USS「スミソニアン」CVMという架空の空母のハンガーデッキを
そのまま再現したスミソニアン博物館の空母航空コーナーは、
もちろんそこで終わりではありません。
ハンガーデッキから隣の区画に抜けていくと現れるのが
艦載機パイロットの控室である「レディルーム」です。
まず「レディルームとは」という解説を見てみましょう。
空母の各スコードロン(squadron飛行大隊、英国では飛行中隊)は
レディルームにアサインされます。
レディルームとは、家庭のリビングルームのおよそ2倍のサイズです。
アメリカ家庭のリビングルームの2倍ということは、日本の家屋における
リビングルームとは比べ物にならないくらい広い、と考えられます(笑)
リビングルームに喩えたのは、ここが故郷を離れてやってきた
飛行大隊フライトクルーの「ホーム」でもあるからです。
「オフィス」があり、教室があり、映画館があり、リビングルームもあり・・。
バルクヘッド(壁)には掲示板、地図、ポスター、ブリーフィングガイド、
気象情報とナビゲーション情報を流すモニター、フライトデッキのモニターで埋め尽くされ、
テレビはネットワークが届かない状態でも放映することのできる番組を流しています。
また、空母艦載機パイロットというのは、着艦ごとに
「成績」をつけられるということがわかりました。
「ファイナル・グレード」
パイロットの空母着艦の際のアプローチが上手いかどうかは
ナンバー3のワイヤーを捉えることができるかで判断します。
全部で4本あるワイヤの4番目に引っかかるなら、それは
おそらく「高すぎ」「速過ぎ」を意味し、もしナンバー1、2なら
機体の侵入速度は「低過ぎ」「遅過ぎ」るということなのです。
LSOと呼ばれる信号員は、全てのアプローチに対し評価グレードをつけ、
各パイロットの個人成績としてその記録は残されます。
次に挙げるのは典型的なLSOのアプローチに対するコメントです。
これらのコメントはすべて略語(short hand)でログブックに書きつけられます。
「オーケイアプローチ、コメントなし、3ワイヤー」=OK3
「アプローチ失敗、Settle in the middle, Flat in close,4ワイヤー」
=OK SIM FIC4
「グレードなし、 Not Enough attitude in close1ワイヤー」
=NEATTIC SAR1
真ん中のは「可」でしょうか。
最後のは最終アプローチで高度が低過ぎたため、最初のワイヤーにひっかけても
グレードなし、つまり失格というやつです。
これがが続けば残念ながらパイロット適性なしとして勤務を外されます。
非情なのではなく、命に関わっているからこその措置です。
ロックコンサートのフィナーレでマイクを高く掲げているのではありません。
お仕事中のLSO、The Landing Signal Officerです。
もし着艦の体勢が正しくないときには、「ウェイブオフ」が命令され、
そうすればパイロットは決して着艦することはできません。
もう一回やりなおしです。
ちなみにログブックの略語のいくつかを書き出しておきます。
OK パーフェクトパス
OK 正しい判断による理由のある逸脱
(OK) 理由のある逸脱
_ 最低の方法だが一応安全にパス
C 危険、大幅な逸脱、離艦ポイントに侵入
B Bolter
ボルターとはワイヤーをキャッチできなかった場合です。
その場合をボルターといい、ボルターしてしまったらフルスロットルで加速し、
再アプローチをするためにもう一度発艦して一周回ってきます。
空母「ジョン・C・ステニス」のアレスターワイヤに接合失敗したAN F / A-18Cホーネットが
絶賛ボルター中で、機体の車輪は甲板にありますが、エンジンはまだアクティブであり、
機体の下側のフックが甲板に引きずられて火花が起こっています。
ボルターは「失敗」には数えられません。
ログブックの略語は、このほかに「LO=Low」「H=High」など基本から
「L-R=Left to Right」「NC=Nice Correction」(良い修正)など、
なかなかきめ細やかにいろいろとあります。
LSOとパイロットたちは、この略語を隠語として日常生活に使用していると思います。
「ラインアップ」Line Up
フライトデッキにノーズを向ける最終進入体勢をラインアップと言います。
侵入角度をここで調整し、「ミートボール」を見ます。
空母着艦の際に「ミートボール」と呼ばれる機器が活躍することについては
当ブログでも何度かお話ししていますが、ここにも出てきたのでまた説明します。
ファイナルアプローチに入るとパイロットは「ミートボール」を見ます。
ボールとは垂直のフレネルレンズ上に見えているのライトのことで、
もしグライドパス上にいればボールは二つの水平の緑のライトと並んで見えます。
もしグライドパスより高いと、ボールは緑のライトの上に見えるので、そのときは
操縦桿をすぐさま下降に動かすと、ボールも下に見えるはずです。
ボールが下に行ったらあとは簡単、そのまま降下するだけです。
「スムーズに操縦桿を動かさなければクラッシュしてしまい、
あなたはもうおしまいです!
