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掃海母艦の補給~海上自衛隊掃海部隊訓練

2015-11-27 | 自衛隊

夏の帰国以来、総火演、舞鶴地方総監部訪問、観艦式、入間航空祭、
そして音楽まつりと切れ目なく参加した自衛隊行事についてお話ししてきました。
これで本来ならば終わりとなるところ、実はわたしにはもう一つ、
自衛隊体験行事が控えていたのです。

掃海部隊の機雷処分訓練です。

一般人に見学をさせるという「公開行事」ではないため、
掃海艇に乗り込んでこの訓練を見学するということは本来不可能ですが、
今回ふとしたつながりから毎年行われる全国規模での参加訓練があることを知り、
そのときにたまたま話をさせていただいた自衛隊の偉い人(いつもいつも”偉い人”
で済ませていますが、これも姓名のみならず役職も上に行くほど数が少なくなって
特定しやすくなってしまうのでこういう言い方でごまかしております)が
に伺ってみたところ、やはり掃海隊の偉い人に話を通してくださり参加が叶ったというわけ。

一般人は観艦式などで護衛艦や輸送艦、潜水母艦や掃海母艦に乗ることができますが、
まず間違いなく潜水艦と掃海艦、掃海艇にのるチャンスはありません。
乗るだけでなく訓練を見学できるというのですから、わたしは狂喜しました。

喜び勇んで掃海関係だった”偉い人” に訓練参加の報告をしたところ、
2冊の関連書籍を参考までにとご紹介くださいました。

「世界の艦船」の掃海隊特集号と、大久保武雄著「海鳴りの日々」 です。

前者は、これまで行われた掃海隊の機雷処分訓練のレポートと、
戦後日本の、つまり自衛隊の掃海の歴史についての元群司令による考察など、
後者は元海上保安庁長官であった大久保氏が、当時初めて世に掃海隊の存在を
知らしめた歴史的記録でもあります。

どちらも初めてこういった訓練の内部に足を踏み入れるために必要な情報なので、
イベント参加とブログのエントリ製作の合間を縫ってなんとか一応目を通し、
当日に臨みました。



当日はソラシドエアの早割を利用。

「窓の下に雪をかぶった富士山がご覧いただけます」

というアナウンスに、一番窓際(わたしの座った列は全部空いていた)に
移動して覗いてみると、こ、これは!



飛行機から富士山を見ることはあっても、富士山「しか」見えないというのは
めったに見られない光景なのではないでしょうか。
この日の宮崎の天気予報は雨。おそらく富士山周辺でも山の下では曇りでしょう。

せっかくの訓練参加なのに過酷な1日になりそうだと覚悟していたのですが、
この光景を見て幸先がいいような気がしてきました。

宮崎空港でレンタカー(ホンダの四角い軽自動車)を借り、高速一本で

約1時間走り、掃海部隊の艦艇が寄港している港のある日向市に向かいます。

掃海訓練というのは一年に基本的には4回行われます。

2月に伊勢湾で行われる機雷戦訓練。

6月中旬から硫黄島で行われる実機雷処分訓練。

7月陸奥湾で行われる機雷戦訓練・掃海特別訓練。

そして11月、日向灘で行われる機雷戦訓練、並びに掃海特別訓練です。 

この4回以外にも例えば24年度だけ八代海で行われた訓練のように、
何かの目的で不定期に行われることもあるようです。

さて、日向市の駅前のビジネスホテルで、わたしは今回の訓練に参加する
きっかけを作ってくださった恩人と落ち合いました。

これらの訓練に何年も前から必ず参加し、掃海部隊の写真を撮り続けている
ミカさん(仮名)、掃海隊近辺でおそらく知らない人はいない有名人です。

自衛隊、ことに掃海隊の存在を知って以来、興味を持ち、
彼らと掃海部隊艦艇の写真を撮るとともに、彼らの存在を愛し、世間に
自分の写真を通してその活動を広報することをライフワークとしている

「得難いファン」(掃海隊の偉い人談)でもあります。

今回は右も左も分からないわたしにとって、頼もしいナビゲーターでもあります。
駅前のホテルに着いたのは10時くらいだったでしょうか。


本来、参加することのできる訓練は1日だけなので、前日の夜でもいいのですが、

ミカさん(仮名)の提案で前日朝から掃海部隊が入港してくるところを見ることにし、
朝0600時の便で入宮?し、翌日の1930の便で帰ってくることにしました。

超ハードモード。
翌日は丸一日、小さな掃海艇に揺られるのに大丈夫なのか?

