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欧州大陸海軍 模型展

2019-03-05 | つれづれなるままに

前回見学してここで紹介した艦船模型のクラブ、
ミンダナオ会の模型展示会がまたありました。

前回、会場で住所を書いたところ、年賀はがきをいただき
そこには2月に行われる展示会の通知が書かれていたのですが、
わたし自身は所用のため(一日しかやらない)伺うことができず、
その代わり、当日わたしと同じように自衛隊イベントを掛け持ちした
Kさんが写真を送ってくださったので紹介します。

今回は欧州、イギリスはもちろんですがドイツ、フランス、
ソ連などの古今の軍艦がテーマになっています。

冒頭写真はナチスドイツ海軍の戦艦なのは確か。
実際にこの目で見たわけではないので、船の名前は表示がなければお手上げです。

有名どころでとりあえず戦艦「ビスマルク」ではないかと想像してみる。

ビスマルクというと、ゆで卵の輪切りが乗ったピザのことですが、
(あれ美味しいんだよね)あの鉄血宰相のビスマルクから来た名前です。

ピザがなぜ鉄血宰相なのかというと、ビスマルクの時代、
イタリアとドイツは友好関係にあり(その後も枢軸国だったし)
宰相自身が美食家でいくつもの「ビスマルク風」料理を開発し、
その一つがこのピザだったかららしいです。

戦艦「ビスマルク」は1941年、デンマークでの海戦で英海軍の「フッド」を沈め、
「プリンス・オブ・ウェールズ」をいいところまで追い詰めたのですが
(その「プリンス」はその後日本海軍に沈没させられたのはご存知の通り)
その直後、英国艦隊との砲撃戦に破れて撃沈されました。

艦長のエルンスト・リンデマンは、激しい砲撃の中最後まで生きていましたが、
沈む「ビスマルク」と運命を共にしています。

最後に目撃された時、リンデマン艦長は艦首甲板に、2〜30名と共に立っていて、
艦長しか着用しない白い帽子を被っていました。
また別の生存者は、前部甲板にある38センチ砲の近くに艦長が立っていて、
伝令である一等兵(従兵だったのかも)に、艦が沈んだら泳いで逃げるように、
と説得しているようだったと証言しています。

一等兵が艦長の手を取り、一緒に前方に歩いて行った時艦が傾き出し、
二人は素早く気をつけの姿勢を取ったかと思うと、敬礼をしました。

その後、「ビスマルク」は左舷に向かって急激に傾き、伝令は
そのまま海に転落していきましたが、艦長はマストにしがみついて
身体を支え、敬礼をしながら艦とともに海中に消えました。

リンデマン艦長の遺体は最後まで発見されなかったということです。

ナチスドイツの旗の上にはドイツ海軍の艦船が展示されています。
人からもらった画像なので、拡大しても文字が読めないと全くその正体がわかりません。

この辺りは艦体の形状から見てもかなり古いとわかります。
日露戦争の頃の船だというくらいは理解できるようになりました。

手前の黒い台に乗ったのは

「オストフリースラント」

「ヘルゴランド」級超弩級戦艦の2番艦で、1911年から就役しています。

これらの時代の軍艦が飾ってあるこの旗ですが、プロイセン王国の旗ですね。
この黒鷲がプロイセンのシンボルで、1918年まではドイツ海軍は
正式にはプロイセン王国海軍であったわけです。

 

1918年、11月革命とも言われるドイツ革命が起きました。
この革命の指導者の一人にあのローザ・ルクセンブルクがいます。

ところで、この革命のきっかけが海軍の水兵の反乱だったことをご存知でしょうか。

その時ドイツ海軍は、第一次世界大戦の休戦交渉に反対しており、
イギリス艦隊に決戦を挑もうと大洋艦隊主力の出撃を命じました。

しかし、水兵約1000人がその作戦を無謀なものとして出撃命令を拒絶し、
海軍司令部は兵士たちを逮捕し、キール軍港に送り収監しました。

キールの水兵たちは仲間の釈放を求め、司令部が拒絶したため、
水兵・兵士、さらに労働者によるデモが起こり、これを鎮圧しようと
官憲が発砲したことで一挙に蜂起へと拡大してしまうのです。

映画「戦艦ポチョムキン」がそうであったように、当時のドイツ海軍も
将校が貴族・教養市民層出身者で占められているのに対して、
一般兵員は労働者で占められていたため、階級闘争に発展してしまったのです。

