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潜水艦「シルバーサイズ」進水!〜シルバーサイズ潜水艦博物館

2022-08-16 | 軍艦

さて、真珠湾攻撃についていつまでも扱うのもどうかと思うので、
そろそろ潜水艦「シルバーサイズ」の話題に入ろうと思います。



シルバーサイズ潜水艦博物館の建物部分を見学していると、
二階のデッキからこんなふうに「シルバーサイズ」が見られます。

この角度は、以前もご紹介したライブカメラとほぼ同じ角度なので、
このデッキのどこかにカメラがあるのだと思われます。

この写真を撮った後、デッキに出るドアがロックされて
締め出されたのに気がつき、慌てていたら、
(後でドアを見たらオートロックなので気をつけるように書いてあった)
この写真に写っている「シルバーサイズ」の上にいる人が気が付いて、
2階まで駆け上がって、中から鍵を開けてくれました。

いやはや、お仕事中だったのに大変申し訳ない。
っていうか、これよっぽどしょっちゅうあることなんだろうな。



「シルバーサイズ」の見学は、艦尾にかけられたラッタルから行います。
入場料を払ってリストバンドをしていれば、自由に出入りできますが、
誰もリストバンドのチェックはしていませんでした。


2階デッキから目についたのが、この艦隊のペイント。



まず、これがおそらく乗員の誰かがデザインしたところの、
「シルバーサイズ」のマークであるわけですが、

艦名になった「ワカサギ」(天ぷらにすると美味しいんだ)は
これを見てもお分かりのとおり、「Silverside」であり、
複数形の「S」がなぜ艦名についているのかは謎です。

とにかく、このマークは潜水艦風味のワカサギくんが、
ヒレに魚雷を抱え、チロリアンハットに煙を吐いているところです。
フィンに立てられた旗に「??????」とありますがこれも謎。



そして艦体に誇らしげに描かれた日本艦艇撃沈撃破のマーク。
これによると、「シルバーサイズ」の対日本戦績は、

撃沈 海軍艦5隻 民間船25隻

撃破 海軍艦4隻 民間船10隻


ということになります。

当ブログでは後にこのこれを検証しつつ取り上げていきたいと思います。



それはそうと、その下のこれは、おそらく16基の機雷をなんかして、
落下傘を2回なんかしたというマークであろうと思われますが、
その「何か」が何かわからないので、これも話を後回しにします。


「シルバーサイズ」潜水艦博物館というだけあって、
館内の壁には大きな「シルバーサイズ」の絵が描かれていたり(冒頭)
このように模型が飾ってあったりします。


そんな模型の一つを見て、わたしは、はて?と思いました。
この「シルバーサイズ」のマストに張られたラインをよくご覧下さい。



なぜ・・・日本国旗と海軍旗が・・・?

おそらくこれは「シルバーサイズ」の艦歴を知れば
わかってくることなのに違いありません。

さて、というわけで、今日は「シルバーサイズ」が進水した日のことを
当時の写真と資料をもとにお話ししたいと思います。


■ Launch!(進水!)

「シルバーサイズ」は道を切り開きます。
潜水艦の艦首が水に入ると、ナパ川の汽水が漣を立て始めます。

進水台の左下隅にあるプラカードには、

「U.S.S. SILVERSIDES. A MARE ISLAND PRODUCT」

と書かれていました。




1941年8月26日;

「シルバーサイズ」は当時アメリカで最新型のボートであり、
西海岸で進水した最初の「ガトー」級潜水艦です。

のちに浸水する同型の姉妹艦であるUSS「トリガー」は、彼女の隣にいて、
熱心に彼女らを見守る造船所の労働者と招待された幸運な人々が
デッキに詰めかけて2隻の周りをぎっしりと取り囲んでいました。


この日、「シルバーサイズ」のスポンサーとなったE.H.ホーガン夫人は
銀のケースで覆われ、金色と青のリボンで飾られた
洗礼用のシャンパンボトルを携えていました。


" I CHRISTEN THEE SILVERSIDES!!"
(我、汝『シルバーサイズ』に洗礼を授ける!!)


