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映画「日本破れず」〜”海軍は負けたが陸軍は負けていない”

2019-08-15 | 映画

今日は日本が終戦を天皇陛下の御詔勅によって知らされた
1945年昭和20年から74年目になります。

本当に日本が終戦となったのはポツダム宣言を受諾し、
降伏文書にサインをした9月2日なのですが、一般には
この日を「終戦記念日」と呼んでいます。

74年前、この御詔勅を巡る「日本のいちばん長い日」がありました。
今日はその記念企画として1954年作品「日本破れず」を取り上げます。

監督は阿部豊
バイリンガルで、ジャックアベという名でハリウッドでも活動しており、
「燃ゆる大空」「南海の花束」「戦艦大和」などを撮っています。

終戦の日を扱った映画としては「日本のいちばん長い日」ばかりが有名で、
この映画についてはほとんど評判を目にする機会もなかったため、
あまり期待して観始めたわけではないのですが、見終わって個人的に
もしかしたらこのテーマで描かれたものの中で一番ピッタリくるというか、
最も心情にフィットしているような気がしてきました。

その理由は一つ、阿南惟幾を演じた早川雪洲の存在感です。


早川雪洲については若い時はハリウッドでもてはやされた
「アメリカのアジア系セックスシンボル第一号」で、映画
「戦場にかける橋」に出ていた、ということのほかに、ヨーロッパで活躍した
日本の歌姫田中路子が付き合っていたことがあって、なぜか
彼女には「最低の男」呼ばわりされていたということしか知りません。

田中路子女史にとっては最低だったかもしれませんが、とにかく
阿南惟幾を演じるのにこれほど相応しい俳優は現れていない、
と断言してもいいくらい、わたしははまり役だと思いました。


冒頭画像左下の鈴木貫太郎総理、これは小津作品でおなじみの斎藤達雄
東郷外相(作品では南郷)は山村聡が演じています。

どちらも実物よりビジュアルが底上げされているのは映画だから仕方ありませんが、
特に山村聡が無駄に男前すぎて、ちょっと東郷には勿体無い感じ。
(わたしは東京裁判での東郷が、開戦責任を海軍に押し付けるため
偽証したことを全く評価していないので、点が辛いことをご了承ください)

右下はそれとは逆の意味でビジュアル的に不満だった米内海相。(柳永二郎

映画「聯合艦隊司令長官山本五十六以下略」における
女好きということだけフォーカスしたデレデレだらしない柄本明よりは
まだマシですが、それにしてももう少しなんとかならんかったのか。

つまりこの映画、東郷茂徳に結構美味しいセリフを言わせて持ち上げており、
主役級俳優山村が配役されているとわたしは理解しています。

「日本のいちばん長い日」では山村聡が米内を演じていましたが、こちらの方が
「金魚大臣」なんてあだ名が(悪い意味で)ついてた米内にある意味合ってる、
と思うのはわたしだけでしょうか。

さて、始めましょう。

映画は1954年、戦後9年たった繁栄する東京の街並みが映し出されます。
思わずおお!と目を皿のようにして見入ってしまいました。

銀座中央通りを一丁目から観ている感じでしょうか。
右側のビルが和光で、その手前は工事中。
その手前の白いビルは今アップルになっています。

同じく中央通り、「ワシントン靴店」が1954年からあったとは。
さりげなく「ペニシリン」の看板が出ているのが時代を感じます。
右側奥の一番背の高いビルが三越です。

「教文館」は今もありますが、一階は現在マイケル・コースの店舗です。

銀座を歩く女性たち。おしゃれです。
今は日本人より外国人の方が多いのは皆さんご存知の通り。

観光地として楽しんでくれるのは一向に構わないのですが、
道端でトランクを開けて荷物の整理をするのと、声が大きいのと、
それから「ハナマサ」の横の広場でものを食べてゴミを散らかしたまま
平気でバスに乗って行ってしまうのは本当にやめてほしいです。