ともあれこれがきっかけて独立運動が起こり、プロイセン王国は瓦解。
帝政が打倒され、ドイツは共和国となったのでした。

 

つまりこのプロイセン海軍の旗の上にあるのは、旧態時の海軍で、
いつ水兵が反乱を起こしても不思議ではなかった頃の軍艦ということになります。

これはドイツ国旗の上にありますので、共和国となってからの軍艦ですね。

装甲艦「ドイッチェランド」(前列左)「ザクセンヴァルト」「ケルン」

など、1920年代から第二次世界大戦中の艦船です。

今のドイツ海軍もネーミングの傾向は全く変わっていません。
これはフリゲート艦「ザクセン」。

ドイツ海軍には全くご縁がないらしい我が海上自衛隊ですが、
フランス海軍を呼んでこれるのだから、一度くらいドイツ海軍を
観艦式におよびしてはどうでしょうか。

手前のメダカみたいなのは全部アンダーゼーボート、Uボートです。
これ、皆タイプが違ってたりするんですかね・・・。

ところで、この写真の中央ラインにある船の中に

「チンタオ」

という名前を見つけました。(ドイツ国旗から5隻目)
その船についての情報は出てこなかったのですが、これはおそらく
第一次世界大戦中、ドイツが日英同盟と戦った

「青島の戦い」

から付けられたものだと思われます。
この時、ドイツ軍は日英軍の包囲戦と航空戦になすすべなく、
降伏しているわけですが、ドイツでは敗戦した場所も
艦船の名前にしてしまうんでしょうかね。

ところで、この戦いを、先日ここでご紹介した映画、
「今日もわれ大空にあり」の古澤憲吾監督、須崎勝彌脚本、
俳優は加山雄三の主人公以外は、夏木陽介、佐藤充など、
ほとんど同じメンバーで

「青島要塞爆撃命令」

というのがあり、わたしはこのDVDを所持していることがわかりました。
(買うだけ買って棚ざらしになっていたのを発見)

これも古澤=須崎コンビの映画ということですが、あの奇想天外の展開に
期待して、これもちゃんと観てみることにします。
面白かったら(ある意味絶対面白いはず)またここでご紹介しますね。

ドイツ海軍の大きな潜水艦模型が。

艦橋部分を大アップで。

映画「Uボート」に出ていたみたいな人がたくさんいるー。
艦橋右側部分で手すりに手をついているのは艦長でしょうか。

「高速戦艦脱出せよ!」

という本は、ドイツの戦艦「シャルンホルスト、」「グナイゼナウ」そして
「プリンツ・オイゲン」が、フランスからドーバー海峡を抜けて
ドイツに帰還に成功した「ツェルベルス作戦」を描いたものです。

あーしかし、ドイツの軍艦の名前って基本的にかっこよさが異常。

その上にUボートならぬ「Rボート」というのがありますが、これは
ドイツ海軍の掃海艇のことです。

Rは「Räum」=スペースという意味らしいですがなぜスペースかはわかりませんでした。

ちょうど艦名が隠れているのでどこの何かが全くわからないのですが、
なんとなくこの「土色」がソ連っぽい気がして画像検索したら、
この甲板にとってつけたような飛行甲板が

「キエフ」級航空巡洋艦

に似ている気がしました。
艦番号に相当するのがないので正否は不明です。

ほら、これですよね。
飛行甲板の形が途中でカーブを描いているので、「キエフ」が正解かな?

前回の「巡洋艦シリーズ」で紹介した覚えのある「アドミラル・ナヒーモフ」、
そして「キーロフ」。

ソ連のフネが海上で土色を甲板に使うのはどういう意味があるのでしょう。

ロシアの潜水艦群。
「ホテル」「ゴルフ」「チャーリー」「エコー」「ジュリエット」、
そして「ズールー」というのはフォネティックコードなので、
調べずに断言してしまいますが、西側がつけたコードネームでしょう。

