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海軍兵学校同期会ふたたび~「最後の一兵まで」

2015-06-01 | 海軍

元海幕長の講演会が終わり、出席者一同は会食の準備が行われるため
一旦部屋を出て皆ロビーでしばしの間待機となりました。
わたしが前々回ご紹介した山本五十六の書や大和の絵画などは、
全てこのとき時間つぶしに撮ったものです。

このとき、ガラスケースの中に自衛隊編纂による水交社発行の冊子(というより大全?)
があるのに気付きました。



「海上自衛隊 苦心の足跡」というシリーズで、正直このタイトルは
わたし的にはあまりイケていない気がしないでもないのですが、内容は

船務・航海 水雷 回転翼 掃海

とそれぞれに関係者(その任務に携わった自衛官)の証言を網羅した、
興味のあるものにとっては大変貴重な書籍です。

特に掃海についてはこういうちゃんとした記録を是非欲しいと思っていたので、
わたしはこれが購入できるかどうか事務局の方に尋ねてみました。
すると、水交会の会員でないとそれはできないとのこと。
水交会会員とは、海軍軍人か自衛隊員、またはそのOB、遺族に資格があり、
ただ海軍海自に興味があるという程度の部外者は普通なれないものなのですが、
唯一、抜け穴(といったら人聞きが悪いですが)があって、
現役会員の推薦を受ければ会員になることができます。

本を購入するためではありませんが、たまたまその前に、Sさんが

「もし会員になるんだったらわたしが推薦人になりますよ」

と言ってくださっていたので、それではぜひ、という話になったばかり。
これは渡りに船、とばかり、会員手続きと本の購入を同時に申し込みました。

「え、これ全部買うの?」

とSさんは目を丸くして苦笑しておられましたが、確かに全く中身を見ずに
これだけの本をポンと買うなんて(しかも自衛隊員でもないのに)、
水交会にとっても、おそらくまれに見る変わった人だったに違いありません。

すぐには用意できないということだったので会合が終わったら取りに来ることにして、

水交会を辞去するときには事務局の方が車まで段ボール箱に入れて運んでくださいました。

帰って早速目を通してみると、「掃海」は、戦時掃海を海兵46期の田村久三氏
(掃海関係者なら知らない人はいないという名前ですね)がまず回想しているのに始まり、
先日お話しした朝鮮戦争の頃の日本掃海艇の出動にまつわる思い出、
時代は現代になってペルシャ掃海に参加した自衛官たちの随筆、水中処分のあれこれ、
後半には伊勢湾台風にはじまり近年の災害派遣について、と大変濃い内容となっています。

皆様方にとっても大変興味深い内容であると思われるので、またこの中から
自衛隊の「苦心の足跡」をご紹介していくつもりです。



さて、先日この会合で行われた元海幕長の講演会の内容に私の意見を加え
一項を割いてお送りたわけですが、会合の最初からもう一度レビューします。
全員がそろってからまず、開会の辞、そして軍艦旗敬礼(写真)が行なわれました。

水交会なのでそういう音源には事欠かないらしく、ちゃんと敬礼ラッパが鳴り響きました。

ほとんどの元生徒は写真のように軍艦旗に対して敬礼を行っていたわけですが、
わたしやわたしの前にいた豹柄のブラウスの女性はもちろん行いません。
そして案の定(笑)、
わたしの隣のSさんも。


そのあと、解散して同時に結成された「クラス会」について、世話人会長に
押し上げられた(というか押し付けられたという方がいいかも)元生徒が、
要約すると、

「引き受けたは引き受けたが、わたしとしてもこういう歳であることだし、
お引き受けしてもどうなるかわからず、自信がないので、水交会の協力を仰ぎ、
一年ごとに活動内容を修正、継続可否を検討しながら進めることにした」

というようなことを説明したのち会計収支報告を行いました。
まあ、平均年齢が86~7歳とあっては、この腰の引け方慎重さも納得できるというものです。

最後の一兵まで継続を維持したいという気持ちはあるものの~」

というところで、会場から失笑が漏れました。
その後講演会が行われ、元海幕長の講演が終了したというわけです。




講演中元海幕長は自分のPCから写真や資料などを投影していたので、
それらが終わった一瞬、コンピュータの画面がスクリーンに写し出されたわけですが、
・・・・・どこかで、すごくよく見た覚えのある形の護衛艦が・・。

当ブログのアイコンは1.74の「ちびしま」ですが、これは174の「きりしま」と同じ
「こんごう」型の1番艦、「こんごう」です。
元海幕長は操縦出身なのですが、P-3Cでなく護衛艦をスクリーンにしておられると・・。

そういえば、講演会のなかで海幕長は、

「軍艦(護衛艦ではなく、軍艦と言った)一つを動かすための指令系統、
そのために必要な職種は社会の仕組みを反映していて、それは人間社会の縮図ともいえます。
そして軍艦は美しく、機能的で技術の粋が集められた文化の結晶なのです」

