ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

教育航空隊訪問記~基地全景

2015-07-09 | 自衛隊

関東近郊にある海上自衛隊の教育航空隊訪問記、続きです。

P-3Cの内部見学、消防車で放水体験、そして管制室見学。

いずれも、サマーフェスタの基地祭でもちょっとやそっとでは体験できない、
ちょっとだけディープな部分の見学をさせていただくという、貴重な体験でした。
それというのも、この訪問が基地司令の海将のご招待によるものであったからです。

自衛隊というところは基本的に来るものは拒まずという機関です。
その活動について国民に対し、広く理解を深めてもらうということを任務の一つにしているので、

基地祭や様々なイベント、海自なら艦艇公開、体験航海などで、せっせと内部を公開します。

しかし、誰でもかれでも飛行機のコクピットに乗せるわけにもいきませんし、
機密の多い航空管制室の中も、身元がはっきりしている人でないと入れません。

これは自衛隊が国防組織であるからには当然の対応で、どこからどこまでを
身分のはっきりした人に見せ、どこからどこまでは一般公開でもOK、ということは
自衛隊の内規できっちりと決まっているのではないかとも思われました。


潜水艦の追っかけをしている人がおそらく写真をいろいろとあげすぎて、
自衛隊から指導が入ったというお話もありましたが、それは潜水艦が特別だからで、
本当の軍機は、招待されたイベントや体験公開の参加者の目に触れるようなところにはない、

ということを現役の自衛官に確かめておきました(笑)

ところで冒頭の写真は、当基地に展示保存してあるかつての使用機です。

映画ではよく零戦の役をすることで有名な(似てませんけどね) 、

T-6 テキサン ノースアメリカン。

現地の説明にはSNJとなっていますが、これはT-6の海軍型です。
日本は航空自衛隊と海上自衛隊にT-6を導入していますが、
空自にはT-6Gが167機、空自には海軍型のSNJが48機配備されました。

そこでん?と思ってしまったのですが、SNJ海軍型というのは、
空軍型と何が違うかというと、おそらくですけど着艦フックがつけられるかどうか?
着艦フックなど金輪際必要にならない海上自衛隊に、どうしてノースアメリカンは
わざわざ空自と違う海軍型テキサンを売ったかってことです。

空自も海自も中等練習機としてしかこの機体を必要としていないので、
別に空自と海自で導入飛行機の機種を変える必要などなかったはずなんですけどねえ・・。




Bー65練習機

BはボーイングではなくビーチクラフトのBですね。




SNB型練習機

計器飛行や航法の練習の段階で使われたと言いますから、
現在徳島の基地で使用されているTC-90の前身ということでしょうか。

愛称は「べにばと」だったそうですが、きっと誰も使ってなかったと思う(笑)



V-107 バートル

防衛省は「しらさぎ」と名前をつけたそうですが、案の定だれもそう呼ばず
「バートル」と呼んでいたそうです。

海自はこれを機雷掃海ヘリとして運用していましたが、空自は救難ヘリ、
陸自は多用途で運用しており、日航機墜落の時には救難に出動しました。




この一帯は、今時都会では見ることのない田園地帯のような草地が残っています。
航空機の展示してある場所の向こうにはこんな風景が・・・。
黄色い花がまるでマネの印象画のように広がり、思わずシャッターを切りました。



さて、管制室の見学を終えた我々は、階段で一段降りて、展望台へ。
ここは管制室と違って、サマーフェスタなどでも入っていい(かもしれない)場所です。

案内してくださった広報室長の2尉は、


「わたしは江田島に行った時、(おじさんだったので)
若い人と一緒に訓練するのが大変でした」

とおっしゃっていました。
これは部内選抜のB幹部であったという意味ですかね。



その2尉が、

「フォークのようなエプロンの向こうを見てください。
あそこで飛行機の洗浄を行います」

とおっしゃる方向を見ると、 




水を噴射するノズルらしいものが設置された部分があります。


「海の上を航行してきたP-3Cをあそこで洗います」

「水洗いをするのは海面近くを飛ぶUS-2くらいのものだと思っていましたが」

「P-3Cも行います。鉄の塊が海の上を飛ぶので錆びてしまいますから」

「もちろんその後自然乾燥なんかさせませんよね?」

「手で拭きます」

「機体の上も?」

「はい、手が届かなくて大変なんですよ」

本当か。




基地司令の海将は現役のパイロットですが、過去一度だけ、ひやりとした経験をお持ちだそうです。
その詳細については、もしかしたら公開するべきではないかもしれないので書きませんが、
そんなときにも機長はまず機体をなんとか無事に着陸することを考えるのだそうで、

クルーは脱出することより機体にとどまることを選ぶかもしれないとおっしゃっていました。

機内の割と目立つところにパラシュートが装備されており、その数がどう見ても少なかったので

「ちゃんと人数分あるんですよね?」

と質問して笑われたわたしですが、実際にパラシュートを使用するという決断は
最悪の場合にも選択される可能性が低い、というP-3Cの「思考形態」のせいなのかどうか、
訓練生の降下訓練は行われないのだそうです。


それって怖くないか?


ちなみに、これも見学の時に聞いたのですが、P-3Cの事故で有名なものは、
硫黄島に着陸した機のパイロットが、
脚が出ないまま着陸してしまったというものです。
平成4(1992)年3月31日、車輪の出し忘れ警報装置をオフにしていたときに
運悪く(運じゃないか)車輪を出し忘れていたのにもかかわらず、そのまま着陸してしまいました。

乗員は幸い全員無事だったそうですが、着地の瞬間、さぞかしみんな心臓が縮んだでしょう。
胴体着陸の凄まじい衝撃と機体が地面をこする音の後、摩擦で機体に火がついたんですから。

おそらく乗員は翼の上に出ることができるハッチから脱出したのだと思われますが、
その後翼から地面まで飛び降りたんでしょうか。(結構高かったような気がしますが)

とにかくこの事故で100億円の機体・装備がスクラップになってしまったという話でした。


「パイロットはその後・・・?」

「退職しました」


この事故も、慣れから来るうっかりミスから来るものだったので、
情状酌量の余地もなかったということでしょうか。



展望台からの眺め。

広い基地の中には自動車教習所が見えます。
自動車免許をお給料をいただきながら取れる自衛官はお得かもしれない。

人生の必要悪みたいなものだからねえ、自動車学校に通う日々とそのためのお金は。

ちなみに、自衛隊で車の教習することを「教練」というそうです。



こちらも見渡す限り自衛隊官舎です。

たしかここに見えている建物のどれかが女子隊員棟だったと思う。
ちょうどこのとき12時少し前だったのですが、青い作業服の一団が
訓練を終えて隊舎に帰っていくところが写っています。

なお、写真に写っていませんが、今体育館を建て替えているそうです。




これは展望台に掲示されていた写真。
左の奥の地平線にうす~く見えているのが筑波山で、右側が取手市街となります。

「筑波山ヨーソロ~」

といって飛んだのは霞ヶ浦航空隊ですが、P-3Cでもヨーソロ言うんでしょうか。




平成26年3月の大雪の日、当基地はこんなことになっとりました(笑)
エプロンには基地所有の航空機が全機綺麗に並んでおります。

除雪車らしき車が出されたり、飛行作業のない隊員総出で雪かきしたり、
なんか大変だったみたいですけど、作業は結構楽しかったんじゃないかしら。(他人事)
それにしても、一面雪で覆われた滑走路とエプロン、さぞかし綺麗だっただろうな。



続く。