確かソ連軍は冷戦時代も潜水艦に番号だけをつけていたはず。

前回の巡洋艦シリーズで勉強させていただいたので、パッと見ただけで
イタリアとソ連の軍艦はわかるようになりました。

さすがはデザインの国、紅白の斜めストライプを甲板に施しているのがイタリア海軍。

「ヴィットリオ・ベネト」「リットリオ」はワシントン軍縮条約時代の戦艦です。

当時の我が帝国海軍の情報によると、このことを

二、主力艦 昭和十一年末倫敦條約ノ終焉ヲ轉期トシ、
列國ノ建艦ハ主力艦ヲ中心トシテ展開セラレタリ 
昭和十一年ニ於ケル主力艦建造ハ専ラ佛獨伊三國間ニ於テ行ハレタリ 
即チ獨國ノ「ポケツト」戰艦「ドイツチエランド」ニヨリテ切ラレタル火蓋ハ
佛國ノ「ダンケルク」級二隻トナリ 
伊國ノ三五,〇〇〇噸「リトリヲ」級二隻ノ起工ニ依リ
佛國ノ第三艦「リツシユリウ」ハ三五,〇〇〇噸三八糎砲ニ計畫變更セラレ、
獨國亦艦型増大ノ趨勢ニ應ジ二六,〇〇〇噸「シヤルンホルスト」級二隻ニ引續キ
昨年起工セラレタル戰艦ハ遂ニ 三五,〇〇〇噸トナレリ(以下略)』

つまりドイツの「シャルンホルスト」と同様、フランス海軍の
ダンケルク級戦艦リシュリュー級戦艦への対抗として作られた、とあります。

 

戦艦「ローマ」も「ヴィットリオ・ベネト」の4番艦です。

43年9月にイタリアが連合国に降伏したのを受けて移動中、
昨日までの同盟国だった同一軍の爆撃航空群に直撃を受け戦没しました。


向こうはジオラマ付きの飛行船模型。
ツェッペリン型のように見えますが、このタイプの全長は個体差があって、
長いものは140m、最短は120mだったそうです。

手前は「イタリーヒューマントルピード マイアーレイタレリ」とあります。

ヒューマントルピード=人間魚雷・・・・?

あのイタリア人が人間魚雷とは、かなりの違和感がありますが、
調べてみると、特殊潜航艇には違いないようです。

うーん、わたしは今の今までイタリア海軍を少しなめていたかもしれん。

魚雷っちうよりもこれはスクーター(シールズが使ってるみたいな)
なのではないかこれ。

と思ったら案の定、

「泊地に破壊工作員を隠密侵入させる水中スクーターみたいな役割を果たす」

とありました。
泊地に侵入し、敵艦船底部分に魚雷弾頭を磁器吸着設置して
あとはさっさと逃げてくる、というコンセプトなんですね。

というとどうしても思い出してしまうのが、ちばてつや先生の
「紫電改のタカ」で、紫電改搭乗員である人たちばかりが
ひみつきちに集められ、謎の老人に指示されて特殊ボートで
アメリカ軍艦の艦体に磁石と釘で爆弾を装着、離脱するという
ミッションを課せられ、米田二飛曹が死んでしまうというシーケンス。

あの作戦はもしかしたらこの「マイアーレ・イタレリ」がモデルだったのかな。
細かな説明をしているサイトを見つけました。

マイアーレ S.L.C 200 Maiale

 

フランス海軍の戦艦「リシュリュー」と「ジャン・バール」。

「ジャン・バール」といえば、戦艦「マサチューセッツ」を見学した時、
甲板で「トーチ作戦」の時に40.6センチ砲をお見舞いしてやったぜ!
的な展示で名前を見た覚えがあります。

その時、「ジャン・バール」は確か着底までしたのですが、
その後修復され、1970年まで海軍籍にありました。

フランス海軍の軍艦が新旧全てこのテーブルに展示されているようです。

左の方にはフランス初、かつアメリカ海軍以外が所有する唯一の原子力空母、
「シャルル・ド・ゴール」がおります。

前級「クレマンソー」級の「クレマンソー」と比べるとその大きさがよくわかります。

 左に見えている「スルクフ」は、昔アメリカに寄港した際
アメリカの海軍画家によってその姿が残されました。
絵のコピーをアメリカの潜水艦博物館で見たことがあります。
 
 
甲板を見るとヘリコプター搭載型空母なのがわかります。
2010年に除籍になったヘリ空母「ジャンヌ・ダルク」。

防御機能としてはエグゾセミサイルなどを積んでいたとか。

テーマが「欧州の軍艦」のはずなのに・・・・。

アオシマの宣伝スペースでしょうか(笑)

 

というわけで、写真だけで楽しませて頂いた模型店。
素敵な写真を提供していただいたKさんにお礼を申し上げます。