「地球防衛軍」にも登場した森永の地球儀ネオンの場所には、今ユニクロのビルができ、
毎日のように中国人観光客が目の色変えて押しかけています。

ナレーション。

「戦前にも見られなかった軽薄華美な姿が眼に映る」

戦中派阿部豊の感想ですので念のため。

「私たちは有史以来初めて味わった敗戦の苦しみを、また、
無血終戦へと導いて再建への基盤を作った人々の勇気と良識を
長く噛みしめる必要があるのではなかろうか」

これには全面的に賛成です。

場面は昭和20年、敗戦の色濃くなってきた戦地の映像となります。
サイパン、硫黄島、比島を席巻した米軍はいよいよ沖縄に上陸しようとしていました。

そして、5月23日の東京大空襲です。

空襲の次の日の朝、川には飛び込んだ人々の遺体が浮かんでいました。
水面には明らかに油が浮かんでおり、真に迫っています。

東京は1944年(昭和19年)11月24日以降、106回の空襲を受けましたが、
特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、
5月25日-26日の5回は大規模で被害も大きかったそうです。

焼け跡のシーンがたくさん出てくるのですが、どうもセットじゃないみたい。

このシーンも本当に火をつけたところにエキストラを走らせてるんですよ。
皆大丈夫だったんだろうか。

開始からたっぷり7分まではこんなシーンが続き、国民はすでに
戦争に疲れ切っているということが描かれます。

そんな中、陸軍大臣阿南(映画では仮名の川波ですが、面倒なので以降
全員実在の人物名で説明します)は、
荒尾興功軍事課長
空襲の被害などについて報告させていました。

竹下正彦中佐(沼田曜一)、畑中健二少佐(細川俊夫)とともに、
いわゆる「宮城事件」に関わる軍人たちです。

ちなみにこの竹下中佐が書いた宮城事件までの顛末を
半藤一利が元にして書いたのが
あの「日本のいちばん長い日」です。

竹下は戦後陸上自衛隊に入り、陸将になって幹部学校長を務めました。

空襲を受け、鈴木首相と東郷外相はお見舞いに参内。
皇居の門は今とあまり変わっていない気がします。

沖縄が陥落し、いよいよ本土決戦が現実のものとなってきました。

皆で竹槍の訓練。おそらくこの中の何人かは本当にやったことがあるでしょう。

配給は芋や豆ばかりになり、食糧難は本格的に。
そんな頃、連合国は日本に降伏の条件を提示してきました。

ポツダムでの米英支三国宣言というやつですね。

当時はまだ2枚目のかほりがうっすらと残っている安部徹
軍事課長荒尾は、ポツダムにおける三カ国が突きつけてきた降伏の条件、

「日本軍国主義を抹殺する」

「日本領土を保障占領する」

「日本領土は本州、北海道、九州、四国にこれを限定する」

「日本国軍は連合国軍の手によって武装解除する」

「戦争犯罪人は連合国の名において厳重に処罰する」

「国民の言論、宗教、および思想の自由、基本的人権を尊重する」

を説明します。
歴史を振り返れば、連合国はほぼこの通りの占領政策を敷きました。

「日本に無条件降伏を突きつけているんだ!」

宮城事件首謀者の一人で、8月15日二重橋と坂下門の間の芝生で
畑中健二少佐と共に自決する椎崎二郎を演じるのは丹波哲郎

「さらに問題なのは新しい政府をつくるということだ」

竹下中佐は阿南陸相の親戚(義弟)でもあります。

彼らは本土決戦における徹底抗戦を行うべく意思を固め、
ポツダム宣言を受諾しないように働きかけよう、と決します。

彼らは阿南陸相を捕まえて直訴しますが、阿南は
確たる返事をせず、閣議に出席するといって場を去ります。(1回目)

