ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ボビとエリノア「プレーン・クレイジーとフライング・フラッパー」女流パイロット列伝

2014-06-01 | 飛行家列伝

昔々のスポーツ根性マンガと呼ばれるものは、
主人公に対するライバルの存在なくして
話が成り立ちませんでした。

矢吹丈には力石徹、星飛雄馬には花形満。
鮎原こずえには早川みどり。朝丘ユミには椿麻里。
岡ひろみには竜崎麗香。一条直也には赤月旭。
ほかは、えーと・・・・・


とにかくその非現実的な戦いの世界では、平成26年現在、
どことは言いませぬが某テレビ局が、フィギュアスケートやサッカーの試合で、
「お隣の国」を持ち上げる以外、
実生活ではまず聞くことのない、
「宿命のライバル」などという言葉が乱舞していたそうでございます。

これらの「男の世界」に対し、女子スポーツマンガはその
「宿命のライバル」が、恋敵も兼ねていたりして、
それでなくても辛気臭い世界がより一層ドロドロしていたような
・・・・・偏見ですかね。


自分が女性であるからわかるのですが、女性というものは一定数集まると、
必ずと言っていいほど対立が生じるものです。
グループ対グループ、個人対個人、個人対グループとその形態は様々ですが、
時としてそれは陰湿ないじめにつながり、陰口や噂話はもちろん、
相手を陥れるための陥穽を弄したり、告げ口したり。

お掃除のおばちゃんたちであろうが大学病院の研究室であろうが、
不思議なことにその知的経済的レベルのいかんを問わず、

女性のグループの数だけ、そういったことは起こるのです。

女性というのはどんな場所にも「敵」を作らずにはいられない生物である。

小学校2年にして「親友」を装ったクラスの女子から陰に日向に苛められて以来、
そういう女の世界を今日まで渡り歩いてきたエリス中尉は断言します。

何が言いたいかというと、一般的に女性は「好敵手」というような
美しい敵対関係を
相手と築くことができないのではないか、ということなのです。

今までシリーズでお伝えしてきた、飛行機黎明期における女子飛行士界においても、
そうではないかと思われる事例が散見されました。

たとえば、ジャクリーヌ・コクランとナンシー・ラブ。

同じように陸軍に、しかも同じ人物に「女子航空隊」設立を提案し、

別の方向から働きかけて、できたらできたでどちらが隊長になるのか、
この成立の過程に、どうも飛行家としての二人のライバル心が見え隠れし、

「最初から二人で協力しあえばよかったのでは」

とわたしなどはつい思ってみていたものです。もちろん歴史をですが。


この二人がお互いをどう思っていたかを記す文献は一切ありませんが、
いずれにしても当時の女性飛行家などというごく少数の女たち、
しかも我こそは世界一を目指す気概と野心に満ちた「先駆者」同志が
美しい友情でも結ばれていたと考える方が不自然というものです。

・・・・偏見ですかね。



さて、本日冒頭に挙げた、マニッシュな雰囲気の女性。

イヴリン・”ボビ”・トラウト

あだ名の「ボビ」は、当時最新流行だったボブ・カットをトレードマークにしていたから。
このときはその髪をぴったりとポマードで撫でつけ、まるで男装しているかのようですが、
彼女が「コピー」したのは、当時の人気女優アイリーン・キャッスルの「ボブ」です。

ボビは16歳と、とても早い時期にその飛行家としてのキャリアが始まっているので、
航空史上、先駆とも言うべき飛行家の一人です。

彼女イブリン・トラウトがイリノイに住む12歳の少女であったとき、
当時珍しかった飛行機が彼女のまさに上空を通過しました。 
この偶然が、彼女に「いつか飛行機に乗りたい」という夢を与えます。

家族はその後、ガソリンスタンドを経営するのですが、家業を手伝うある日、
イブリンは、家業のスポンサーであるW. E. トーマスに、問わず語りに夢を語りました。


「トーマスさん、わたし、いつか飛行機に乗ってみたいの」

「ほう、どんな飛行機に乗りたいの」

「わたしが12歳の時に空を横切って行ったのは、カーチスJN-4だったわ。
ああ、あの美しい飛行機を操縦して、一度でいいから空を飛んでみたい!」

「偶然だね、イブリン。
君が今話している目の前の人間は、そのカーチス JN-4のオーナーだ」

「なんですって!トーマスさんが?」

「乗ってみたいかね?」

「ええ!乗ってみたいわ! おお神様(Oh,my God!)」


(以上エリス中尉の妄想による創作でした)

ってなありがちな展開の二年後。彼女は、シカゴ→ロスアンジェルス間を、
このカーチスに乗って初飛行しています。

その後飛行学校にも通うのですが、彼女はこの時事故を起こしています。
低空をに飛行していているときに45度のターンを若い教官から指示され、
それに従った彼女の機はコントロールを失い墜落しました。

