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へランティスブロン(HELANTISUBRON)の謎〜空母「ミッドウェイ」博物館

2019-06-10 | 航空機

前回の「ミッドウェイ」シリーズでは、2年前の訪問時の写真をご紹介しましたが、
今回から最新(といっても昨年夏ですが)のものを挙げながらお話します。

昨年夏、三度目となる「ミッドウェイ」見学のため、サンディエゴに滞在しました。
部屋からは以前ここでもご紹介した「パール・オブ・インディア」が見えます。
アラスカに鮭を採りにいっていたこともある帆船です。

エレベーターを待つフロアは全面ガラス張りで、「ミッドウェイ」がこんな風に見えます。

この写真もエレベーターホールからガラス越しに撮ったもの。
「ニミッツ」級空母3番艦の「カール・ヴィンソン」です。

カール・ヴィンソンは民主党の下院議員で、1981年に97歳で亡くなりました。

その活動は戦前からで、なんでも日本が海軍条約脱退した後、
アメリカの海軍力を拡張するのに大変貢献し、戦後も海軍委員会の議長として
原子力空母の調達実現への原動力となったという人物です。

「カール・ヴィンソン」が進水式を行なった時、彼は96歳でこれに出席し、
存命中の人物の名前がつけられた最初の空母となりました。

「ミッドウェイ」に来るときには必ず宿泊するレジデンスイン・バイマリオット。
去年まで工事中だった向かいのホテルも今年は開業しています。

地の利もあって結構お高いのですが、今回はカードのポイントが使えました。

「ミッドウェイ」開館の時間前にわたしは現地に向かいました。
歩いて数分で到着です。

埠頭は朝早い時間はホームレス、日が昇ってくると観光客で大変な人出となります。

後部デッキにはおなじみ、二体の乗員の人形があるのですが、
ちょっとこれ見てくださいます?

2年前の写真。
ぽ、ポーズが変わってるっぽい。((((;゚Д゚)))))))

作業船がメンバーを載せて準備中でした。
左から2番目の人はダイバーだったりしませんかね。

何をするつもりかはわかりませんが、とにかく「ミッドウェイ」は
このように切れ目なくメンテナンスを行なっているようです。

連日かなりの人数が観光に訪れるだけでなく、企業からのファンドや寄付も集めています。
民間人にも寄付を呼びかけており、ボランティアを募ることによって
この「国家遺産」の維持を図っているのです。

「軍事遺産」への対応が冷たい日本などとは比較にもならないレベルですが、
アメリカでも「ミッドウェイ」は特殊な部類といえるでしょう。
東部の重巡「セーラム」のように、ほぼ放置されたまま、という遺産も結構あるのです。

オープン前だというのに、チケット売り場にはもうこんな列ができています。

「ミッドウェイ」入館料は大人22ドルと結構高い方です。
(だいたいアメリカの博物館の相場は12ドルといったところ)

入館してすぐハンガーデッキにあるエンジンは、

R-2800 ツイン・ワスプエンジン(プラット・アンド・ホイットニー)

空冷星型複列18気筒の航空用エンジンで、F4Uコルセアなどが搭載していたものです。
説明のタイトルは

THE ENGINE THAT WON THE WAR」(戦争を勝利に導いたエンジン)

はいはい。

いつもちゃんと撮れなくて、今度来た時は、と思っていたアクリルの「ミッドウェイ」。
透明な素材で作ることで内部構造がよくわかるというわけです。

とにかくこの構造がすごい。
他のところならこれだけでも博物館の展示の目玉になりそうな手の込みようです。

この日もサンディエゴは雲ひとつない超晴天。
まだほとんど人のいないフライトデッキの様子をご覧ください。

くるたびに少しずつ塗装や展示が変わっているのが「ミッドウェイ」。
このT-2『バックアイ』ですが・・・・、

去年いなかったパイロットがコクピットにいます。

左からF-2/3 「フューリー」、F9F-8P「クーガー」、F9F「パンサー」

ほぼ同時代の戦闘機が羽を上げた状態でまとめられています。

今年修復作業を行なっていたのはF-8「クルセイダー」

まず塗装を剥いで継ぎ目の錆止めから下処理を行い、風防は全て交換するようです。
現役機並みに手をかけるんですね。

ハンガーデッキにテントを立てて設えられた「ヴェテラントーク」のコーナーでは、
一番乗りしてきた男性に、元艦載機パイロットのヴェテランが早速
「ランディング・トーク」で、自分の現役時代の体験を披露していました。

この向こうは全てヘリコプター。
手前の「シコルスキーHO3S」「シーバット」など、第二次大戦後の
「ヘリコプター黎明期」に活躍したヘリが並びます。

朝鮮戦争下で北朝鮮の爆撃を行った米海軍を描いたウィリアム・ホールデン主演、
グレース・ケリー助演、なんと横須賀などが舞台になるせいで、
淡路恵子が出演しているという

「トコリの橋」(The Bridges at Toko-Ri)1954年

ではシコルスキーHO3Sが活躍するシーンが観られます。

そのHO-3Sのコクピットにも、去年まではいなかったこんな人が。
ウィリー・ウォンカか?