操縦桿さえちゃんと動かせば朝飯前です!( a piece of cake!)」
「エアスピード」Airspeed
近代空母搭載の航空機は着艦の速度調整はパイロットが行うことも、
コンピュータで行うこともできます。
この時にはラインアップとミートボールに集中します。
画質が荒いのでわかりにくいですが、パイロット視線で
いまから着艦をするという設定です。
横のレンズはほぼ一列に並んで見えます。
フレネルレンズ使用によって暗い日でも着艦し易くなりました。
「トラップ」A TRAP
着艦成功のことを「トラップ」と呼びます。
航空機がデッキにタッチすると同時にパイロットはスロットルをフルパワーポジションに入れます。
もしテイルフックが4本あるロープのどれかに引っかかれば、パイロットは
すぐさまパワーを減速させ、エンジンをアイドリング状態にして自然に機体が止まるようにします。
しかし、フックを引っ掛けることができなかったときには、
先ほど説明した「ボルター」となり、パイロットはフルパワーのまま離艦します。
ただし、このボルターが行われるのは昼間だけで、夜間、嵐の日、
あるいは燃料がないなどのときには行われません。
じゃ失敗しそうな夜間や暗い日はどうやって着艦するのか、って?
ご安心ください。その時にはコンピュータが全てを終わらせてくれます。
しかし基本着艦はパイロットの操縦によって行われます。
全てをコンピュータで行わないわけはおわかりですね?
艦載機飛行隊の部隊章のいろいろ。
真ん中の虎のマークの「ATCRON」ですが、
ATTACK SQUADRON
の造語だろうと思われます。
VA65「Tiger」飛行部隊は、スカイレイダーからイントルーダー部隊となり、
1993年に解散した飛行部隊です。
トランプマークの
ブラックエイセス第41戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron Forty one)
はアメリカ海軍の戦闘攻撃飛行隊1948年に一旦解隊したあと1950年に再発足しました。
別のコーナーに第41飛行隊の歴史スナップがありました。
1953−1959 マクドネル F2H-4 バンシー
1959ー1962 マクドネルF3H -2 デーモン
1962-1976 マクドネル・ダグラス F-4ファントムII
1976-現在 グラマン F-14 トムキャット
はて、トムキャットっていくらなんでも現役だったっけ?
