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バイキング・ランダー(着陸船)とカール・セーガン〜スミソニアン航空宇宙博物館

2022-04-13 | 博物館・資料館・テーマパーク

スミソニアン航空博物館のマイルストーン航空機展示場には、
アメリカが打ち上げた二つの歴史的なカプセルと並んで、
火星探査機バイキング Viking Lander
が展示されています。

バイキング計画(Viking Program)
は、NASA、アメリカ航空宇宙局が1976年に行った火星探査計画です。

それは一対の宇宙探査機、バイキング1号とバイキング2号で構成されおり、
結論として火星の着陸に成功しました。

この二部構成からなる宇宙船は、火星の秘密を解き明かす端緒となり、
その成果は、惑星探査に対する国民の熱意を刺激することにつながりました。

それにしても、凄いものです。

スミソニアン博物館に足を踏み入れると、ゲートを入った瞬間、
あなたはアメリカ初のジェット機、最初の音速機X S-1、
月着陸ロケット、ジェミニ計画のフレンドシップ7、
そして火星探査着陸機を同じ空間の中に一望できるのですから。

これらはどれ一つとっても、特別展を開いて展示する価値のある
歴史的な航空機ですが、アメリカ合衆国というところは、
それら全部を一つの博物館どころか、その一つの部屋に集めて
さっくりとひとまとめにして見せているのです。

20世紀は文字通り「アメリカの世紀」だったと言っても、
少なくともこの空間に立ってこれらを眺めたことのある人なら、
賛同していただけるのではないかと思います。

■ スミソニアンのバイキング・ランダー

宇宙船バイキングは、母船であるオービターと、着陸船ランダーの
2つの主要部分から成っています。

オービターは軌道から火星の表面を撮影するため設計され、
着陸したランダーのために通信中継ポイントとして機能しました。
ランダーは表面から火星の調査をするために設計されたものです。

ランダーは、火星表面と大気の生物学、化学組成(有機物と無機物)、
気象学、地震学、磁気特性、外観、物理特性を研究するという
ミッションの主要科学目的を達成するための機器を搭載していました。

360度円筒形のスキャンカメラ2台が搭載され、
中央部からは、先端にコレクターヘッド、温度センサー、
マグネットを搭載したサンプラーアームが伸びています。

脚の上部からは、温度、風向、風速のセンサーを搭載した気象観測ブームが伸び、
地震計、磁石、カメラのテストターゲット、拡大鏡も搭載。

内部区画には、生物学実験とガスクロマトグラフ質量分析計、
また、蛍光X線分析装置もこの中に設置されています。

着陸機本体の下には、圧力センサーが取り付けられています。
科学実験装置の総質量は、約91kgでした。



説明板にあった略図

実物を見ても目に止まるのが長いブームです。

これは掘削ブームであり、調査のために火星の土を集めることができました。
ブームで集められた土は、宇宙船の上にある3つのキャニスターに収められました。


「あなたはそれらを見つけることができますか?
ヒント:一つには上にじょうごがついています」

と説明板に書いてあったので、わたしも探してみました。
ここには二つのキャニスターが写っています。

それにしても、地面の土をすくって缶に入れている探査機、
なかなか遊んでいるようで可愛らしいものです。

そういえば、火星の石をひっくり返してばかりいる探査機が、

「あいつもしかしたら、石の裏のダンゴ虫でも探してるんじゃないか」

とNASAの人が疑う、という漫画があったのを思い出します。
(いしいひさいちだったかな)

ここに展示されているのは、1976年に火星の表面に到達した最初の
アメリカの宇宙船となった二つの宇宙船と全く同じ機能を持つものです。



ミッションの計画中、そして着陸船が火星で活動している間、
科学者とエンジニアはこの複製を使用し、着陸船がさまざまなコマンドに対し
どのように反応するかをモデル化していました。

