サンディエゴの記念艦「ミッドウェイ」、念願の艦橋ツァーに参加できることになり、
十人くらいの見学者と一緒に艦橋に入っていったというところまでお話ししました。
乗艦に際してはボランティアの爺さんが各自持っているトランシーバーで
「次のツァー出発OK」「ラジャー」
みたいなかっこいいやり取りを行って(笑)後発が出発するという感じで、
きっかり何時に行われる、という形態ではありません。
おそらく人が多い週末や日中は、長蛇の列ができることになるでしょう。
わたしは最初から艦橋ツァーが目当てだったので、入館すると
脇目も振らずツァー出発地点に向かい、最初のツァーに参加できました。
階段を4つくらい(4段ではありません)上り最初に到達したデッキには、
このようにカメラを操作するシーマンが立っています。
艦橋からの映像をここで撮影していたのはこの人?
今ではもちろん無人化されているでしょう。
このシーマンがいるところは外から見るとこんな風になります。
航空管制を行うデッキにやってきました。
おじさんの体で隠れている椅子は「エアボス」、隣の「MINI」がミニボスの席。
エアボスは飛行長、ミニボスは副飛行長のことで、エアボスは
艦長と同等の権限を持ち「ミッドウェイ」では同じ大佐職となっています。
ミニボスは中佐、艦によっては少佐のこともあります。
こういう座ってもいい椅子があると必ず座って写真を取りたがるのは、
子供、さもなければほとんどが中国人。
「ランチ・ステイタス」というのは航空機の状態を示すボードです。
どちらから見られ、視界を邪魔しないようにアクリルでできています。
書かれているのは「F-8」「F-4」「A-4」などの当時の艦載機、
パイロットは全員が士官です。
甲板が死角なく見える角度に窓は斜めになっており、エアボスの席は
さらに一段高いところから俯瞰できるように設えてあります。
左の出っ張ったところがエアボスたちの席のあるところです。
外から見るとこんな感じ。
航空管制室を出ると、デッキを通って階段を降りていきます。
そこにあるのはナビゲータールームです。
左の小さなモニターがついているのはナビゲーションシステム。
テンキーがついているのがアナログな感じですね。
昔ながらの航法を行うための用具も。
海上自衛隊でも、体験航海や観艦式で、チャートルームで
コンパスと定規を使ってチャートに向かう乗員(三尉が多い気がする)
の姿を見ることがあります。
どんなに航法システムがデジタル化されても、完全にAIとなっても、
基本その手助けを借りずに船を動かすことができるだけの備えをするのです。
ミッドウェイで使われていた六分儀だろうと思われます。
六分儀、という名前は(この写真では分かりにくいですが)その枠が
円周の6分の1の形をしていることからきています。
簡単にいうと、これで天体と水平線の角度を測ったり、月と天体の間の距離から
現在位置や現在時刻までがわかるという昔ながらのアナログ機器です。
wikiのアニメーションが分かりやすいので貼っておきます。
ナビゲーションルームにある本は、やはりチャートそのものとか、
「太陽の高度による航法」(つまり六分儀の使い方)など。
ソナーのトランスミッター。
横には「ソナーセットの取り扱い方」という説明が貼ってあります。
ナビゲーションルームを出てまた移動です。
この場所はちょうどホークアイの真上なので、お皿の上が観察できます。
最後に見学したのは巨大な空母「ミッドウェイ」の中枢であるブリッジでした。
「CO」と書かれた椅子はほかでもない艦長の席です。
ミッドウェイの艦長は1945年9月10日に就役した時の初代艦長、
J・F・ボルガー大佐から始まって、1992年の退役までの間40名。
40名の艦長がここでこの巨艦の指揮を執ってきました。
この47年間の間、艦長がいなかった時期が二回ありますが、
これはいずれも大改修の時であったと推測されます。
艦長席の横にあるスイッチ各種。
命令伝達をする際のスピーカーの切り替えかなんかでしょうか。
軍艦の艦橋はこのように二重構造になっていることが多いようです。
特に航空攻撃によって艦橋が狙われやすかった時代の戦艦「マサチューセッツ」などは
まるで日銀の金庫並みに分厚い二重構造になっていたのを思い出します。
海戦における航空機の攻撃という形態が変わってきたので
その頃ほどではありませんが、それでもこの中のものを守るために
このような構造を取っているのかと思われます。
その「守るもの」とは・・・・もちろん操舵装置。
ブリッジから見た甲板と海軍基地(とプラウラー)。
中国本土から来たらしい一家。
最近はミッドウェイでも中国人観光客が激増しています。
ブリッジのステイタスですが、略語の意味わからず。
このステイタスボードも二重構造の内側にあります。
艦全体の現在状況を把握するための計器類だと思われます。
下の真ん中に「フロアアングル」とありますが、「ミッドウェイ」は
日本の技術者による「伝説の改装」を受けた後、ただでさえ揺れやすい艦体が
さらに揺れるようになり、ついに揺れ角24という最高記録を打ち立てて、
記念のTシャツが作られたという逸話を持っています。
その時、この計器は華々しく?24ディグリーを指し示し、
周りの乗員たちの注目を集めたはずです。
ちなみに、日本人技術者は、2年かかるはずの改修を半年で済ませましたが、
その設計がミスで、「ミッドウェイ」の揺れが酷くなると気づいていたそうです。
「ミッドウェイ」の方位磁針。別名羅針盤。
このチェアに座ると、「ミッドウェイ」の右舷側を一望することができます。
それではここにはなんのために座るんでしたっけ?