スポンサーのホーガン夫人が手を離し、伝統的な儀式として、
シャンパンボトルが潜水艦の艦首に激突すると、
その瞬間、「シルバーサイズ」は誕生の洗礼を受けます。

ちなみにこのシャンパンは、メアアイランドからナパ川を遡ったところにある
ナパのクリスチャン・ブラザーズ・ワイナリーから寄贈されたものでした。



彼女はとても華奢に見えたので、ボトルをちゃんと割ることができず、
「シルバーサイズ」の進水を不吉なものにするのではないかと
実は何人かの人々は心配していたかも知れません。

映画「K-19」で、原子力潜水艦K-19の進水式でボトルが割れず、
それを見て乗員らが皆で不吉だと顔を曇らせるシーンがありました。

当時は特に世界に戦雲が迫る不穏な空気が覆っていたので、
特に潜水艦のような職種にとっては、ボトルがちゃんと割れ、
めでたく進水に成功するかどうかということは、
側が思う以上に気になることだったに違いありません。

K-19も、この時の不吉な進水式のせいで、のちの原子力事故が起こった、
あるいはこれがのちの事故を予言するものだった、と言われたそうです。


ホーガン、ボトル叩きつけの瞬間(飛沫が見える)

しかし、ホーガン夫人は小さなその見かけにもかかわらず、
最初の一撃で見事にボトルを粉砕し、その場にいた少将含む全員に
シャンパンの飛沫を浴びせることに成功しました。

同時にチョック(the chocks、進水の際船体を止めている楔)は外れ、
「シルバーサイズ」はそのまま川に艦尾から滑り込んで、
まるでクリームのようになめらかに水に浮かびました。

もちろんこの時彼女はまだ未完成であり、そのまま
別のドックに曳航されて建造を完了させることになっています。

新しく潜水艦を建造するには建設バースが必要です。

その頃まだ我々は戦争に突入していませんでしたが、
そのころの世界は全てがそこに向かっているように見え、
我々もまた最悪の事態に備えることを余儀なくされていました。

ここからは、「シルバーサイズ」の写真と、それに付けられた
このようなキャプションを紹介しながら進めていきます。

これらの文字は、いかにも手書きのような字体で、
大変親しみやすく、まるで誰かの日記を読んでいるような文体です。

この文章の「我々」は、「シルバーサイズ」の乗員であり、
語っているのはその一人という設定です。



「シルバーサイズ」の進水式当日の準備風景です。

手前に立っている二人の警衛の水兵は、進水式に出席する
著名なゲストのチケットを受け取るために配置されています。

造船所の労働者が、「その瞬間(ビッグ・モーメント)」のために
発射台の周りにある木製のクリブを取り外す作業をしているので、
おそらく後にお見せするプログラムでいうところの、
3から7の工程にかかっているということでしょう。

時刻で言うと13時40分から1時間以内に撮られていることになります。


写真では「シルバーサイズ」は進水路いっぱいに場所を占めており、
右側の隣には姉妹艦の「トリガー」SS-237が見えます。

なお、「トリガー」の反対側にはUSS「ワフー」SS-238がおり、
これらの3隻の姉妹艦「シルバーサイズ」「トリガー」「ワフー」
同じ姉妹艦の中で最高の戦績を挙げた「優秀姉妹」となる運命でした。

しかし、「トリガー」は最終的に、1945年3月28日ごろ、
日本の最南端である九州の東方面で行方不明になったと推定されており、
「ワフー」もまた、1943年10月11日、北海道のすぐ北で
爆雷を浴びて沈没したことがわかっています。

こんにち、「トリガー」は、その戦績において
成功したボートの第11位を占め、また「ワフー」は
7回のパトロールで8位という成績を残しています。



進水式の時のプログラムのコピーもありました。
せっかくなので、プログラムの内容もちゃんと翻訳しておきます。

0700ー ケーソンの洪水弁を開く
水が上昇するにつれて、カバーボード、

ウェイの水没部分を取り外します

0800ーホルストカラーと船のフルドレス(飾り付け?)