宇宙船が火星にランディングし、データを取集する機能がもたらしたものは、
それまで科学者たちが火星について知っていたことにとって
革命とも言える新しい事実でした。

火星が何でできているのか。

火星がどのように形成されてきたのか。

そして太陽系の進化について。



■バイキング計画

松任谷由美が「ボイジャー〜日付のない墓標」という歌を歌っていたのは、
ボイジャー計画が実行されてしばらくたった頃だったでしょうか。

小松左京のSF「さよならジュピター」と言う映画の挿入歌だったそうですが、
あの「妖星ゴラス」のように、ブラックホールを避けるために
木星を爆発させて軌道変更させるというこの話も、
「ボイジャー」と言う題そのものも、元はと言えば
このボイジャー計画にインスパイアされたのに違いありません。

さて、そのボイジャー計画ですが、1970年後半、
NASAが宇宙空間での探査のために打ち上げた「深宇宙探査機計画」です。

ボイジャー計画では、無人惑星探査機ボイジャー1号と2号を打ち上げられ、
撮影された画像は多くの新しい科学的発見をもたらしました。

それらは電池がきれるとされる2025年ごろ(あ、もうじきだ)まで
宇宙空間で漂いながら稼働する予定です。

ボイジャー1号と2号(イメージ図)

しかし、このバイキング計画は、NASA創設の初期から、
「より野心的なボイジャー火星計画」として発展したものです。
つまり、宇宙を漂いながら撮影を続けるボイジャーと違い、実際に
火星という目標を決めてそこに降り立ち、探査を行うというのです。

バイキング1号は1975年8月20日に、2号機は1975年9月9日に打ち上げられ、
いずれもケンタウルス上段のタイタンIIIEロケットに搭載されました。

バイキング1号は1976年6月19日に火星周回軌道に入り、
バイキング2号は8月7日に火星周回軌道に入ります。

これは、わかりやすくいうと、降りるべき場所を探していたんですね。

火星を1ヶ月以上周回し、着陸地点の選定に必要な画像を返した後、
軌道船と着陸船は分離し、着陸船は火星大気圏に突入し、
さらに選定された場所に軟着陸することに成功しました。

まずバイキング1号が1976年7月20日に火星表面に着陸。
その頃火星軌道上に到着したバイキング2号は、9月3日軟着陸に成功します。

そして着陸機が火星表面に観測機器を設置する間、
軌道上から軌道周回衛星が撮影やその他の科学的作業を行なっていました。


■生命体の探索〜火星人はいたか

昔、火星人といえば、誰がか考えたか、タコのような生物とされていて、
漫画でもそのような認識が随分と浸透していたような気がします。
なぜタコだったのか今となっては謎ですが、このバイキング計画では、
三つの目標のうちの一つが、火星に生命体が存在した証拠を探すことでした。

ちなみにあと二つは、

「火星表面の高解像度画像を獲得する」

「待機と地表の構造並びに素性を明らかにする」

ことです。

火星にタコのような火星人はいるのか。いたのか。
このことを、化学物質を採取し、
それを分析することによって探ろうとしたのです。


各々のバイキングランダーは、地表から土をすくい取り、
分析のためにそれを小型のロボット化学実験室に回しました。


バイキングは、火星の土から生命の構成要素の多くを検出しましたが、
しかしながら、火星に生命が存在したと言う証拠は見つかりませんでした。

それこそ、石の裏のダンゴムシでもいいから、何かその痕跡があれば、
人類はそこにいたかもしれないタコ(かどうか知りませんが)星人について
あれこれと思いを巡らすこともできたのですが。

とはいえ、ご安心ください。
科学の進歩は、少し前にわからなかったことも明らかにしているのです。

確かに、ミッション期間中、NASAは

「バイキングランダーの結果は、2つの着陸地点の土壌に
決定的なバイオシグネチャーを示すものではなかった」

と発表して世界をガッカリさせましたが、
試験結果とその限界についてはまだ評価が終わっていない状態なのです。

後年送られたフェニックス着陸船が採取した土からは、
過塩素酸塩が発見されました。

過塩素酸塩は加熱されると有機物を破壊する性質があるので、
バイキング1号2号の両方で分析した土壌に含まれた有機化合物を
過塩素酸塩が壊した可能性も捨てきれない
と言うのが現段階の見解です。