そう、英語でアンダーウェイ・リプレニッシュメントと称しているところの
洋上給油の監視ですね。
空母の場合、甲板の反対側、右舷と給油艦がホースで結ばれるので、
この椅子に座って右舷側の状況を監視するわけです。
この写真は真ん中が補給艦、右側で同時に補給しているのは
駆逐艦だろうと思われます。
「非常時における脱出について」とあります。
非常時になると短く6回ホイッスルが鳴らされる。
これを「ブレーク・イマージェンシー・シックス」といい、
給油をしていたらすぐに中止し、荷物を運んでいたらやめて、
次の行動に備えよ、という様なことが書かれていました。
「スキッパーは眠らない」というタイトルで書いたことがありますが、
艦長はいつ寝ているかわからないほどいつも人の目に触れています。
艦長用のちゃんとした寝室はアイランドの下の階にあるのですが、
ブリッジのすぐ横には艦長専用の個室があって、ここで
仮眠をとったり食事をすることもしょっちゅうなのだそうです。
ちなみに寝ないことにかけてはエアボスも艦長並みなのだとか。
当時は喫煙をする艦長も結構いたようですね。
おそらく今のアメリカ海軍では特に士官はほぼ喫煙率は0に近いと思われます。
枕元の本棚には「海上での指揮とは」(実用書?)の他に、
トム・クランシーの小説「パトリオット・ゲーム」があります。
確かジャック・ライアンがアナポリスの教官であるシーンから始まるんですよね。
アメリカのどの家庭にもある、扉の後ろが薬棚になっている鏡があり、
当時は最新型だったに違いないビデオ内臓の小さなテレビが供えてあります。
ここまでちゃんとしていたら、ずっとここで生活する艦長も多かったでしょう。
アイランドツァーをしてくれたのは、退役軍人のボランティアです。
飛行甲板からブリッジまで、狭い階段を48段(と言っていた気がする)
上って下りて、をするにはかなりのお年にお見受けしますが、
自分の経験を交えて「ミッドウェイ」の説明をすることを
きっと何よりも生きがいのようにしておられるのでしょう。
現役時代を彷彿とさせる眼光の鋭いおじいちゃまでした。
さて、というところで三年かけてやっと実現したアイランドツァー、
これで終了です。
ブリッジの階から48段の階段を下りていきます。
飛行甲板にたどり着きました。
Welcome Aboard
' The grand Ole Lady of West-pac'
ウェストパックというのは今でも例えばアメリカの空母打撃群が
南シナ海での「自由の航行作戦」や北朝鮮への威嚇のために
アジアまでのツァーを行う際に使われます。
「ミッドウェイ」の艦歴はその全てが日本での勤務にあり、
バリバリの現役艦であった頃は、そのため
「剣の切っ先」
と呼ばれることもありました。
おそらくですが、この「大きなお婆さん」呼ばわりは、
彼女が600隻艦隊構想で延命措置を受けた頃のものではないでしょうか。
今、このお婆ちゃんは、その役目を終え、その歴史を後世に残すことを役目に、
静かにサンディエゴにその艦体を休めています。
続く。
文化の違いなのか、米軍では艦位測定は航海科員(曹士)の仕事ですが、自衛隊では初級幹部(副直士官)の仕事です。
米軍では艦位測定をするだけだと思いますが、自衛隊では得られた艦位から航路計画に対する遅れ進み、予定航路から左右にどれだけずれているか(偏位量)の算出と予定航路に乗せるためには、どのような針路速力で行けばいいのかまでを考えて、当直士官に上申する(リコメンド)までが求められます。
業務としては曹士に任せてもいいと思いますが、このおまけの作業までをやらせることによって、将来、当直士官になった際のOJTを先取りしています。
初級幹部にこういった仕事をさせない米軍。それはそれで一つの考え方ですが、常に先を考えるというのは、船乗りとして基本的な素養なので、こういうことをやらせないというのが、数年前に衝突事故が頻発した要因なんじゃないかと思いますが、あくまでも私見です。
六分儀は天体の高度(海面からの角度)を算出するもので、時間は出せません。海面からの高度と正確な時間がわかっていないと航法計算は出来ません。
ソーナーのトランスミッターと書かれている物は、確かにソーナーではありますが、普通「ソーナー」というと潜水艦捜索に使う探信儀を想像しますが、これは水深を測る測深儀です。自衛隊の空母型DDHは対潜戦中枢艦なので、ソーナーはありますが、米海軍の空母にはソーナーはありません。護衛艦に守ってもらうことを前提に作られています。