0900ーケーソン取り外し


0948ースラックの水位を下げます


1、 1200ー進水クルー報告

ダイバーがケーソン、シート、グラウンド、
通路の下端の間の障害物の有無を調査

指示に従ってトリガーをテスト

2、1305ー発進とドッグショア・ジャッキのテスト、
結果を進水士官に報告

3、1320ーディスタンス・ピースを取り外します
船と本部に人員を配置

4、1340ーファーストラリー、赤いくさび−4取り除きます

5、1400ーセカンドラリー、白いくさびー4取り除きます

6、1420ー3回目ラリー、全てのくさびー指示によって

7、1440ー「親指クリート」「汚れストリップ」

「衝角レール」を取り除きます

全ての岸壁をクリア

赤いブロックを取り除きます

必要に応じて、全てのバルブ、船体の開口部、マンホールの蓋、
およびドアとハッチが閉じられ、安全であることを、
船から本部と進水担当官に報告します

全てのメインバラストタンクの空気圧が5ポンドであること

8、1510ーNo.1とNo.2のクリブ(ベビーベッドの意)を撤去
全てのクライブはクレーンでユニットとして撤去するために、
ドッグする(←?)必要があります


白いブロックを取り除きます

9、1525ークリブを撤去
ショップ72は終点から50ヤード離れたところで
5分間間隔で流動インジケーターを開始

タグボート主任のオフィスからチェッカーフラッグが振られ、
水路が空いている場合、進水が決行されます

最終検査と報告

ダピット中尉の指示に従って左舷通路を撤去

10、1558ーサイレンが3回鳴ると全員が建物の袖から離れます
トリガーを取り外します

スポンサーがプラットフォームでセレモニーを開始します
(牧師による祈祷ならびに国歌斉唱)

セレモニーが完了するとスポンサーのプラットフォームで
ブザー信号が一度鳴ります

11、1600ートリップドッグショア
トリガーロックピンが取り外されます

10秒待機 信号は2回目のブザー

12、1602ートリガーが外れ、ブザーが1回鳴ります

注記:各操作の開始は、時計の信号によって行われ、
それ以外の開始の信号は鳴ることはありません

進水式の装置についての専門用語はちゃんとした日本語もあるのですが、
ここでは大体のところがわかればいいと思い、そのまま書きました。
(はっきり言って手抜きですすみません)

進水に詳しい人ならなんのことか大体わかるというレベルです。

ただ、進水式が朝7時に準備が始まって、
実際の進水は午後4時になるということだけはわかりました。

そして、準備をしている間、おそらく賓客の紳士淑女は
海軍が設えた特別会場で豪華な正餐に舌鼓を打っていたことでしょう。

さて、この「シルバーサイズ」ですが、最初にもあった通り、
その進水が行われたのは、メア・アイランド海軍造船所です。



■メア・アイランド海軍造船所

メアアイランド海軍造船所は、カリフォルニア州ソラノ郡にあり、
1854年9月16日に開設されました。

この造船所は、第二次世界大戦中、西海岸における海軍の生産地で、
ガトー級潜水艦を建造する4つの工廠の一つでした。

(その他三つは
●ウィスコンシン州マニトウォック造船所、
●メイン州ポーツマス海軍工廠、
●コネチカット州グロトンのエレクトリックボート)

建造された77隻のガトー級潜水艦のうち
7隻がメア・アイランドで建造されています。
(SS-236~339、SS-281~284)。

造船所は戦争遂行のための重要な部分と考えられていたため、
そこで従事するものは徴兵されませんでした。

最終的にもメアアイランド海軍造船所は、
戦争遂行に不可欠であることが証明されました。

米海軍の潜水艦の撃沈した船舶は、海軍が沈めた敵船舶全体の
55%を占め、合計1,314隻、530万トンに達しました。

1993年、メアアイランド海軍造船所は、
「議会の基地再編と閉鎖プロセスの犠牲」になりました。

造船所は142年間の使用を経て1996年4月1日に正式に閉鎖されました。




ちなみにこの日「シルバーサイド」の進水を行ったゲストの皆様。
前列左がメアアイランドのあるバレーホ市の市長さんです。
3人の海軍軍人は海軍工廠の司令官や提督たちであろうかと思われます。

そして真ん中の帽子の婦人がこの日のスポンサー、
エリザベス・ハリントン・ホーガン夫人その人です。




スポンサーとなったホーガン夫人には、
メアアイランド海軍造船所から、銀でできたトレイが
記念品としてプレゼントされました。

トレイの真ん中には「シルバーサイズ」の艦影と文字が刻まれています。


続く。