しかし、この事故も、彼女を飛行機から引き離すことはできませんでした。
ますますその世界にのめりこんだ彼女は、おもに無給油耐久飛行の分野で、
いくつかの「世界初記録」を作っています。

彼女が飛び始めたきっかけは、他の女性飛行家に同じく、

「男性のパトロンの助けがあったから」

で、実家が超大金持ちだったり、または富豪を捕まえたりした飛行家以外は、
当時は皆このような「パトロン」を募って飛行機を続けるのが普通でした。



彼女は中性的でボーイッシュな雰囲気をトレードマークにしており、
また生涯結婚しなかったということですが、これを見る限り、
中身まで男性的だったというわけでもなさそうです。

しかし、いくら凛々しい青年のように見えても、所詮は(当時の)女。
飛行機を続けるためにより多くのスポンサーを探さなくてはならず、
それは彼女にとっても容易なことではなかったようです。

そこで、

「中性的な彼女が若い美人女優と組んでペアで耐久飛行」


という、もし成功すればおじ様たちがさぞこぞってスポンサードしてくれるような
キャッチ―な挑戦を企画しますが、このときにペアとして組まされた相手の
エドナ・メイ・クーパーという無名女優が(おそらくですが)
箸にも棒にもかからない
『使えないやつ』だったため、
出発したものの、
即座に技術的な問題が発生し、
断念せざるを得なかったそうです。



彼女はまた、1929年の女性ばかりのダービー、
パウダーパフ・ダービーに出場して、
入賞はなりませんでしたが、
完走は果たしています。




それにしても、アメリカ人というのはどうして写真を撮るときに、
ポケットに手を入れるのか。

今まで見てきた中で、「ちょっとした演説」をするとき、アメリカ人は
必ずと言っていいほどポケットに手を入れていました。
どうも、手のやり場がないのかもしれません。

最初の画像におけるボビもわざわざ座っているのにポケットハンドですし、
このエリノア・スミスに至ってはご丁寧にも両方です。

二人とも、ズボンにネクタイという「飛行スタイル」で、
男性を気取っているので、
ポーズもこのようになってしまうのでしょうか。

エリノア・スミス

さて、こちらはボビよりさらに早く、
6歳で兄と一緒に自分の飛行機を持っており、
10歳で飛行機のレッスンを始めるという、超英才教育を受けた飛行家です。
父親は俳優でありボードビル芸人で、ブロードウェイにも出ていた芸人でした。

物心つくかつかないうちから乗っているのですから、
飛行機はまるで彼女にとって自転車のような乗り物だったに違いありません。
自転車代わりに飛行機に乗ってきた彼女は、その後も挑戦と記録を打ち立て、
世間では若いうちからすっかり有名人でした。



ところで冒頭に延々と「女同士の好敵手」というものが存在するかどうか、
卑近な例をあげてお話ししてきたわけですが、このボビとエレノア、
ちょうど飛行機黎明期、さらに1928年からしばらくの間は、全く同時期に
世間で騒がれていた女流飛行士同志だったわけです。

それだけでなく、彼女らは、耐久飛行について互いにしのぎを削っており、
記録をどちらもが破って破られてという熾烈な「女の戦い」を繰り広げていました。


はたして彼女らはどのようなライバル関係だったのでしょうか。


続きはまた次回。

 

 

 

 


空挺レンジャー~「階級略奪式」

2014-06-01 | 自衛隊


新しくレンジャー過程訓練を受ける隊員たちが、
「山に行く」、つまり転地訓練を行うための資格試験である
最後の耐久レースに生き残った、というところまで話しました。

このドキュメントでは障害コース15周を55分以内に終了する、
という資格試験で不合格だった隊員について触れていません。
この段階では元々体力があると云う前提で集まって来る隊員ばかりなので
落伍者はでないということなんでしょうか。

それとも隊員の将来のためにあえて触れないだけで、実は何人かは
ここで脱落してしまうものなのでしょうか。




房総半島を使って行う教育訓練は1ヶ月にわたります。



昭和33年に空挺レンジャー教育が始まった鋸南町には、
このような「発祥の地」の碑があります。

現地の人々の協力あってのレンジャー訓練なのですが、
なんといっても当時のこの地の神社氏子が、快く境内を提供したことが
ここを後に続くレンジャー教育の「聖地」にしたようです。

自衛隊の
だけではなく、警察、消防のレンジャーもここで訓練を行います。



発祥した昭和33年当時でしょうか。
朗らかなおばあちゃん達の隅で、銃を食い入るように見ている
わかめちゃんカットの女の子の目が真剣に怯えています(笑)



まずは山地潜入技術。



挺進訓練においてロープを使ったこれら訓練は
大変重要なものです。
50年以上ここで繰り返されてきた訓練。
おそらく訓練内容も長年の間により効果的なものへと変わって来たに違いありません。