>艦長席の横にあるスイッチ各種。命令伝達をする際のスピーカーの切り替えかなんかでしょうか。
いい勘しておられますね。右の機器はテレトークと言って、レバーで指定する艦内各所(複数)と通話出来ます。戦闘配置に就けば、各人は指定された電話系に着きますが、通常航海中は見張員以外は電話には就いていません。そのため、通常航海中の機関故障や火災、浸水等の突発事象の第一報はこのテレトークで艦橋に上がって(報告されて)来て、艦橋でアラームを慣らして総員配置に就けます。
>軍艦の艦橋はこのように二重構造になっていることが多いようです。特に航空攻撃によって艦橋が狙われやすかった時代の戦艦「マサチューセッツ」などは、まるで日銀の金庫並みに分厚い二重構造になっていたのを思い出します。
ここまで行くとさすがです(笑)
戦艦の時代は、艦対艦の砲戦で雌雄を決していました。砲戦とは敵艦が沈黙するまで撃ち合うことなので、指揮中枢である艦橋を守るために、二重構造になっています。船に乗っていれば、そういうものだと段々分かって来ますが、見学だけでそうだろうと想像出来るのは「さすが」としか言いようがありません。観察力想像力共、さすがです。
>ブリッジのステイタスですが、略語の意味わからず。
このボードは周囲を走っている目標(船)の動静を記すもので、フルスペルはわかりませんが、SKの欄に書かれているのが探知された順番に振る目標の呼称(最初に探知したものからA、B・・等と振る)BRG(Bearing。探知した方位)RNG(Range。探知した距離)TIME(探知した時刻)CUS(COURSE。針路)SP(Speed。速力)です。
>艦全体の現在状況を把握するための計器類だと思われます。下の真ん中に「フロアアングル」とありますが「ミッドウェイ」は日本の技術者による「伝説の改装」を受けた後、ただでさえ揺れやすい艦体が、さらに揺れるようになり、ついに揺れ各24という最高記録を打ち立てて、記念のTシャツが作られたという逸話を持っています。
下の真ん中はRUDDER ANGLEって書いてありますよ(笑)
自衛隊の船には、艦橋中央の窓の上に同じ物が付いています。上段の左から左軸の回転数。中央が対水速力、右が右軸の回転数で下段の左から左軸の速力、中央が舵角、右が右軸の速力です。
当直士官が針路速力を指示して、その操作は艦橋当直の曹士が行いますが、ちゃんと号令通りになっているか当直士官が自ら確認するための機器です。当直士官が「面舵」と言って、実際には操舵員が「取舵」を取っていたら、のし上げたり、ぶつかったりしますからね。
米海軍の設計、施工仕様発注により住友重機械工業が主担当会社となり、米海軍横須賀修理廠6号ドックで実施しました。
工事期間は1986年4月から10月でした。
これはそれまでの数多くの改造で重量が増加し、吃水が深くなり波浪の影響が受けやすくなっていたのをブリスターを取り付け、浮力を増し、吃水を浅くし改善しました。水線面積が増加し、復原性の改善にも繋がるとの考えでした。また舷側が多層構造となり被害防御ともなりました。
STS鋼材、溶接材料等全て米海軍からの支給であり、当時の日本での造船鋼材より溶接が難しく苦労したようですが85個のブロックのブリスターを一部外板を撤去したりして大変スムースに主船体に連結されました。合わせてその他の機器等もオーバーホールや補修も実施されました。
しかし、艦の幅がブリスターで水線部で特に増加し、動揺周期が短くなることで揺れ易くなりました。普通の水上艦であれば問題とはならなかったかもしれませんがアイランドを除き最上部が幅の広い飛行甲板の航空母艦であり航空機の運用に影響したものと思います。
疑問2
住重は工事施工であり、米海軍が監督検査を実施します。
詳しくは分かりませんが工事後の試験や海上運転まで住重に発注してあれば責任を持ってリコメントや仕様変更も具申出来たと思いますが想像ですが色々な工事を別別に発注されたのではと思います。
米海軍は不確かですがおそらく当時は各艦が予算を持っており、権限が強かったと思われますので日本の業者には口を挿む事は出来なかったのではと思います。横須賀修理廠の組織や権限がどのように関連したのか分かりませんが。
なおその後バラスト搭載等の施工で改善を図ったのではと参照図書に書いてあります。
参照海人社「世界の艦船」No776