ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ヴェルニー公園から見た潜水艦出航

2019-02-15 | 自衛隊

 先日、派遣海賊対処行動水上部隊の一員として、
アデン湾等に派遣されていた護衛艦「いかづち」が帰国しました。

横須賀地方総監部では「いかづち」の帰国を迎える行事が行われ、
わたしも国民の一人としてお迎えをしてまいりました。

お誘いくださった方と朝9時にヴェルニー公園で待ち合わせることになり
メルキュールホテルの地下に車を停めて歩き出しました。

海軍関係の慰霊碑などがまとめて設置されているところを通りかかり、
久しぶりにまた写真を撮ってみました。

軍艦「長門」の碑。

在りし日の聯合艦隊旗艦長門の

姿をこゝに留めて

昭和激動の時代を

偲ぶよすがとする 政一書

揮毫した「政一」とは海軍中将新見政一のことで、撰文は
阿川弘之が行いました。

新見は戦後「海軍反省会」の最高顧問も務めていました。
海軍反省会は上は中将から下は少尉、予備士官までが名を連ねた
文字通り戦後の元軍人による「学習会」です。

軍艦「山城」の碑。
スリガオ沖で米国艦隊の集中砲火を浴び力尽きて沈んだ「山城」の
最後については以前もこの碑を紹介した時に調べて思わず涙したものです。

裏面には戦死者・不詳 三十三名 合計一、六二四名の名が刻まれています。

平成七年に、湾越しにかつて存在した海軍工廠を見守るように
建てられた「海軍の碑」。

旭日旗をあしらった黒曜石の碑石は、海軍終息五十年目に建造されました。
敷地内の掲揚竿には、海軍記念日に旗が揚げられるのでしょうか。

銘板が剥がされ、今となっては何のために建てられたのか
その意図も不明となっている「国威顕彰」と書かれた碑。

土台の上の部分が戦艦の艦橋を象ったものとなっています。
おそらく、戦後の「軍国主義的なものをパージする」という
あの時代に無残にもこのような姿になったものでしょう。

さて、この日の横須賀は震え上がるほどの寒さでした。
ヴェルニー公園のウッドデッキは、港を吹き上げる冷たい風に曝され、
週末だというのに公園をそぞろ歩く人の姿はほとんどありません。

外での帰国歓迎行事はかなり辛いものになるだろうな、
とコートの襟に身をすくめるようにして思わず早足になりかけた時、
潜水艦基地で、しお型潜水艦の出航作業が行われているのに気づきました。

外型の潜水艦のデッキにはオレンジのカポックをつけた乗員が
ほぼ整列するように並んでいます。

目刺しに係留されている向こう側の潜水艦との舫、
そして防舷物を外し終わった所のようでした。

自衛艦旗と星条旗が綺麗に並んでいるので二度見したら、
星条旗は向こう側の「ベンフォールド」のものでした。

それにしても「ベンフォールド」、少しは艦体のサビを何とかしてはどうか。

舫を巻き取っている・・・。

これはもしかして、いやもしかせずともこれから出航するつもりか。
でもちょっと待って?
今日って週末、つまり自衛隊といえども休みの日じゃなかったのか。

立ち止まり、写真を撮りながら集合場所に近づくと、そこで
連れも写真を撮っています。

「休みなのに出航するんですね」

「ブラック企業ですから」

しかも一旦出航したらしばらく帰ってこなかったりするんでしょ?
この極寒の港で作業をしているというだけでも大変そうなのに、
これが日常とは・・・。
改めて日夜問わず、週末も平日もなく粛々と任務を行う
自衛隊の皆さまの姿には頭が下がる思いです。

こちらが歩くにつれて角度が変わり、潜水艦の向こうに
沿岸警備隊のカッターが見えてきました。

 USCGC BERTHOLF 「バーソルフ」

というテントの文字が読み取れます。
昔「税収カッター」艦隊があった頃の司令官、

エルスワース・プライス・バーソルフ代将(准将)