体をロープで結んで、切り立った屏風岩の崖を走りながら降ります。

「怖がんないでもっと大胆に!」

などと言われていますが、これきっと怖いと思う。
地面に対して平行に駆け下りて行くわけですから。



山に行く、といいつつ勿論水上行動もあります。
これは水路潜入技術の訓練。
第一空挺団はやはりこうしてみると日本の海兵隊という位置付けですね。

わざわざ乗っているゴムボートを皆でひっくり返しております。
このまま皆でこっそりとボートの下に隠れて潜入する訓練かな。

山中の湖ならこの訓練も夏場はまあたまには気分転換になっていいか、
と思いきや、海でやっている模様。

これ・・・・冬もやるんですよね?



お次は第0想定。
なにが0想定なのかしら。
これは山岳総合コースといい、装備を担いだままロッククライミングです。
ハーケンの打たれたほとんど90度の岩を、ロープ一本に命を託して登ります。



垂直崖の降下。

「手離すなよ!」

と下から声がかけられます。
体はワイヤで吊るされていますが、ロープをガイドにして降りて来るため、
手を離したら態勢が安定しません。

体を時計の針のようにくるくる回転させながら降りてきます。



下では隊員が3人でがロープを支えています。

やっていることも大変だけど、こんな山の中って、たぶん虫とか凄いんだろうなあ。
多少の辛いことはその場になれば耐えられるかもしれないけど、
わたしはまず蚊とかブヨとか蛭なんかと触れ合う可能性がある、
というだけで情けないけど耐えられそうにありません。

家の中に一匹蚊がいるだけでパニックになってしまうなんて問題外?



こういう極限状況で訓練をしているからこそ、災害派遣では
命知らずの救助活動が可能となるのです。

渡したロープを片足かけて移動。
これは、駐屯地で前もって地上訓練をして臨んでいます。

この映画が取られたときはそんなに暑くも寒くもなさそうな季節でしたが、
空挺館でレンジャー隊員を目の前に聞いた話によると、
レンジャーの転地訓練は4月入校組と10月入校組があるため、

「だから、冬に当たったグループは大変です」

でもわたしはどちらか選べるなら冬にするかも。
寒いのと虫とどちらが嫌か、という選択肢だから断然冬。



さて、訓練の合間には教官と助教(教官の補助)の
ミーティングも行われます。
全員見事にクルーカット。
まるで判で押したような「陸自タイプ」です。



議題は練習生の健康状態についての報告になっています。

「だれそれが足を引きずっているので、同行する教官しっかり見るように」

想定訓練の内容は長年の歴史があるのでほとんど変更なく行われ、
その方法については新たに話し合うこともないので、
教官たちの報告はほとんど訓練生の健康状態が中心になるようです。

「全員無事で連れて帰ること」

がレンジャー過程の最大にして最後の目的だからです。
人間の体力の限界に挑戦するような訓練であるからには、最悪の、
隊員の命が失われるという可能性はつきまといます。

現実にレンジャー過程では過去死亡者も出ているそうです。



学生たちは黙々と小銃の整備を行っています。
無駄口を叩いたりする者は誰もおらず、沈痛な雰囲気です。

そして彼らのいでたちは、OD色の上着の下に青虫ジャージ。
これも陸自の「普段スタイル」としておなじみの、えー、
(ダサいという意味で)究極のコーディネートです。

当然ながらこのジャージは、大変隊員の間で評判が悪いそうですが、
古来から断固として変えられることなく使用され続けている定番なのです。

なぜいつまでも変えられな
いかというと、これを着るのはまず新兵ですし、
仮に制服を変えられるくらいその後出世したとしても、
そのころは
こんなもの着なくてもよくなっているからなのでしょう。

のど元過ぎれば、ってやつです。ちょっと違うかな。 


正式には「体育服装」というこのジャージ、別名「年少ジャージ」。
入隊と同時に貸与され、着用時期が終わると次世代へと、
その恥ずかしさとともに受け継がれて行くというわけです。

実際にこのジャージを着て一人で走っていた新兵が、
年少、すなわち少年院から脱走してきたと勘違いされて通報された、
というトホホな話もあり、どんなにやる気のある新隊員でも、
これを着るだけで士気が確実に何割か落ちるとまでいわれているそうです。

しかしここはレンジャー過程のやる気にあふれた隊員たち。
少なくとも彼らが青虫ジャージにやる気を失っている様子は微塵も見えません。


当たり前か。


服装や髪型などに士気を左右されるような甘っちょろいことでは
この先もこの地獄の訓練に生き残ることは出来ないのです。

入学式には空自の隊員は長髪にしていましたが、見る限り
全員が見事におそろいの、頭頂だけを少し伸ばす陸自カットにしています。
さすがに丸坊主にしてしまう人はあまりいないようですが。

さて、黙々と小銃の手入れをする彼らのところに教官がやってきて、
夜9時に点呼を行うこと、そしてその際カッターを持って来るようにいいます。

カッター?



