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基地訪問の記念品〜海上自衛隊岩国航空隊訪問

2019-02-11 | 自衛隊

岩国航空基地訪問記、最終日です。

じっさいにUS-2の内部を見せていただき、コクピットに座って
機体の前で記念写真を撮った後は、引退したUS-1Aの最後の機体を
この目とカメラに刻み、第71航空隊の資料室にやってきました。

部隊がこれまでに授与された盾や記念品が収められています。

上段左端の盾は、平成15年12月14日に授与された
救難出動700回達成記念

その二つ横は、救急搬送実績累計1000回を超えた記念
平成26年12月15日の日付です。

「シャクティ」はインド海軍の補給艦です。
日付も贈呈の理由もわからないのですが、贈呈者が艦長と士官であることだけわかります。

ちなみに、この週末帰国した「いなづま」はインド太平洋方面派遣隊として
昨年10月インドに寄港し、海軍同士の相互協力と信頼関係を強化する目的で
「かが」と共にインド海軍との訓練を行なっています。

インド海軍の参加艦艇の中に「シャクティ」も含まれていたようです。
写真の下にはサッカーのユニフォーム交換のようなことを海軍も行うのか、
「シャクティ」の帽子があります。

「いなづま」の帰国に当たってはわたしもお迎えに行ってまいりましたので、
またこの後にでもここでご紹介するつもりです。

どこかでみたつっぱりイワトビペンギンのマークは「みちしお」のマスコット。
その横は、木更津駐屯地の第1ヘリ部隊からの感謝状です。

「平成30年7月豪雨に伴うご行啓に対する支援への感謝を込めて」

 

ガラス棚に並んだキャップには

USS「ステサム」「キティホーク」「カリフォルニア」(クマのマーク)
USCG「ロラン・ステーション」(マーカスアイランド、JA)

などがあります。
ロラン「LOLAN」とはLOng-RAnge Navigation、地上系電波航法システムの一種で、
アメリカ沿岸警備隊は沖縄返還まで南鳥島にロラン基地を持っていました。

返還後ロラン局は海保の管轄となっていましたが、GPSの発達で不要のものになり、
2009年に廃止になっています。
なぜ沿岸警備隊のロラン基地のキャップがここにあるのかはわかりませんが、
第71飛行隊が何らかの支援を行なっていたことは確かです。

亀の剥製は父島村長からの急患搬送200回記念で贈られました。
亀・・・・贈られた方もこりゃびっくりだ(笑)

時計、メダル、名刺入れは、駐日大使ウィリアム・ハガティー氏からの記念品です。

岩国基地という米軍との合同基地であるため、資料には英語の説明もありました。
800名以上の人命がUS-1Aのサーチアンドレスキューによって救われたこと。

そして離島に住む人々の救難救急に活躍してきたこと。

US-2のスペックが簡単に説明されています。
でも、アメリカ人は多分メートル法で書かれてもピンとこないと思う(笑)

第71航空隊が今まで出動した救難実績を記したボード。
これからもその実績が増えればボードにマークが増えていきます。

ふと

「辛坊さんの事故ってどこだったんですか」

と尋ねると、聞かれ慣れているのか司令はためらうことなく
宮城県沖の一つのマークを指さしました。

「意外と本土近くだったんですね」

wikiによると、それはに宮城県・金華山の南東約1,200km沖合とあります。
わたしが思っていたより、東北方面に近い感じでした。

どなたかは存じませんが名前が読めない方の色紙の下に
「そこまで言って委員会」のシールが・・・・。

辛坊さん関係のグッズだと思いますが、もしかしてこれが救出のお礼のつもり?
ま、まさかね(震え声)

US-1Aの実績の中には、三沢基地所属のF-16から緊急脱出した
アメリカ空軍のパイロットの救助派遣というものがあります
おそらくこの本にはそのことも記されているのでしょう。

日本の沖合約1キロ地点の現場、30分の猶予しかない厳しい状況で
救助されたパイロットは、のちに在日米軍司令となって、岩国基地訪問を果たしました。

海兵隊ニュース「在日米軍司令が命の恩人と再会」

この時海上で救出にかかった時間は20分ほどでしたが、
クルーにとっては永遠のように長く感じられたそうです。

ジョン・ドラン中将は当時28歳の空軍中尉。
救出されてすぐ、彼は自衛官たちにこんなメモを寄越したそうです。

「わたしには妻と息子、妻のお腹の中にベビーがいる。
助けてくれたクルー全員に感謝したい」

この時に墜落したF-16戦闘機も空中給油中にタンカーと接触したのが
事故の原因だったということです。

なお、このニュースでドラン中将と一緒に歩いているのは
航空集団司令官、園田直紀海将です。

 

