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メア・アイランド海軍工廠〜ヒストリックパークファウンデーション

2019-06-06 | 博物館・資料館・テーマパーク

長らく語ってきたメア・アイランド博物館の展示についての話も、
最終回になりましたので、ここでメア・アイランドのドックなど
海軍工廠そのものをご紹介して終わりたいと思います。

昔活気があったここは、海軍工廠が閉鎖してからご覧の通りゴーストタウンです。

工廠跡の建物は、民間の溶接工場やエンジニアリングの会社が買い取り、
使用しているところもあるようですが、ここはどうも空き家のようです。
道路は近辺の会社や工場のワーカーの駐車場になっています。

その他ネバダにあるトゥーロ・ユニバーシティの図書館だけがなぜかここにあるそうです。

ところで、展示品についてもご紹介しそこなったのを全部あげておきます。
Mk44魚雷は、水上艦以外では以前ここでご紹介したことがあるドローン、
対潜ヘリコプターDASHなども搭載していた魚雷です。

タイプライターのようなタイムカードレコーダーのような。
パイプなどの金属に刻印するためだけに存在する機械。
打ち間違えたら訂正できずそのまま刻印されてしまうんですね。

キールレイドの時に使われたハンマーは、このように記念となり、
後世に残される場合もあります。

ここに見える艦船の名前は

駆逐艦「クラクストン」「プレストン」「ハミルトン」

潜水艦「スタージョン」潜水艦「スウォードフィッシュ」

駆逐艦「キルティ」「ボッグス」

などですが、潜水艦はハンマーではなくラジオペンチのようなものです。

かつてここでもお話しした、ユージーン・イーリーが

「空母から人類初めて飛行機を離艦させ、着艦した」

のはここメア・アイランドでした。

ここの説明にはなぜかイーリーを「大尉」と説明をしているのですが、
残念ながら彼は海軍軍人だったことは一度もありません。

その業績の偉大さの割にアメリカ以外では名前が全く知られておらず、
わたしが彼についての記事を書いた時には日本語のウィキもなく、
「Ely」という名前を「イーリー」にするか「エリー」にするか迷ったものですが、
いつの間にか「イーリー」でwiki記事が書かれていました。めでたい。

でもこれ、もしかしたら一番正確なのは「イリー」かもしれないな・・。

勝海舟ら咸臨丸と日本からの訪米施設がここにきた時には
確実にここを見るか、あるいは前を通り過ぎるかしたはずの建物。
写真は1860年ごろ撮られたものですが、その後、
1898年のサンフランシスコ地震で倒壊し喪失しました。

お家ですか?ケーブルカーですか?

これは下の説明にも見えるように士官のクォーター(宿舎)なのですが、
なんか、家ごと木の通路を行ったり来たりできたみたいです。

何のためかも説明がないので詳細はわかりません。
傾斜を降りる形で転がっていったみたいなのですが、それでは
登るときはどうしたのかな?

こんな不安定なところにいて士官さんたちは不安じゃなかったのか?

こちらは1903年の写真。
2隻のフリゲートが当時の動力だった石炭を荷下ろししています。

さて、それでは博物館の裏手に出てみましょう。
博物館のおばちゃんが、裏の出口を教えてくれました。

この日の来館者はわたしたち二人を入れて全部で確か4人でしたが、
最後まで観ていたのはわたしたちだけになり、おばちゃんとしては
早くわたしたちに出ていって欲しかったようです。

出てすぐの岸壁に潜水艦「ヴァレーホ」のセイルがありました。
ここから見ると、まるで着岸しているようです。

この岸壁沿いの道路の名前が「ニミッツアベニュー」というのは前も言いましたね。
ニミッツアベニュー1084は現在何かに使われているらしくゴミ箱が前にあります。

ところで、このモノレールのような鉄の構造物、これは
メア・アイランドの大昔の写真にも同じものが写っているのですが・・、

具体的にどうやって使うものなのでしょうか。
クレーンとは全く違うようですし、不思議なことにこれは
ドライドックの周りにはないのです。

一つのドックの中に駆逐艦が6隻。
1922年、二番ドライドックの航空写真です。

全く同じ形をしているので、6隻同時進行で作っていたのだと思われます。

同じドックの現在の様子をグーグルアースで撮ってみました。
岸壁に隙間なく敷き詰められるようにあった資材が今では跡形もなし。

これは、第2ドックの手前にある第1ドックを横から見たところです。
周りは鉄柵で囲まれて近づけないようになっていました。

クレーンは当時のままに全基残されています。

これは前にもご紹介しましたが、今立っているところから一番遠い、
第3ドックを建設していた1940年の写真。

金網の隙間から撮影した第1ドック。

西海岸で初めて建造されたかなりの大型船にも対応できるドック、
工事は1872年に始まり、1891年に完成しました。

我が日本の横須賀のドックより遅い時期になります。

グーグルマップでは今でも第3ドックにコーストガードの
砕氷艦が停泊していますが、第1、そして第2ドックは閉鎖されているようです。

これらのクレーンが稼働することは今後もう2度とありません。

ドックに添うように、貨物を運んだレールの跡が見られます。

積み重ねられたコンクリに字が刻まれています。

上から、41年5月7日、39年11月17日、41年5月7日、
という意味ではないかと思われますが、なんでしょうか。

歩いて第2ドックまでやってきました。
こうして正面から見ると、ここに駆逐艦が6隻入るとは思えません。

ドックの周りにあった「ショップ」の建物も、そのまま何も変わらず残されています。
取り壊すこともなく、かといって保存のための特別な措置もすることなく、
アラメダのようにいつまでもかつてのまま「放置」するつもりかもしれません。

