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航空教育隊訪問記~P-3Cの操縦席に座った

2015-07-02 | 自衛隊

航空教育隊訪問記、続きです。
基地に到着し、海将に少し説明を受けた後、わたしたちは運転手付きの車
(運転してくれたのはWAVEさんだった)で滑走路に移動しました。

 

飛行基地って本当に広い。
滑走路とは関係のないところでもこんな広さです。
号令台のある緑の芝生は、大きく奥行きを見せて広がっております。

さすがは昔ゴルフ場があったというだけのことはあり、この芝も、
その当時からのものなのでしょう。

「ところどころに、ここはバンカーだったんだなというような場所があります」

と海将。
それにしても1920年代にゴルフをする人など、外国人でなければ社会の上層のごく一部、
政財界の大物かあるいは華族皇族といった人々だったと思われます。



車で移動しながらすべてのものをこの目に焼き付け、あわよくば写真も撮ろうと
注意を払っていたわたしの目に、グラウンドの一角が止まりました。
どうやら訓練生が何かグループで行うようです。
うーん、匍匐前進とかかな?

そのとき、裸眼視力2.0のわたしの目は、同時にその中に二人の女子隊員がいることを認めました。

「女性も一緒に訓練受けるんですか」

同乗していた案内の広報室長に聞くと、

「たいていの訓練は男女一緒に行いますね」

そのときわたしが思い当たったことがありました。

「陸自を描いた『ライジング・サン』という漫画があるじゃないですか。
あの中で、男性の自候生のチームに女性が二人入っていて、
わたしは漫画ならではの創作だと思っていたのですが、あれは『ある』んですね」

「今は普通にありますねー」

そうだったのか。
それじゃあの漫画みたいに、同じ訓練生に好意を持ったりとかいう話もありそうだなあ。 



車はエプロンに到着。
そして、車の窓からはP-3Cの姿が見えてきました。
車内でいきなり本気のシャッターを切り出すわたしに、案内の2尉は、

「写真なら近くで撮っていただけますから」

と言いました。
もしかしたらわたし、逸ってますか~?

しかしこの写真でご注目いただきたいのは機体の右下。
もうすでに二人の隊員がわたしたちの到着のために待機しています。

一人はおそらく内部の解説をしてくれる教官であろうと思われますが、もう一人は?



車から降りて(あまり近くに車は留めない模様)歩いて行くとき、
向こうに駐機しているP-3Cから、訓練が終わったらしく人が降りてきているのが目に入りました。



「赤い帽子をかぶっているのが練習生です」


という説明を受けて改めて見ると、皆お揃いの赤いキャップに青のイヤフォンをつけています。
ここにはいないようですが、女性の練習生もいるのでしょうか。

「いますよ。今は固定翼、回転翼関係なく女性の操縦はいます」

そういえば、この少し前に陸自の1佐と一緒に一席を囲んだ防衛協会の
理事長という方は、はじめてCH-47チヌークに乗ったときのことを、

「チヌークって、後ろ閉めないんですよ。
開きっぱなしのまま、うるさいからといってイヤフォンを渡されるんですが、
こわいなあと思いながら飛行が終わって、操縦席を見たら座っていたのが
女性だったんで・・・ええ・・・」

と言葉を濁したのですが、どうもこの後は「余計怖くなった」と言いたかったらしい。

失礼ですよね? 

男の人は、「女だから運転下手」なんてよく言います。
確かに女性には気の利かない空気読めない運転をする人が多いのは確かですが、
少なくとも自衛隊に入って操縦者になりたいと希望する女子に、そんな
ドンくさい人はいないと考えてもいいんじゃないですかね。

男性の志望者だって、志望しても全員がなれるわけではなく、毎回

「(脱落することを考えて)少し多めに採用します」

とのことです。
やはり適性というのは気力とやる気だけでは如何ともしがたいものなのですね。 



ブルーのキャップをつけて階段を上っていくのが教官でしょうか。

向こうではすでに整備隊が作業を行っています。
遠目でも作業しているのは年配の隊員に見えます。

ちなみに、実用課程といわれるここで訓練を受けるのは23週間。
例えば防衛大学校を出て操縦し課程に進んだ場合、ここでウィングマークを取るのは
だいたい遠洋航海から帰ってきて2年目の2等海尉になってから程なくということになります。

高校卒業後、航空学生として進めば、入隊してから4年目に1等海曹になりますが、
だいたいその頃、実用機課程を卒業するということになります。

年齢でいうと、防大卒がだいたい26歳、航空学生が23~4歳といったところでしょうか。
航空学生の場合は、その後江田島の幹部候補生学校に行き、1ヶ月の遠洋練習航海も行います。