理由は、この隊員が持っている固形燃料の乗ったトレイにありました。



「本日今以降階級はないものと思え!
今から階級の略奪式を行う!」


訓練に際し、なぜか階級章を切り取って、燃やしてしまいます。

「戦闘隊長の指揮下に入るんだぞ。階級ではない!」




元陸幕長とお話ししたとき、

「どんなに詳しくても(これはわたしの方を見て)
自衛隊のことは
自衛隊員でないとわからないことがある」

とおっしゃったのをふと思い出しました。

この「階級ではない」という言葉、
どう考えても論理的な理由はさっぱりわかりませんが、これはすなわち
一個の人間として素のままでこの訓練に耐えよ、ってことなのかな。

自衛隊員ならその理由が何か明確にわかるのかもしれません。


もしかしたら単純に覚悟を決め、士気を高めるための「儀式」
リチューアル、と言った方が当たっているかもしれませんが。

いかに非合理的なことに見えても、こういう儀式めいたことが重んじられる、
それを理解することもまたレンジャー訓練というものなのでしょう。

たぶん。

というか、彼らは訓練が終わったら階級章また買って、付けないといけないのか。
それはお気の毒。(お裁縫的な意味で)



以前の崖登り滑り降り訓練を「第0想定」としていたわけが分かりました。
ようやくここに来て「第1想定」が開始されたということです。
なんと0300の非常呼集です。
非常召集だけあって時間も非常識です。

皆起きたらすぐさま飛び起きていますが、つまり着の身着のままで寝てたのか。
歯は?歯は磨かせてもらえるの?



教官から「想定の付与」が行われます。
その後、皆自分の携行する地図と想定を真剣に照合。
ここでぼーっとしていたら自分一人山中に置き去りにされかねません。



付与された想定に従って、火器爆薬の選定なども行われます。
幹部である戦闘隊長の元に皆が集合して打ち合わせ。



しかしこれだけの人数がいるのに洗濯機がたった二台とは・・・。
しかも、今時珍しい二槽式という・・・。(T_T)



いよいよ状況開始。



隊容検査は装具点検と作戦の確認も含みます。
誰の顔にも緊張が感じられます。
一人として笑いを浮かべている者はいません。



各人の任務確認。

「敵のか、か艦船、補給路を破壊し、敵の補給活動を妨害します」

言い方は若干覚束ないけど、まあよろしいでしょう。
全般的にこの映画でインタビューを受けている隊員には、上から下まで
弁舌爽やかだったり立て板に水のごとく流暢な演説をする者はなく、
むしろ黙って行動しているときの重々しさからは不似合いなくらい
ぎこちなく訥々としゃべる傾向にあります。

海自で「副長や海曹長の条件」として「話が巧いこと」
つまり言語での伝達能力が重視されるということを書いたことがありますが、
戦う場所が違えば要求される能力もまた違うということでしょうか。

この山中でのレンジャー訓練に要求されるのは、まず体力であり、
極限下でも判断を過たない直感的な状況認識力かもしれません。




学生の装備一式はおよそ10キロの重さがあります。
それを背負って行動するわけですが、どこのレンジャー教育よりも
この装備は重く、かつ実践的なのだとか。

しかしそれだけではありません。
それに個人装具、89式小銃を加えると30キロ。
さらにそれぞれの任務によって爆薬や武器等が加わります。
小学生の子供一人背負ったままずっと行動するようなものですね。



彼らが歩いているのを見ると、軽く50キロくらいはありそうです。
一旦腰を下ろしたら自分では担いだまま立てないので、
周りが荷物を抱えて助け合ったりするくらいなのです。

そういえば、高山病にかかった高校生の女の子を二人抱えて、
常人が4時間かかる山道を1時間で走破するメディックがいるという、
そんな「陸自伝説」もありましたっけ。

加えてレンジャー訓練は意識的に個人的な要求を削除されて行われます。
水、食料、睡眠、全て与えられない極限状態を作り出すのです。

しかし 
教官や助教はその目標については

「学生にけがさせないこと」「はぐれさせないこと」

などと、案外小学校の先生みたいなことを言っていて、
なんだか肩すかしをくらったような気分にさせられます。



そして隊長が

「一人の脱落、落伍者もなく帰って来ることを期待しておる」

とだけ訓示をします。
あまりにも単純ですが、それがすべて。

別の教官は

「落伍者が出て当たり前なんですよ」

と軽ーく言ってしまっています。
これは、毎年結構な数か脱落するのだと見た・・。


そしていよいよ状況開始です。


続く。