国土の広大なアメリカならではの鷹揚さとある種のいい加減さは、
時としてこのような歴史的ゴーストタウンを産みます。

窓だったところを全て板で覆ってしまっているビルもありました。

これが今回見学した博物館、正式には

Mare Island Hisoric Park Foudation

です。

博物館は上から見るとコの字の中に別棟を抱えているのがわかるのですが、
この写真の向こう側が「コ」の端、左の建物があとで建てられたらしい部分です。

すっかり人気がなく「兵どもが夢の跡」と化したかつての工廠。
時の移ろいのうたかたに思いを馳せることができる、わたしお薦めの観光です。

フィッシャーマンズワーフなんかより、ずっと心に残る旅になると思いますが、いかが?

今から工事が始まるようですが、立て看板には、

「Future Home Of Histric Core」

と書かれていますね。
ちょっとどういう意味かわからないのですが、将来ここを
歴史を訪ねる中心にしようとか、そういう計画があるのかな。

博物館の建物に沿って歩き、正面の車を停めておいた所に戻ることにしました。

その時になって初めて、「ミュージアム」の看板を見つけました(笑)
こんな所にあったのか。道理でわからなかったはずだ。

あ、レンガが一つ無くなってる。

閉館時間ギリギリまで粘っていた最後の客(わたしたち)が
やっと出て行ってくれたので、露骨にやれやれ、とばかりに
看板をごろごろ引っ張って片付けているボランティアのおばちゃん。

ところでこの看板、どこにあったの?

メア・アイランドを出発し、向かいのヴァレーホに渡りました。
ここにも海軍工廠だった頃の名残がさりげなくあったりします。

ナパ川越しに対岸に見るメア・アイランド海軍工廠跡。
この博物館を通じて、また新たな海軍の歴史について知ることとなりました。


車をお持ちの方は、サンフランシスコ観光のついでにぜひ訪れることをお勧めします。
ただし、オープンしている日時はほんの一瞬なので、事前に調べてからね!

 

メア・アイランド海軍工廠博物館シリーズ 終わり



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2 Comments

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ガントリークレーン (お節介船屋)
2019-06-06 09:54:18
<ところで、このモノレールのような鉄の構造物、これは
近代に工場、造船所、海軍工廠等に多くあったガントリークレーンの門部分です。
両サイドの上部分にレールがあって車輪の付いた桁がこの上を前後移動出き、また桁の部分でも左右に移動できるクレーンがあり、門型の下での重量物の移動が前後左右可能となっており、工場や船台、ドックに数多く使用されていました。
ただ門部分から外への移動が車等が必要であり、重量物の大きさや重量により、相当ガッチリ作らねばならないし、メンテナンスや大きな構造物が邪魔であり、現代は地面にレールを敷いてこの上を移動できるアーム付きの走行クレーンとなっています。相当大きな重量のある物でも2つの走行クレーンを使用して吊ったり、移動範囲が大きく、自由度があります。ドックによっては両舷に渡る門型走行クレーンとなっている物もあります。
写真の物はチョット華奢であり、ある程度までの重量物の移動に使用したのか、部分的に撤去されたのではと思います。門のスパンの長い部分に補強材があり、また上部にメンテナンス用足場もあります。一部近年塗装補修した部分も見られます。

<潜水艦はハンマーではなくラジオペンチのようなものです。
ラジオペンチと形や用途が似ていますが、切断は出来ない格好ですので鉄板や熱い物をつかむ「やっとこ」です。ただ「スタージョン」のものは柄が短くて先の部分も扁平なので違う工具なのかな?

<上から、41年5月7日、39年11月17日、41年5月7日、
という意味ではないかと思われますが、なんでしょうか。
ドックで使用する盤木の土台のコンクリートと思います。
数字も日付ではなく位置を表しているのでは思います。
船のキール部分や腹部分を支える盤木は通常木材で船体を痛めないよう配慮されていますが船が乗ってない状態で注水しますが木材だけでは浮き上がりますのでこのようなコンクリートや石を土台として使用します。船によって盤木間隔や大きさが違いますので土台も多く用意され移動もされます。通常はドック渠底に置いてありますが使用しなくなってドック傍に上げたものと思います。
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モノレールのような鉄の構造物 (Unknown)
2019-06-06 10:16:07
「モノレールのような鉄の構造物」は、上部構造物や砲塔のような重量物を陸上で組んで、ぎ装の際に船の上まで平行移動させるクレーンの残骸だと思います。

バレイホだったら、昨今、地価も高そうなので、更地にして売りに出せばいいんじゃないかと思いますが、更地にする資金の出所がないのでしょうね。アラメダも放りっぱなしだし、ロスアンジェルス郊外のロングビーチも広大な敷地がほぼ廃墟(笑)となって、残っています。

メアアイランドは術科学校があったし、ロングビーチはターターミサイルの受領場所だったので、昭和の御世の自衛官の記憶には残っていますが、平成も終わって令和となった今、どちらも覚えている人はもう現役にはいないと思います。

米海軍の公式見解によると、ガラガラ蛇の艦首旗は同時多発テロを受けての一時的なものだったので、伝統ある旗に戻したのだそうです。

そういうのは他にもありますね。航空機は、飛行隊長機だけは機体に絵を描いたり、ハデハデ塗装が許されていました。テロとの戦いの間は自粛していましたが、数年前に復活しました。厚木のMH-60Rなんか鎧武者が描いてあります。
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