鈴木首相を首班とする閣議の議題はポツダム宣言について。

東郷外相「むしろ有条件講和として解釈する。受け入れるべき」

阿南陸相「軍は無条件降伏と解釈するので厳しく反撃すべき」

首相「外交的手段を講じている今挑戦的態度は取るべきではない」

米内海相「総理に同感」

東郷と阿南は特に軍の対応への考で意見が真っ向から対立します。



そして広島と長崎に原子爆弾が投下されました。
日本が降伏に応じない限り、各都市にこれを落とすぞ、という脅しです。

このキノコ雲はアリゾナの実験の時のものではないかと思いますが。

打ちひしがれる人々に追い討ちをかけるように、ソ連参戦のニュースが。
このおばあちゃんたちは、戦争の辛さを9年前までいやっというほど味わった、
戦中真っ只中時代。
息子が戦地に取られたという人たちではなかったでしょうか。

国民はもうどうにでもしてくれの状態。
かといって負ければ男は皆殺し、女は辱めを受けて国が無くなる、
と皆は思い込んでいますから、絶望的です。

原爆投下とソ連参戦を受けて行われた閣議で、阿南は
日本が降伏を受け入れるとしても、条件がある、と述べます。
天皇の存続を柱として、戦争犯罪人は日本側で処置する、
としたのが大きな主張で、これを連合国が受け入れない限り
戦争をあくまで遂行すべき、というものでした。

ここで東郷が、

「天皇の存続以外は拒否されるから絶対条件以外は受け入れるべき」

というのですが、実際には天皇の存続を連合国が認めるかどうか、
この段階では全く日本側には予測できなかったはずです。
天皇処刑論も連合国の一部の国からは出ていたのですから。

米内海軍大臣は、阿南のいう「本土決戦」について、

「戦争は陸海軍の統合が必要だが、今の日本にその力はない」

と焦土となった日本の現状を踏まえて反対するのですが、
陸軍の考えとして、一億玉砕を覚悟すれば何らかのチャンスがあるはず、
と本土作戦への意欲をにじませ、「戦局は五分五分である」という阿南に対し
米内は

「個々の武勇談は別としてブーゲンビル、サイパン、フィリピン、
レイテ、硫黄島、沖縄、我が方は完全に負けている」

といいます。
これは史実に残る閣議の発言そのままです。
ただし、これに対する阿南の

「海軍は負けたが陸軍は負けていない」

というのは本当に言ったかどうかわかりませんでした。
阿南自身がそう思っていたことは確かだと思いますが。

何れにしてもこの二人は映画だけでなく実際も終始対立し、のみならず
個人的にも反発する間柄であったことは皆が書き残しているところです。


この映画では畏れ多くも天皇陛下のお姿を俳優に演じさせるという
不敬なことはせず、御前会議のシーンも「おられるという設定」です。

カメラアングルも天皇陛下視点(笑)

陛下が、忍び難きを忍び万世の民に平和の道を開きたい、と
最後に仰せられたあの御前会議です。

阿南は陸軍の首脳部を集め、御前会議の結果を報告しました。
国体の護持を条件にポツダム宣言を受諾することに決まったと。

徹底抗戦を主張する陸軍軍人たちは騒然とします。

荒尾大佐、畑中少佐以下一派は、降伏絶対反対で行動を起こすことを決定。
このとき畑中がこういいます。

「たとえ大和民族が絶滅したっていいじゃないか。
国体を守るために殉じた精神は世界史の一ページを飾る」

おっと、この言葉ものすごいデジャブがあるんですけど・・。
そう、日本丸腰論の森永卓郎氏ですよ。

「軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。
仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に
『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれれば
それはそれでいいんじゃないかと」(2011年1月1日)

徹底抗戦と丸腰を唱える両者の到達点がここまで一致するって、
・・・・・・何かの悪い冗談ですか?

まあ、そういいつつも

「戦争になったら自分はアメリカに逃げる」

などとも放言している森永氏と比べるのは、そもそも
この軍人たちに失礼というものかもしれませんが。

陸軍航空士官の上原重太郎を演じるのは宇津井健

市ヶ谷の防衛省見学ツァーに参加した人は、上原大尉が自刃した場所にあった
慰霊碑が慰霊ゾーンに置かれているのにお気づきだったでしょうか。

上原大尉は、宮城事件で近衛師団長森赳中将を殺害した後、
修武台の航空神社前で自決した人物です。

 

 

続く。