とさすがのわたしもふと気がついて調べてみたら、やっぱりF-14は
アメリカ海軍からは2006年にはもう引退していました。
スミソニアンともあろうものが、データを書き換えるのを忘れていたと見えます。
ブラックエイセスは現在F/A-18Fスーパーホーネット部隊としてアクティブです。
このレディルームは第14戦闘飛行大隊(VF-14)、第41戦闘飛行大隊(VF-41)、
どちらも空母USS「ジョン・F・ケネディ」に配属されていた第8飛行隊が
実際に使用していたものです。
緑のユニフォームを着ているのはCPO。
CPOと向かい合って立っているおじさんは本物の人間です。
パイロットたちの「着艦成績表」は常に貼り出されます。
緑=OK、黄色=普通、茶色=グレードなし、赤=やり直し
となるので、「ルーキー」「スライ」はできる子、「スラマー」はできない子です。
成績優秀者は名前が「トップ・フッカーズ」(トップひっかけ人)として貼り出されます。
「セオドア・ルーズベルト」第71飛行隊の飛行計画書。
「フォッド・ウォークダウン」は飛行甲板のゴミ拾いです(大事)
フライトクルーの記念写真。
髪型と髭率の多さから、70年代の写真かと思われ。
説明がなかったんですが、この上の赤い★付きの飛行機、なんだと思います?
続く。
着艦してくる航空機の速度を把握するのも、パドルを持ったバットマンの時代から、LSOの重要な仕事です。現在でも艦上機の前脚や機首には、LSOにその迎え角(AOA)を知らせる緑・黄・赤の三色のアプローチ・ライトが必ず装備されています。WikiのF/A-18Cホーネットのノーズ・ギヤです:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7a/HN-441_F-A-18C_Hornet_Finnish_Air_Force_ILA_2012_nose_landing_gear.jpg
・緑は迎え角が小さすぎ(速度は速すぎ)
・黄色なら迎え角は適正(速度は適正)
・赤は迎え角が大きすぎ(速度が遅すぎ)
と、これでLSOに伝えているのです。LSOはこれを目視で判断して、必要な指示をパイロットに伝えています。余程動体視力が良くなければ務まらないでしょう。
またパイロットは誰も気づいてもいませんが、以前(艦上機がジェット時代に入っても)は、このアプローチ・ライトの赤と緑が逆でした。直線的な空母では、アプローチ速度は遅すぎるよりも速すぎる方が、ワイヤーが切れたり、フックが外れたり、バリヤーを突き抜けたりして、前方に駐機している他の機体に激突してしまうため、遥かに危険だったからです。逆に現代のアングルド・デッキの空母では、アプローチ速度が速すぎるのはボルターすれば良いだけですが、遅すぎるとスパッド・ロッカー(空母艦尾のエンジン試運転区画)に激突するランプ・ストライクが待っています。
また艦上機の着艦時には、着陸灯(landing light)を点灯しません。パイロットから光学着艦装置(ミートボール)が見辛くなるだけでなく、LSOからアプローチ・ライトが全く見えなくなり、着艦する機体の速度がわからなくなるからです。もちろん上掲写真のタクシー灯(taxi light)も着艦するまでは点灯しません。
艦上機の写真をご覧になる際には、ぜひ三色のアプローチ・ライトも探してください。E-2なら機首に横に三つならんでいます。
前編
https://www.youtube.com/watch?v=jd3hHGgo9eI
後編
https://www.youtube.com/watch?v=HbYxD2b2D9k
見れればよいですが。見れなければ前編、後編令和3年3月13日海上自衛隊江田島で捜してみてください。
今年は留学生3名が居ました。3か国
練習艦隊にも乗艦したようです。
また一般は例年より少ないように見受けられますが飛行も含め優等生の多い事にびっくりしました。
空母航空団(CAG)のLSOと飛行隊のLSOが共に高く掲げているのは、ウェイブオフを指示するピックル・スイッチです。前に着艦した機体が片付けられて、アングルド・デッキが次の着艦に備えて準備されるまで、ウェイブオフ・ライトを点灯させながら、ピックル・スイッチを示してクルーに確認させています。流石にこの時点では、LSOの姿はパイロットからは見えないと思いますが、光学着艦装置(OLS)導入後では、数少ないLSOのハデなジェスチャーですので、よく写真に撮られています。
LSOと言えば、パイロットへのなだめる様なやさしい音声が有名です。ファイナルでは、LSOはパイロットに対して一方方向の指示を出すだけで、搭乗員には反論も反抗も一切認められていません。
米海軍最高13万回以上もの着艦に携わった伝説的LSOジョン・ジェームス“バグ”ローチ三世中佐(すごいTACネーム)が、嵐の太平洋で海兵隊のA-6イントルーダーをバリケードに突入させて無事着艦させた動画がYoutubeにあります:
https://www.youtube.com/watch?v=DRURB7FdsII
長いですが、聴き応えがあります。
また、女性最初のT-14トムキャットパイロット、キャラ“レブロン”ハルトグリーン大尉の事故の動画がWikiに載っています:
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Kara_Hultgreen_crash.webm
最初は優しくウェイブオフと脚上げを指示した後、パワー!脱出!脱出!と叫び、最後にプレーン・ガード(救難ヘリコプター)を呼んでいるのが切ないです。
USSスミソニアンには、LSOの音声の供覧など、有りませんでしたでしょうか?
