ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ブルーインパルス・後編〜平成27年度入間航空祭

2015-11-13 | 自衛隊

ブルーインパルスの演技についてのご報告は1日で終わるつもりだったのですが、
自分でも思っていた以上に写真と実際のフォーメイションを照合し、
図解のように解析していくのが楽しくて、3日もかかってしまいました。

それもこれも雷蔵さんがおっしゃるように、一回のイベント出動で
あまりにも大量の写真を撮りまくったからといえます。

ブルーの写真を撮ったことがある人ならわかっていただけると思いますが、
他の航空機のときより、確実に何割か増しで気が盛り上がるというか、
アドレナリンの噴出度合いが違うんですよね。
写真を撮っている人はもちろんのこと、普通に見ている人たちにとっても。

わたしの後ろで見ていた初めてらしいおばちゃんが、

スローロールやタックで近い距離をブルーの機体が通り過ぎるたびに

「速いっ!!!・・・・はやいッ!!!!!!」

とそれだけをなんども大音響で叫んでいましたが(笑)、誰にとっても
ブルーインパルスとは、まさに「青い衝撃」そのものなのでしょう。



上向き空中開花が終わり、その航跡がまだ消えないうちに、

 STAR CROSS(スタークロス)

が始まりました。
5機が青空に星を描きます。



星のエッジでピタリと航跡を描き終わるのは、とても飛行機を操縦しながらでは
タイミングが確認できないと思うのですが、地上から指示が出ているのでしょうか。

スタークロスは天気の良い日にしか行われない演目で、難易度も高いそうです。
他国のアクロバットチームがこれをやろうとして空自から資料をもらい

試してみたそうですが、操縦技術の細かさが再現できなかったという噂あり。

これを行うのは世界でもブルーだけのオリジナルです。




5番機と6番機で行った演技。
フォーメイションの名前はわかりませんでした。
2機がロールしながら平行に上昇し、



同時に一気に近づきます。
直線に向かい合ってロールをしながら進み、ギリギリをすれ違う

オポジット・コンテニュアス・ロール

とはまた別の難易度に思われます。



オポジット〜の時には、視覚のトリックを用いていて、ギリギリをすれ違っているようで
実は2機の距離は会場後方に向かって50メートルとかなり離れているのですが、
これは距離を十分離していたとしても、ロールのあとのクロスなので、かなり難しそうです。



5番機が単機で侵入してきました。




そのオポジット・コンティニュアス・ロールをしている5番機。
5番機だけを追いかけていたため、6番機とすれ違う瞬間を取り逃がしましたorz




この時の機体を超アップしてみると、パイロットはどちらも向こうを見ています。



1番機から4番機までで行う

ROLLING COMBAT PITCH(ローリングコンバットピッチ)




正面から見ると斜めの線に見えるエシュロン編隊で進入し、
その隊形の一番下にいる機から順番にロールを行っていきます。


 
すると、このような(フレミングの左手の法則みたいな?)
ねじれたシェイプが出来上がり。 



ソロを行うのは5番機か6番機とされています。
5番機は、万が一1番機に以上があったとき、代わりに残りを統率する任務を負います。

1番機と5番機には当然ですが、飛行班長クラスのベテランが搭乗します。

今回、アナウンスを聞いていてへえと思ったのは、
メンバーの中に明治大学出身のパイロットがいたことでした。

ホームページによると、隊長の2佐が防衛大学校出身である以外は
ほとんどが航空学生の出身で、一般大卒は2名となっています。

ブルーのメンバーになれるのは、技術的に特に傑出している航空要員のはずなので、
若い時から飛行機に乗ってきた航空学生が多いのは当然かもしれませんが、
一般大学出身でも、ブルーの隊員になれる可能性は同じようにあるということなんですね。



ダイナミックな航跡を描くので人気のある

WIDE TO DELTA LOOP

は、1番機から5番機までで行います。



編隊の形はデルタですが、後方から侵入してくる時には広い間隔を取っています。
そのまま観客の頭上を通過し、その後急上昇に転じます。



頂上に達する時には機体同士の間隔はかなり狭まっており、
そのまま折り返して垂直降下を行います。



お待ちかね、


CORK SCREW(コークスクリュー)

コークというのはコルクのことで、つまりコルクの栓抜きです。
わたしが最初に入間航空祭に来た年には、演技の途中でバードストライクがあり、
そのまま中止になったため、最後の方に行われるコークスクリューは見られませんでした。

確か、そのとき事故機に乗っていたドライバーは、この日を最後に引退だったので、
なんともお気の毒、と思った覚えがあります。


コークスクリューは2機がアブレスト隊形(並列横並び)で侵入してくるとのことですが、
いつも気がついたらもうすでに演技が始まっています。



背面で航行する5番機の周りで、6番機がバレルロールを行います。
スクリューの「芯」になる5番機が背面飛行するのは、普通に飛ぶだけでは
ロールを繰り返す6番機に比べて、技術的に楽に見られるからじゃないでしょうか。