ところで、昨年末のレーダー照射問題はいまだに全く収まる気配を見せませんね。
あまりに支離滅裂、かつ痛々しい嘘をつき続ける韓国に日本側は呆れ果て、

「これ以上の話し合いは無駄」

と切り捨てたのを、韓国は根に持って(笑)どうやら今後日本の哨戒機を
見かけるたびに「威嚇飛行された」と大騒ぎすることにした模様。

その最初の衝突のきっかけとなった韓国海軍のイージス艦、
世宗大王と同級の駆逐艦の乗員が第71航空隊によって救出されたのをご存知でしょうか。

2010年(平成22年)8月12日、海上保安庁から災害派遣要請を受けたUS-1Aが、
急病(胃に穴が開き出血)となった韓国海軍の駆逐艦の乗組員1名を
宮城県金華山 沖880kmの海上で収容し、厚木基地に搬送した。
これは自衛隊が災害派遣要請を受けてアメリカ軍以外の外国兵を搬送した初の事例であった。

この件についてメディアが大きく取り上げたり、ましてや韓国政府が
(中国政府ですらお礼とともに記念品を贈って来ているのに)
何かこれに政府級で謝意を表したかについては、少なくとも
ここに展示してある記念品にそれは見られなかった、とだけ言っておきます。

陸自が困った韓国軍に弾薬を貸した時も、当の軍は大変感謝したのに、
上でそれを「握りつぶした」という話ですし、本当になんと言うか・・嫌気がさしますね。

「コリア・ファティーグ」ってアメリカからきた言葉だと思うけど、そのまんまって感じ。

さて、それでは最後に、この時いただいた記念品を大公開します。
まずお土産が入っていた紙袋。裏も表もUS-1Aです。

またもや海自のメダルのコレクションが増えてしまったぜ。
第71航空隊、アイボリーレスキューのメダル。

裏に刻まれた飛行艇はUS−1Aの方かもしれません。

こちらは岩国航空基地のメダル。
標的機のの部隊、電子戦機の部隊など隷下の5部隊のマークです。

航空基地のマークは錦帯橋とウィングをあしらって。
海将補からいただいたメダルなので桜が二つです。

こちらはUS-2をあしらったペーパーホルダー。

ものすごく立派すぎるクリスタルのペーパーウエイトも頂きました。
US−1除籍記念に式典を行なったので、参加者に贈呈されたものでしょう。

わたしにとっては、最初で最後にUS-1Aをこの目で見ることができた記念でもあります。

ーと、このネクタイを頂いたのが、岩国基地だったか
それともこの後の呉地方総監部からだったかがわからなくなってしまい・・・。
これって、自衛官がしているのと同じタイプですか?


 

第71航空隊の見学が終わり、持っていったお土産を航空隊司令にわたして
わたしたちは車に乗り込みました。
基地司令、航空隊司令、副長以下隊員の皆さんが整列してお見送りくださっています。

最後に資料室で航空隊司令とこんな話をしました。

「最後の飛行艇(日辻常雄著)という本があるんですが」

「読みましたー!」

「最後に二式大艇が着水し、焼却処分された池にこの間行ってきました」

あの本のそのシーン、燃える二式に敬礼をしながら皆滂沱の涙を流したという
その記述は、まるで実際に見た気がするほどありありと記憶に残っています。

「え、まさか、まだそこに機体が沈んでるとか」

「いや、それはもう昔に回収されてないですが」

「それって・・・聖地巡礼ですね」

(笑いながら)「聖地巡礼です」

司令によると、それは岩国基地から車でちょっと行ったところにあるとか。
(本を見つけることができなくて、その池の名前は不明)

わたしもいつか「聖地巡礼」でその場所に実際に行ってみたいと思います。

岩国基地から江田島に向かったのですが、もう気分が悪くなるほどの渋滞でした。
幹線道路なのにところどころ1車線になるので渋滞してしまうんですね。

江田島の幹部学校にはこのために遅れてしまったのですが、現地でそのことを言うと

「あの道はいつも混雑しているんですよ」

と気の毒そうに言われました。
つまり、常態的に混雑している道を普通に来ようとしたこちらの落ち度だったってことですわ。
以後反省して二度とないようにします<(_ _)>

 

というわけで、岩国基地と第71航空隊訪問記を終わります。

基地訪問に際して全てをお取り計らいくださった基地司令、
エスコートしてくださった広報の皆さま、水上艇について何から何まで詳しく、
そして熱く説明してくださった航空隊司令、副長、US-2乗員の皆さま方、
心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。