最初の方には打ち寄せる波の音さえ表現されています。
護衛艦の「掛け声」が盛り込まれ、あらゆる意味で自衛官にしか書けない音楽といえましょう。


http://www.youtube.com/watch?v=JIawQxZQbY0



河邊一彦2佐
は宮崎県出身。
新燃岳の火山灰被害や口蹄疫などで苦しんだ故郷を応援するために
組曲「高千穂」を作曲しました。
壮大でありながらまた抒情的で美しく、高千穂の地を訪れたわたしとしては
「進孫光臨の聖地」であるこの地にとって最高のテーマソングであるといえます。

また、断言してもいいですが、これは演奏する者にとって非常に「気持ち良くなれる曲」でしょう。


組曲「高千穂」

I. 「天の逆鉾」

http://www.youtube.com/watch?v=3N2dTfcKeEg

II. 「仏法僧の森」

http://www.youtube.com/watch?v=SLaUIKkm8gA

III. 「神住む湖」

http://www.youtube.com/watch?v=847ssyxVaxY

VI. 「紺碧の空、雲流る」

http://www.youtube.com/watch?v=P7wgT_ns9UY&feature=endscreen&NR=1



東日本大震災の犠牲者を弔い、被災者を応援するために作曲 された
「祈り」

http://www.youtube.com/watch?v=DRG3WEelkj8

前述の太田二曹と三宅三曹のコンビが奏でる鎮魂の調べ。

「どこぞの局がまき散らしている支援ソングと称する『似非名曲』
よりずっと心がこもっている」

というコメントをこの曲の紹介と共にいただきました。

そうなんですよ。

今年の始め空挺団降下初めに参加したとき、海上にBGMで流れていた
「アイラブユーふーくしーま~」♪
という「東北応援ソング」。
わたしはこの曲に対し、「聴いていてイラっとする」と苦言を呈しました。
なぜかというと、理由は簡単。

「下手だから」。

音楽を音楽として評価するより先に「鎮魂」「応援」とすれば、
「気持ちがこもっているからケチが付けられない」
またそれに胡座をかく曲は、はっきりいって「音楽的に卑怯」だと思っています。

問題は、音楽にはそれそのものの持つ力があるので、たとえ音楽的に稚拙でも、
その状況に置かれて耳にした人が感情移入し、その結果
「いい曲」「名曲」と認定されてしまうことです。


昔「千の風になって」という曲についてそのようなことを言ったことがあります。

英語を翻訳したベタな日本語(素人仕事)に付けられた安直なメロディ。

「死んでなんか~いません~」♪

というラインには音楽関係者の末席を汚すものとして、
歌詞、メロディ共におもわず殺意を覚えるくらいです。

同じ題名を持つ曲でも、英語の原語で書かれたいくつかの「千の風になって」の方が、
総じて音楽的にもずっと完成度も高く、評価できるのですが。

しかし、実際世の中には日本語の「千の風になって」を聴いて涙する人がたくさんいる。
大切な人たちを失くした傷心の心に、この歌は文句なしにしみいるからです。
そんな人たちに向かって「この曲は稚拙ですよ」なんて言えるでしょうか。
本当の意味の「確信犯」、つまり

「心の底からいい曲だと信じきっている」

(音楽的に言えば犯罪ってことになりますが)人たちに向かって。
こういう「文句のつけようがない」シチュエーションで音楽を作る、つまり

「音楽的卑怯」

とはこういうことを言うのです。

参考までにメアリー・エリザベス・フライ原詩による
『千の風になって』Do Not Stand At My Grave And Weep
を三種類貼っておきますので、ご存知ない方は聴いてみてください。
歌詞は同じですが、全く違う曲です。