特に7話後半の映像は大時化の中での着艦訓練が行われていて、ある意味まともな神経なら逃げ出したくなるような状況が収められていますよ(逃げ出したくても1000km圏内に逃げ込める空港はないんですけどねWW)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7343100
1949年から実戦配備されたグラマンF9Fがあり、朝鮮戦争で実戦配備された最初のジェット戦闘機でミグ15を初撃墜しました。
バリエーションが多く、直線翼のパンサーと後退翼のクーガーと名称も別々となっていました。1952年まで1,400機生産されました。
1954年から55年まで生産されたのが音速域を狙ったヴォートF7Uカットラスで305機生産されましたが使用実績が悪く1957年第一線を退くました。
初飛行は1951年でしたが部隊配備は1956年となった米海軍初のデルタ翼のダグラスF4D-1は約400機生産されました。改良型はF5D-1,F-6と呼ばれ名称が混乱していました。1960年代半ばまで使用されました。
マクダネルF2Hに続きF3H-2ディーモンがF4Dと並行して1960年代半ばまで500機余りが使用されました。
幅10.8m、長さ18.0m、全備重量17.6t、マッハ0.85、20㎜機関砲4門、スパローAAM4発
1962年からF-4ファントムⅡが出てきますが最初の設計は1955年攻撃戦闘機で再設計で長距離高高度全天候型戦闘機となりました。
1952年超音速制空戦闘機として計画されたのがヴォ―トF-8クルセーダーでした。マッハ2,1965年生産終了。
上記のようジェット戦闘機の種類、名称や使用でちょっと難しいです。
参照海人社「世界の艦船」No291
夜中の居眠り防止に、時々、抜き打ちで脅威対処訓練と言って「想定ソ連機飛来。まっすぐ突っ込んで来る」で戦闘配置に就き、短SAMで迎撃という一連の流れをやっていましたが、ある時、米軍の空母が実際に発射してしまったことがありました。自衛隊ではないですね。さすが即応体制バッチリ。
ソ連初のジェット爆撃機Tu-16です。
1952年初飛行で1,000機以上製造されました。1990年代にロシア等活動が終了しましたが、どっこい中国では1957年ノックダウン生産が始まり、59年ライセンス生産が契約、中ソ対立により、技術支援が途絶えました。
ただ中国はコピーとしてH-6シーアンが1968年飛行し、1969年部隊配置が始まりました。その後もアップグレードや海軍用、偵察用とかなりのバージョンがあり、2000年以降も生産されました。
Gが海軍向け、Hが空軍向け、Kが向上型で巡航ミサイル搭載でエンジンも強化されています。
これはグアムを含む、極東全域の対地、対艦ミサイル攻撃用であり、我が国は大変注意しておかねばならない航空機です。
全幅33.0m、全長34.80m、総重量78t、巡航速度960㎞/h、後続力6,000㎞、乗員4名
せきれい社「世界航空機年鑑」