みたいなことを力説しておられましたっけ・・。
わたしが「ネイビーブルー愛好家」である理由の一端が言い表されているかもしれませんね。
さらに、海の上独特の「儀礼」「礼式」の美しさに対する憧れというのもまた、
わたしを海軍ファンにしている情熱の大きな原動力でもあります。



ところでこんな話の後に何ですが、わたしはこのとき、
画面に現れた元海幕長のパソコンのスクリーンを見て、ふと、
先日ある大学で教授が、講義のためにスクリーンに自分のパソコンの中の
決して人に見られてはいけない画面を映し出してしまって、
大騒ぎ・・・ではないけど少なくとも大恥をかいたという事件を思い出しました。

産経新聞ニュース

> 教授は画像を消し、そのまま授業を続けた。

(何事もなかったかのように)と付け加えられそうな文章ですね(T_T)
 
 

わたしの斜め前に座っていた方は、熱心にスマホで写真を撮っておられました。
名刺入れ兼用らしいスマホケースには、さりげなく海軍旗と錨のマークのシールが。

もしかしたら戦後自衛隊にいたことのある方かもしれませんが、いずれにせよ、
海軍の「釜の飯」を食ったという経歴は、たとえそれがたった1年半のことでも、
少なくともここにいる90名の人々の人生にとって、大きな意味を持つものなのかもしれません。

敬礼をせず軍歌演習のときには逃げている「軍嫌いの」Sさんにとってもです。
なんだかんだいいながら、戦後の兵学校の集いには必ず出席して来られたのですから。



懇親会の会食はなんと立食でした。

わたしは食事が出ることをまったく聞いておらず講演会だけだと思っていたので、
Sさんに「お昼ご飯出るんですか」ととぼけたことを聞いてしまったのですが、
この日の参加費を、Sさんはいつの間にかわたしの分も払ってくれていたことが判明しました。

Sさんは何人かの顔見知りに顔を合わすたびに、わたしのことを誰とも説明せず、

「僕より海軍のことに詳しい秀才でね」

などと、どんな顔をしていたらいいのかわからない紹介をしてくださったのですが、
横にいていろんな人に引き合わされているうち、だんだん、Sさんでも
ここにいる全員を知っているわけではないらしいとわかってきました。

「ご存じない方もたくさんいるんですね」

「顔だけ知ってるけど名前は知らないとか、話したことないとかそんな感じ」

60年もの間、ずっと顔を合わせていながらまったく話もしない人がいるというのも
なんとも人見知りする日本人の集団らしいと思ってしまったのですが、この日、Sさんは
今まで「顔だけ知っていた」人と、わたしをきっかけに初めて話をすることになりました。




一人でいたとき、元生徒さんが、胸の
名札を見ながら「◯◯のご親族ですか」と聞いてこられました。
どうも、わたしと同名の元生徒がいたようです。

「違うんです。ご縁があって去年の江田島にご一緒させていただきまして」


次に声をかけて来られた方にもそのようにここにいるわけを説明したところ。

「ほう、江田島といえば、ぼく、皆が見学している間ね、一人で抜け出して
古鷹山頂上まで登ってきたんですよ」

と仰ったので、思わず身を乗り出してえっ?!と叫んでしまいました。
この学年ということはどんなに若くとも80代後半、四捨五入で90になろうかという老人が、
おそらく、今のわたしなら息を切らすこと必至のあの峻険な山を登ってきたと。

なんでもこの方は11年前にも同じような機会に「裏の(本当の裏?)門を抜けて」
古鷹登山を敢行しておられるのだそうで、

「あのときは自分の体調が当日に良かったら登ろうと思って、そういう靴で来てました」

この日構内をほとんどバスで移動していながら、いっぱい歩かされて疲れた、
と文句を言っていた()Sさんにこの話を教えて差し上げたところ、

「え?古鷹山に?それはすげえなあw』

といってから会場を見回し、

「それどの人?」

わたしが指した方をご覧になるも、顔は知ってるけど話したことはないとのことです。
会合が終わった時、受付に名札を返す段になって、その方がテーブルの前にいたので
ご挨拶すると、わたしの代わりにSさんとその方が話し始めたというわけです。
わたしは水交会の入会書類を記入しなければいけなかったのでその場を離れましたが、
向こうの方で、その方がSさんに

「娘さんと一緒にこられてるのかと思いましたよ」

と言っておられるのが聞こえました。
Sさんはその人生で二回結婚をされています。
若き日はご本人も仰っていましたが「プレイボーイで」、かなりのMM。
やっかいなことにそれにKのつく「MMK」の方だったようで、60歳を過ぎてから
再婚した二度目の奥方とも結局は
別れた、という波乱バンジョーのジョーです。
(”25歳も違ったらうまくいくわけないですよね”とのこと。いやそれは人による略)

というわけで今はお一人のSさん。
若い時にそれこそもてすぎて困るほどいっぱい恋愛したのだから、
我が人生一点の悔いなし、なのかと思いきや、わたしがTOの話をすると

「(仲が良くて)いいなあ」

と羨ましそうにおっしゃるので、なんだかそういう話は憚られてしまいました。


とりあえず同期会では三番目の奥さんと間違われなくてよかったです(´・ω・`) 



 

続く。