つまり、火星に微生物が生息しているかどうかは、
まだ未解決の問題ということなのです。

さらに2012年4月12日、科学者の国際チームが、
1976年のバイキング・ミッションの解析による数学的推測に基づき、
「火星に現存する微生物生命」
の検出を示唆する可能性のある研究を報告しました。

さらに2018年にはガスクロマトグラフ質量分析器(GCMS)を使い、
結果の再検討をおこなってそこで新しい知見が発表されています。




バイキングが送ってきた劇的なカラー写真の多くは、
火星の空の色をはっきりと捉えていました。

火星の空、それは予想していたような青ではなく、
サーモンピンクだったことは人々を驚かせました。

着陸船はまた、土壌を分析し、風を測定し、大気をサンプリングしました。


そして火星の「地理」です。

この明瞭な写真は、バイキング1号と2号の撮影したものを合成してあります。

真ん中を横切る亀裂のような線は、
バリス・マリネリス(Vallis Marineris)峡谷
左側に二つ見えている点はタルシス火山(Tharsis)
そして白く雪か氷を頂くのは北極と名付けられました。

大量の水から形成される典型的な地形を数多く発見したことで、
オービターからの画像は、火星の水に関する考えに革命をもたらしました。

巨大な河川、渓谷の存在そして洪水の跡。
水は深い谷を作り、岩盤を侵食し、何千キロも移動していました。

かつては雨が降っていたと言う証拠です。

また、ハワイの火山のようにクレーターがあり、
また、泥の中の氷が溶けて地表に流れ込んだと考えられました。
地下水の存在も明らかになったのです。



■カール・セーガン


火星探査機バイキングってこんなに小さかったの?

と驚く人もいるかもしれません。
これはモックアップですが実物大で、ランダーは
1.09mと0.56mの長辺を交互に持つ6面のアルミニウム製ベースからなり、
短辺に取り付けられた3本の伸ばした脚で支えられていました。

脚部のフットパッドは、上から見ると2.21mの正三角形の頂点を形成します。




横に立っている人物はカール・セーガン。
場所はカリフォルニアのデスバレーです。

コーネル大学の天文学者であった
カール・セーガン(Carl Sagan)
は、着陸地点の選択とバイキング計画全体を支援した人物です。

彼は、1970年から1990年代にかけて、宇宙探査の興奮を
同世代のアメリカ人(とここには書いています)に明確に伝えました。

彼は、自身のPBSテレビシリーズ「コスモス」(1980)、
ジョニー・カーソンとの「トゥナイト・ショー」などの番組に出演し、
雑誌、本などでの魅力的な執筆を通じて、
科学者と一般市民との間に知識の架け橋を作り、
その魅力を広く世に伝えました。


壇ノ浦の合戦、安徳天皇の入水、平家ガニという掴みから
DNAについて語るカール・セーガン。

■スミソニアン航空宇宙博物館のオープン


バイキング1が着陸に成功したのは、おりしもアメリカ建国200年の節目で、
その祝賀の雰囲気の中でした。(それに間に合わせたんでしょうけど)

1976年7月1日のその時、建国200周年の祝祭イベントの一つとして、
ここスミソニアン航空宇宙博物館がオープンしたのです。

リボンカットを行ったあと手を叩いているのは
現職の大統領だったジェラルド・フォードで、リボンカットは
バイキングのオービターが送ってきたシグナルと同時に行われたのだとか。

ここスミソニアン航空宇宙博物館が、いかにアメリカの科学、文化、
そして国力の象徴であったかを物語る写真です。



バイキング計画プロジェクト費用は打ち上げ時におよそ10億ドルで、
2019年のドル換算で約50億ドル(約5,761億323万7,700円)相当します。

このミッションは成功とみなされ、1990年代後半から2000年代にかけて、
火星に関する知識の大部分を形成するのに貢献したと評価されました。


続く。