操縦資格を取って実地部隊に入っているのになぜ今更遠洋航海?と思うわけですが、
このあたりも海自ならではの理由があるに違いありません。



左のほうにも一機駐機していました。
この基地で運用されているP-3Cは10機だということですが、このときも
3機くらい上がっている、という話でした。



さあ、それではいよいよ、P-3Cの中に入っていきます。



出てきました。

いや、わたしも内部の写真が撮れるとは思っていませんでしたがね。
わたしが気を遣って最初に「写真はどこまでとってもよろしいんですか」と聞くと、

「飛行機の内部に入るときにはカメラをお預かりします」

ということでした。
うーん、やっぱり厳しい。
今のカメラは撮っていないふりをしてずっと動画が撮れたりするから、
そういう不埒な行為を未然に防ぐためにもカメラは取り上げてしまうに限ると。

やはり実用機なので、アビオニクスとか、情報に関する部分は部外秘なんですね。

わたしは実
はこのとき、ニコンを預かってもらったのですが、小さなカメラバッグには
先ほどまで室内を取っていたSONYのデジカメが入っていたのでした。
まあ、バッグを開ける気もさらにデジカメを出す気もないので黙っていましたが、
考えたら、今の人たちはだれでも携帯を持っていて写真を撮れるので、
あえて「預かる」のは、手持ちのカメラ、という規定があるのかと思われました。


というわけで、内部の写真はありませんが、中に入ったことのないほとんどの方のために、
色々と思い出してみますと、
まず中はとりあえず広いです。

昔はまっすぐ立って歩けなかった長距離用飛行機もあったという話ですが、

どんな背の高い人でも天井に頭をぶつけることもなく歩けて、食事のスペースさえありました。
入って右手にはちょっとした調理スペースがあって、お湯を沸かしたり、食べ物を収納したりできます。

気になるトイレですが(え?気にならない?)、旅客機のと全く同じような大きさのものがあり、
中を覗くとなぜか「用途」が「大」に限定されていました。
よくわかりませんが、訓練飛行中にそんな用途で使用する豪快な練習生っているんですかね。
それと、「大」しかダメなら「小」はどうせよと。


P-3Cは11人で運用します。
内訳は操縦士2名、戦術航空士1名、武器員などの航空士8名というのがその内訳で、
戦術航空士はパイロット二人の後ろに席があります。


ところで、今回実際に乗り込む前に知っておけばよかったと思った雑学が一つ。
なおそらく日本の運用しているP-3Cだけだと思うのですが、機内にはどこかに

「鉛筆削り」

があるという話です。
確かに上空では鉛筆が一番確実に使える筆記具だと思うのですが、
なぜ鉛筆削りが「標準装備」なのか。
よっぽど上空で鉛筆が折れて困った隊員からの要望が多かったとか?

それがどこにあるのか、今となっては知るべくもなく、この話を読んだとき

「ああ、乗る前に知っていればどこに鉛筆削りが備えてあるのか教えてもらえたのに」

と歯噛みをしてってほどではありませんが、何しろ残念に思いました。
どなたがご存知ありませんかね?

っていうか、今度元海幕長にお会いしたら聞いてみようかなっと。

ところで、機内に乗り込み、コックピットのとこらまで説明を聞きながら行くと、

コーパイの席にすでに誰かが座っています。
誰?

実は彼は当基地の写真隊隊員でした。
カメラの持ち込めない機内ですが、せっかく見学に来てくださった方の
記念にとわざわざ自衛隊は写真を撮るためのカメラマンを動員してくれたのです。

いやもうこれは、感激しましたですよ。
しかも彼はわたしたちが車でそちらに向かう頃からエプロンに待機していて、
先に乗り込んで陽射しの照りつける暑い暑い操縦席で待っていてくれたのですから。



で、何枚か撮ってもらったうちの一ポーズ、わたしは今までの生涯でおそらく
最初で最後のVサインをしました。
日頃ディズニーリゾートなどで、カメラを向けると脊髄反射でVサインをしている女子を
生暖かい目で見てしまうこのわたしが、です。

「ママにしては珍しいね、Vサインしてる」

息子がこの写真を見せるとこう言ったのですが、わたしの中では無理もないことだったのです。
初めてのP-3Cでいきなり操縦席に座って記念写真ですよ。
おまけにここに来るまで海自の車でまるで防衛大臣のような下にも置かぬ扱い、
これが「勝利」でなくて何でしょうか。

続く。