違うかな。



何回もこの演技を見たわけではありませんが、今日のロールはとても綺麗だと思いました。



スクリューの回転半径はの大きさ、つまりロールの角度は決まっています。



3回転目にはいる6番機。
コークスクリューは3回転行われます。



5番機と6番機のこのときの距離は、20mもないように見えます。
実際に飛んでいる両名には手の届きそうな位置に思われるでしょう。



2機による演技ですが、もっとも会場を沸かせるので、
大抵最後のクライマックスとして行われます。




3回転目、終わりー。
正確には6番機は3回転半、5番機の周りを回転することになります。



回転を終えた「スクリュー」の方は、背面の5番機と平行になるように近づきます。
このときのロールの角度は270度と決まっています。



これが「半周」回転しているということらしいですね。
この後、5番機と6番機は着陸進入を行い、そこまでが「コークスクリュー」です。



自分の残したスモークの航跡の中に突っ込んでいく演技後の6番機。



一生に一度でいいから、こうやって自分の出したスモークをくぐってみたい、
ブルーのコクピットからの景色を見てみたい、と憧れる人はたくさんいるのではないでしょうか。


ブルーインパルスのメンバーは立候補と指名、どちらによっても決められ、

かつては指名されるメンバーの方が多い時代もあったそうですが、
今はほとんどが志願し、かつ難関をくぐり抜けてなったドライバーだそうです。

メンバーは基本的に任期は3年間だけで、1年目は訓練待機といって修行期間ですが、
この時期に彼らはしばしばアナウンスを担当することがあるのだそうです。

この日のアナウンスを行ったのが、ドルフィン見習いだったのかどうか
確かめることはできなかったのですが、(わたしが聞いていなかっただけかも)
もしそうなのだったとしたら、
ブルーが去った後、飛来したカラスをアドリブで
「一機侵入」と説明したのも頷けます。





というわけで、コークスクリューでプログラムは終了したのですが、このブログ的には
バーティカルキューピッドのハートで演技の最後を締めくくりたいと思います。

いつも思うのですが、このハートの始まりの部分、どうやってこんなきっちりと一つのところから
スモークを出すことができるのでしょうか。




フランス空軍のアクロバットチーム、パトルイユ・ド・フランスは
「ラ・クール」(そのまま心臓という意味)という大技を持っています。

なんと、3機+3機で赤青の2色ハートを描き、そのハートを
白いスモークの2機が射抜くという・・。

coeur de la patrouille de France



で、どんなものか探してみたのですが、こんなのでした。
なんかブルーインパルスの方が普通にうまくないですか?

たまたまこのときだけこんな不細工なハートになってしまったのかと思ったけど、
他の映像も大体似たり寄ったりだったし、だいたい3機で線描いてないし・・。

探してみたのですが、ハートを描くチームは、ここと韓国のブラックイーグルスくらいでした。
韓国チームがこれを取り入れたのは、おそらくブルーインパルスより後と思われますが、
何から何まで日本の真似では沽券にかかわるということなのか、
その名も「ビッグハート」で、ハートを描くだけ。それを撃ち抜く矢はありません。 




今日のハートは風が少ないのでとても綺麗です!
4番機の描く矢がまっすぐ突き刺さって行き・・・、




ずきゅうう〜〜ん!


とハートを射抜いてくれました。
ブルーインパルスの演技にハートを射抜かれた人もきっとたくさんいたことでしょう。


と、ベタな締めですみません。

続く。

 

 


ブルーインパルス・中編~平成27年度入間航空祭

2015-11-12 | 自衛隊

さて、ブルーインパルスの演技、後半です。
前回「レインフォールをやらなかったのは事故と関係あるのか」
と本文中に書いたところ、事故関連についての情報を筆不精三等兵さんからいただきました。

これについて少し調べてみたところ、まず当時のニュース映像が見つかりました。

T-2ブルーインパルス事故を伝える報道各社のニュース.mpg


わたしが前回少し触れた武田頼政著「ブルーインパルス」では、
この事故についての詳細が書かれていますが、機体の不調ではなく、
ヒューマンエラー(一言で言うとブレイクコールの遅れ)であったとされています。

しかし、下向き空中開花は、教えていただいたように「判断の遅れ」を招く
意識低下を誘発するという考えによるものか、演技そのものを禁じられました。


そこで、ブルーインパルスが使用機をT-2からT-4に変えたとき、創世期のメンバーが

どうしても「下向き空中開花」系統の技を取り入れるために、
改良を加えて開発したのが「レインフォール」だったといわれます。
その時のメンバーが

「下向き空中開花をやりたいけど、できないからレインフォールで”我慢する”」

と言っていたという証言もあります。

事故機は、ループと逆側に、つまり「C」字型にリカバリーしないといけなかったので、
他のメンバーと違い、隊長のコールの遅れ(0・9秒といわれる)が致命的だったのですが、
「レインフォール」は全機が同じ駆動を行い、「C」ではなく
「S」を描くようにループを行う、と変えられています。