しかし気力とこの貴重な機会をぜひこの目で見たいという気持ちさえあれば、
船酔いなんて、船酔いなんて絶対しないはずです!(伏線)


ミカさん(仮名)はなんと掃海母艦「ぶんご」が入港したら、中の人が
艦内ツァーをしてくださるという話をしてくれていました。
もしかしたらそれってわたしのために、わざわざ?
もうありがたくて嬉しくて涙が出そう。
これだけでもはるばる宮崎までやってきたかいがあったというものです。

しかし、自衛艦、ことに掃海隊の船の予定は基本的に未定。
艦内ツァーの件も前日まで決められなかったということでしたし、
しかもその当日の今日になって、「ぶんご」は入港がいつになるかわからない、
という連絡をミカさん(仮名)は中の人からラインで受け取っていました。

わたしは自衛官というのは任務中は携帯など全くできず、
下手したら勤務が終わるまで持つこともできないのかと思っていましたが、
今は決してそんなことはなく(教育隊でそうだったので、皆そうだと思っていた)
普通に作業の合間にラインを見たりすることも可能みたいですね。

「これからどうしましょう」

「ぶんごは洋上で子供たち(掃海艇・掃海艦)にご飯をあげてるので、
それをどこか岸からみれるといいんですけどね」

わたしが車で来ていたので、彼女のアプリで「ぶんご」の現在位置を見つつ、
どこに続いているのかわからない山道をぐるぐると走りました。



ようやく「ぶんご」が見える山の中腹のポイントを発見。

「もう少し海岸沿いに行けたらいいんですけどね」



とりあえずここから彼らの「餌やり」を見守ることにしました。



左手には宮崎牛の牧場あり。



牛さんがのんびり草を食んだり日向ぼっこしていました。



口蹄疫などの病気を食い止めるためか、柵の中に立ち入ることを禁止する札。
前のロープには電流が流れているという札もありました。
そうは見えなかったけど、確かめる勇気はありませんでした。



この日空を覆っていた雲の上から轟音が響き、新田原基地から飛んでくるらしい
飛行機が(これなんだろう)あきらかに「ぶんご」の上を旋回していました。
ご挨拶に来たのかな?



「ぶんご」お母さんは、両舷に子供を寄せて給油などを行います。
わたしたちが行ったときにご飯をもらっていたのは
「すがしま」型の6番艦、佐世保地方隊所属の「うくしま」。



「うくしま」が補給を終えて出て行く前に、「ぶんご」の右舷から子供が出て行きました。
なんと、同時に両舷で餌やり作業をしていたようです。

むこうにいたのはやはり「すがしま」型の4番艦、「なおしま」。
呉からやってきています。



次の「子供」が「もりもり近づいて」(ミカさん談)来ています。
「やえやま」型の3番艦「はちじょう」。



「はちじょう」くん、「ぶんご」に接近中。
掃海群第51掃海隊の所属で、横浜が繋留港です。



「ぶんご」の後ろ側のハッチが開いてボートが乗っていますが、
これは人が乗り移るときに使われていました。



なぜハッチに上がっているのかというと、この日は波がうねって
(というか、日向灘はこの季節いつもこのような状態らしい)高く、
ハッチからボートに乗り移ることができないので、乗り移ってから海面に
ボートを押し出すようにしたのだそうです。(後からぶんごの人に聞いた)



いつの間にか向こう側にいた子供が出航。
「すがしま」型の5番艦、「とよしま」、MSC-685で佐世保所属です。

「すがしま」型は今の海自掃海の主流で、もっともたくさんいるタイプです。



先ほどの艦番号303「はちじょう」くんのお兄ちゃん(船は女性ということになっているけど、
どういうわけか掃海艇は母艦が母で子供たちは男の子のイメージ)「つしま」くん。 

「やえやま」「つしま」「はちじょう」はいずれも掃海隊群第51掃海隊。
皆横須賀から来ています。

弟の「はちじょう」が左舷に先に付いているところにお兄ちゃん到着。
「ぶんご」お母さん大忙しだ。



子供たちはお腹がいっぱいになると、右回頭して寄港する港を目指します。
今日は着岸して上陸できる船が多く、おそらく隊員たちにとっては
貴重な機会なのではないかと思われます。



写真で見るとのべつまくなしに進んでいるようですが、実はそうではなく、
わたしたちがここで給油を見守っていたのは、もっといい場所を求めて
さまよっていた時間も含めて大体3時間くらいでした。

近くまで来ているのに、なぜか長時間待たされる船もあり、
「ぶんご」が一向に入港できないわけがよくわかりました。

「ぶんごの入港、夜になるそうですよ」

「た、大変だー」

「とにかくお腹が空いた。何か食べに行きましょう」

とりあえず何隻かの給油を見て気が済んだわたしたちは、
山を降りて自分たちの補給をすることにしました。

 

車の入っていけない道で見つけた謎の建造物。

「トマソン?」




野菜など売っているお店でみかんを買いにたちよったところ、
ブイを利用したかえるらしきものが。

 シュール。



朝から何も食べておらず、3時になって最初の食事にトンカツ。
山盛りのキャベツからいただくという配慮だけはしましたが。
この幹線道路沿いにあったトンカツ屋「不二カツ」、美味しかったです。

言うてはなんですが、山形県の発祥で今都会に進出している「ひらぼく」より
肉はやわらかく、衣は薄くさっくり、そして安い!
この定食(ヒレカツレディースという量少なめ)が1000円だったかな。

おまけに食後にはデミタスカップでコーヒーがサービスでいただけます。



ミカさんのいつもの(笑)
前回スカレーくん二羽だけだったのが、インコが増えておる・・・。



普通の定食はキャベツの山がこの通り。

さて、これからしばらく掃海隊訓練についてお話ししていくことにします。
そう、このわたしに一息ついている間は全くなかったのです。 



続く。