リベラ
http://www.youtube.com/watch?v=A0gQEymR9PQ

キャサリン・ジェンキンス
http://www.youtube.com/watch?v=jynpGNaSAMA

作曲者不明
http://www.youtube.com/watch?v=abydD4StrZo

そして、この方のおっしゃるNHKの「似非名曲」について。
こちらがなぜ評価できないかというと、
それは

「狙っているから」

の一言に尽きます。

今回、この曲についての音楽的な観点からの感想を求められました。
何度か申し上げたようにうちにはテレビが無く、NHKを観ることもないので、
これがどんな曲なのかちゃんと聴いたことがなかったのですが、
この機会にyoutube検索をして聴いてみました。

「はるかぁぜぇかー おる」(「かぁぜぇ」が不自然)
「あのまちをおもいー だす」
「だーれかのーえがおー がみえる」(ここが一番おかしい)
などの歌詞のぶつぎれからは、曲が先行して、
歌詞が後付けなのかと思ったりもしますが、たぶんそうではないでしょう。

というのがメールを下さったこの方の感想です。
これはですね。
「おかしい」と思われる原因すべてが、

「作曲と作詞が、全く独自に行われた」

ということから来ていると思われます。
この「歌として不自然」な歌詞とメロディの「合わなさ」は、
まずこの曲を歌に合わせてではなく、器楽を念頭に置いた旋律で書いたことにあります。

「歌いやすさ」
ということをもし考えたら、作曲者は「はるかぜ かおる」「おもいだす」
いずれのフレーズも、跳躍しつつ下の第三音まで行ってしまう、
というような「器楽的終止」はしないのが普通です。

そして「誰かの 笑顔が 見える」ではなく
「誰かの 笑顔 が見える」となってしまっているのも、
最初に曲があり、字数のあう言葉を当てはめたからでしょう。

一般に歌曲を書くときは、言葉のイントネーションさえ逆にならないようにするのですが、
この曲に関してはなぜこうなってしまったかというと、つまり

「宮城県出身の作曲家と宮城県出身の作詞家」(いずれもNHKお抱え)
に、被災者応援ソングを書かせ、それを大物に歌わせて感動させる

という企画がまずあって、そのうえで「狙って作ったから」だと思われます。
昔、同じような胡散臭い「We Are The World」という、ボブ・ゲルドフによって
企画された「似非チャリティソング」がありましたが、そのたぐいですね。


「千の風に乗って」は素人仕事ゆえ稚拙な歌詞に簡単な旋律ですが、
こちらはどちらもが一応「プロレベルの仕事」をしています。
これはお互いほとんど連携も取らずしゃんしゃんで一丁上がり、
つまり「プロの臭み」という意味です。

このあたりの齟齬が不自然な節回しとなって表れているのでしょう。
「みんなに歌ってもらうために作った曲」と思えないのはそのせいなのです。


わたしもまたこの方のように、この曲がプロの仕事であるからこそ
厳しく言いますが、これを歌としてこれは全く「ダメ」な方だと思います。
「千の風になって」より、ある意味悪質です。


いい曲でしょ?悲しいでしょ?こんな大物たちが皆無償で協力して凄いでしょ?
こういうあざとさが見えるからです。

このような商業的な巧みは企みにも通じます。
とくにこのテレビ局、震災のための義捐金を、民主党の安住を通じて
着服していたと言われるこの局がいくらこんなことをしても、
胡散臭い、偽善的、鼻につく、そんな感想しか浮かんできません。

「商業的下心」「技術的に稚拙」
そんな音楽が不幸に遭った人々の心につけこんである程度は騙せても
気付く人は気づくのです。


翻って自衛隊の音楽家たちの演奏について考えてみましょう。

彼らの創る音楽にはこのどちらの要素も存在しないし、またする理由もありません。
なぜなら、彼らの演奏は金銭に換算されるものではないからです。
そして、理論的にも技術的にもしっかりとした基本に支えられています。

自衛隊音楽隊の演奏、そしてその存在にこれほど皆が注目し、
またその音楽に惹かれるのも、某局の「似非応援ソング」のような音楽が持つ
胡散臭さとは対極のものがそこに感じ取れるからかもしれないと思ってみたりします。