と思っていたら、なんとですね。

The Bridges At Toko-Ri Theatrical Movie Trailer (1953)

この「トコリの橋」の予告編、最初からご覧になってください。

1:00〜から、これと同じような帽子をかぶった人(ミッキー・ルーニー)が
出てきて、わたしは思わずあっ!と声を出してしまいました。

1:10からは酔っ払いに絡まれる淡路恵子姉さんが出てきますし、
1:15から映るのは富士屋ホテルです。

2:00からはなぜか空母甲板の上で着物を着た日本女性が踊ってるという・・・・。

この映画、俄然観たくなりました。

というわけで、映画を知っている人は、なるほど!とこのマネキンを見て
ちょっと嬉しくなってしまうという仕掛けです。

これも朝鮮戦争で活躍したヘリ、「HUPレトリーバー」
いつの間にか全ての座席にパイロットが乗っています。
当時のヘリパイがどんな装備で乗務していたかわかります。

「SH-2 シースプライト」など、乗員を3人乗せるという大盤振る舞い。
ヘリコプターのハッチを開けたままにして、落ちないように
防護網を貼って飛ぶというのは当時のやり方だったのでしょうか。

「シースプライト」は対潜ヘリです。
「沈黙の艦隊」ではすぐそこに停泊している「カール・ヴィンソン」に搭載され
原子力潜水艦「やまと」を迎撃するという設定でした。

定員は三名。
後部座席にはイケメンすぎるクルー(TACO?)がいました。

もともとカマン・エアクラフトがあの無人対潜ヘリ「 DASH」の代替に
開発したヘリなので、武装もしています。

機体に描かれた部隊マークの「HELANTISBRON」とは、
おそらくですが、

HEL=ヘリ ANTI=アンチ SB=潜水艦 RON=ロン

だと思います。
だからロンってなんなんだって話ですが、多分これは
「スコードロン」のロンなんだと思われます。

「対潜ヘリ部隊」を一言で言ってみました的な。

さて、今日はですね。
三年越しの懸案だった艦橋の見学がやっと実現することになりました。
満を持して朝一番に乗り込んできたのも、週末は艦橋ツァーが激混みで、
早い時間に受付終了してしまうからです。

ツァーがどこから始まるかは行ってみたらわかるだろうと、案の定今回も
全く調べずに現地に乗り込んできたわたしです。
とりあえず、艦橋の周りをぐるっと回れば必ずそれらしいところがあるはず。

機体を日よけにして座るベンチがあるのがアメリカ式。
特にこのE-2「ホークアイ」偵察機は大きなお皿を背負っているので、
下で休憩するには十分な日陰が確保されるというわけ。

さて、このホークアイの後ろには・・・・、

いえーい

艦橋に続いているらしい通路が左舷側にあったぞ。

一目でわかる艦橋(アイランド)ツァーの案内図。
ボランティアらしいじいさまたちが立っているところまで行くと、

「ちょうど今最初のツァーが出発するところだから」

よし!

解説役のボランティアを先頭に、グループは狭いラッタルを登っていきます。
さあ、いよいよ「ミッドウェイ」のアイランドツァーの始まりです。

 

続く。

 



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2 Comments

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正解! (Unknown)
2019-06-11 03:26:30
Helicopter Anti Submarine SquadronでHELANTISUBRONです。正解!

当時は、空母艦載のSH-3(大型。四人乗り)とそれ以外の艦艇(駆逐艦やフリゲート)艦載のSH-2(小型。三人乗り)でSH-3がHelicopter Anti Submarine Squadron(略称:HS)SH-2がHelicopter Anti Submarine Squadron Light(略称:HSL)でした。

SH-2はソノブイとレーダーを搭載出来ましたが、SH-3はそれに加えて吊下式ソーナーも搭載出来ました。ソノブイだけでソーナーなしなら、ソノブイの信号の解析は搭載艦に依存せねばならず、時間も掛かりますが、SH-3はソーナーで潜水艦を探知出来れば、単独でも攻撃出来ます。

SH-2が登場した頃の水上艦の主力はフリゲートでSH-3を搭載出来る余地はなかったので、こういう変則的な編成になりましたが、後追いの海上自衛隊は最初から搭載艦を大きく作り、ヘリコプターもHSS-2(SH-3)一機種にしました。

米海軍もその後、SH-60で空母型と護衛艦型を一本化しました。SH-60はSH-2よりは大きいですが、SH-3よりは小さいので、部隊略称はHSLを引き継いでいます。

SH-2やSH-60は普通の大人だと中腰にならないと機内を歩けませんが、SH-3(HSS-2)は立って歩けて快適でした。
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アクリルの「ミッドウェイ」 (お節介船屋)
2019-06-11 10:01:31
写真に写っている模型のMk39 54口径12.7㎝単装両用砲9門、両舷で18門、就役当初搭載されていました。本級に初めて採用された砲でした。
ミッドウェー、フランクリンD・ルーズベルト各々18門、コーラル・シー14門、1950年代改造により全てではありませんが多くが撤去されました。「ミッドウェー」は1955年から1957年実施のSCB110改造で12基撤去。
1959年竣工「むらさめ」「ゆうだち」「はるさめ」、1960年竣工「あきづき」「てるづき」の127㎜単装砲15門は「ミッドウェー」の物とは断定出来ませんが、「ミッドウェー」級3艦の撤去砲の再利用品です。

観測機シルコスキーHO3S
1940年代後期に開発されましたが約90機生産された初期のヘリコプターです。良く保存してあったと感心します。
観測、連絡、救難に使用、朝鮮戦争に使用されましたが1950年代半ばで退役しました。
ローター径14.6m、全長17.6m、重量2.2t、出力450馬力、速度165㎞/h、座席数4
 
戦闘機グラマンF9F
改良型が多くF9F-5までが直線翼のパンサーで1949~1952年までで約1,400機生産されました。米海軍最初の実用ジェット戦闘機でした。
朝鮮戦争後、後退翼となったF9F-6~F9F-8がクーガーと呼ばれました。
F9F-5の要目
幅11.6m、長さ11.8m、重量9.6t、推力2.8t、速力805㎞/h、航続力2,092㎞、20㎜機関砲4門、乗員1名
参照海人社「世界の艦船」No291、685、869
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