にちなんで受け継がれている船名です。


この人の写真を見て、一度ご紹介したことがあるのを思い出しました。
アメリカのコーストガード・アカデミー見学についてお話しした時、
黎明期に「ベアー」というカッターでアラスカ遠征をした人です。

乗員たちの背後から支援の曳船が近づいてきました。

朝の冷たい空気の中でもうもうと立ち昇る白煙。
ギリギリまで潜水艦は充電を行なっています。

出航支援は二隻の曳船が行います。

最初から艦船を押すことを目的に作られた船体は、
船首そのものが硬化ゴム? のような素材でできているようです。

昔からあった形かもしれませんが、初めて見たような気がします。s

いよいよ押し船が近づく最後に盛大に白煙を噴く艦体。
乗員は白煙に包まれていますが、中に立つとどんな匂いがするのかな。

潜水艦出航作業をしているこちら側を、何隻かの支援船が通り過ぎます。
手前のユニークな「台だけ」の船体の戦場に立っている人(民間人)が
こちらに向かって手を振ったように見えたので反射的に振り返したのですが、
実は岸壁で親と一緒に立っていた子供が手を振っていたのでした。

彼らは「いかづち」乗員の家族だったかもしれません。

白煙が出ていたところからは排水が盛大に噴出しているのが見えます。
岸壁側に係留している潜水艦の乗員はいつものブルーの作業着ですが、
潜水艦乗員の着ているのはあまり見たことがないグリーンの上下です。

防水加工した潜水艦専用作業着かな。

歩いていくと、「バーソルフ」の後部が見えてきました。
艦体が白なので、汚いのが目立ちますね(−_−)

彼女の定係港は通常サンフランシスコのアラメダらしいので、
何かの任務で一時的に日本にやってきていることになります。

ちなみに海保の船には武器らしい武器は必要最小限しか搭載していませんが、
コーストガードの「レジェンド」級は、ボフォース57mm砲搭載です。

この写真を見る限り、ファランクス・シウスも搭載しています。

曳船が潜水艦の艦首側についてタグで引っ張る作業を始めました。

艦尾側も。

見ているとあっという間に支援作業は終わり、艦体から離れていきます。

潜水艦は自力で後進を始めました。
横に動けない潜水艦の艦体の角度を変えるだけの支援だったようです。

外側の潜水艦が出航していった後、岸壁側の「そうりゅう型」が
防舷物の片付け作業に入りました。
ということは出ていった「しお」型はもう今日は帰ってこないのでしょうか。

潜水艦の出入港の際、必ずフィンの上に立つ人がいます。
セイルの上にいる艦長以下出航作業の様子がよく見えます。

ある程度まで沖に出ると、先ほどの押し船のうち一隻が、
潜水艦の艦首側を向こうに押して、方向を変えてあげていました。

さて、ところで先ほど通過していた妙な形の船ですが。
まるでボートハウスのようなこれも変わった船を押しています。

何をする船かはわかりませんが、アメリカ海軍の所属であることはわかりました。
そちらに乗っているのも民間の日本人のようですが。

ちょっと調べてみたところ、YFN−934は「台船」だそうです。
なんと進水(まさか進水式はしてないと思うけど)は1945年3月。
進水と同時に就役したという(笑)、つまり大東亜戦争では
我が国と干戈を交えた戦歴を持ちます。

まじかよ。アメリカ海軍物持ちがいいな。

台船が乗っけているのはタンクなのか家なのか。
まさか・・・プール?

ところでノーズの向きを変えている潜水艦ですが、よく見ると、
支援しているのは二隻で、艦首と艦尾を押していました。

支援作業終了。
押し船が離れ、ここから先は潜水艦は自力で湾を出ていきます。

そして我が潜水艦は、週末の朝だというのに横須賀港を出発し、
今日も任務へと向かっていくのでした。

本当にご苦労様です。
そしていつもありがとうございます。

横須賀港には額が白く真っ黒な「オオバン」が泳いでいました。


さて、それでは横須賀地方隊に「いかづち」をお迎えに行きますか。