つづいて6番機が単機で行う

SLOW ROLL



その名の通り、ゆっくりと右ロールしながら通過する技です。

これ、実は4ポイントのロールより難しいんだそうです。

簡単そうに見せているけど、簡単そうなのが実は番難しいんですよね。



続いて、#1、#2、#3、#4の4機による

CHANGE OVER ROLL

こちらからの角度では並列に見えますが、トレイル編隊で進入します。



綺麗にトレイル隊形になりました。



編隊を組んだまま急上昇を行います。



この時点で1番機に後続する2機のノーズがわずかに右と左に振れていることに注目してください。
ループに入ると同時にトレイルからダイヤモンド編隊に組み直すためです。



1番機だけがスモークを出さないダイヤモンド編隊で高く高く上昇していきます。



そして背面からループ。



スモーク全体を撮り損ねましたorz

頂点からあっという間に左ロールして右側に離脱。



続いて、ソロ演技専門の5番機と6番機が入ってきてピタリとひっつきました。
ハーフスローロールといって、2機で同時にロールを行う技かと思ったのですが、
正式名はわかりませんでした。



そういえば下総基地でこんなトンボ見たなあ・・・。

ハーフスローロールよりすごい!と思ってしまうのはわたしだけ?



続いて1番機から4番機までで行う

4 SHIP INVERTED

まずダイヤモンド隊形で進入してきました。



1番機と4番機が背面になります。



ぴたり。
続いて手前の2番機、向こう側の3番機がロールを行い、



4機全部が背面の姿勢になります。



このとき、4機の隊形はかなり密集となっています。



しかるのち密集隊形を崩して、間隔をあけてゆき、



全機同時に元に戻ります。
スモークがねじれているのがロールを行った場所。



続いては5番機が単機で行う、

360DEGREES TURN & LOOP(360度ターン&ループ)

左手から進入してきた5番機は、そのまま平面で旋回を行います。



その際、観客席にお腹を見せるような態勢で飛びます。



それが終わると、急上昇してループを行います。



白と青の機体の翼に真っ赤な日の丸。
ブルーインパルスはなんて美しいのかと、こういうときには特に思います。



6機全機で行う

DELTA ROLL 。

この隊形をデルタ隊形といいますが、この形を維持したままロールを行います。



全機で上昇。
この角度で見ると何かに似てる・・・・と思ったらやっぱりイルカでした。

ブルーインパルスのパイロットのユニフォームの腕には
「ドルフィン・ライダー」と書かれたパッチがつけられており、さらには
彼らの乗るT-4を整備するチームも「ドルフィン・キーパー」の名称を持ちます。



デルタロールは、全機で同時にバレルロールを行います。



バレル=樽、ということで、樽の外側をなぞるような動きのロールです。



やはり1番機はこんなときにもスモークは出しません。

「下向き空中開花」の事故映像を見るとわかりますが、当時はスモークに
各自違う色が付いています。
東京オリンピックで5色の輪を描くなど、カラースモークが主流でしたが、
1998年以降、スピンドルオイルに染料を混ぜることは中止になりました。

演技前後の整備に時間がかかることと、費用がかさむことがその理由ですが、
近隣住民の「洗濯物に色がつく」というクレームもあったと聞きます。

基地の近くに後から引っ越してきて、煩いとかスモークガーとか文句を言う
「近隣住民の皆様」は、自衛隊憎ければアメリカ軍はもっと憎いとばかり、
アメリカからはるばるやってきた「ブルーエンジェルス」にさえも煩いとクレームをいれたため、
「ブルーエンジェルス」は激怒してそれ以来日本には来なくなったという話があります。

合掌。




珍しく?会場右から6機がデルタ隊形で進入してきました。



デルタ編隊で行う

DELTA LOOP

です。
デルタ編隊は右手から正面までやってきたのち、



正面で垂直に急上昇します。



そしてループ。
このループの半径は約2キロと決まっているそうです。

そのあと全機背面で飛行していたので、もしかしたらこれは
デルタループではないかもしれません。



5番機だけが90度ロールを行い、離脱を行いました。



残る5機で行う、

UPWARD AIR BLOOM (上向き空中開花)

の始まりです。




全機がスモークを出しながら垂直に上昇して行き、



まず外側の2機が90度ロールを行い、編隊に対して腹を見せる形をとります。



続いて1番機の両側も開いてゆき、



空中に花が開花するというわけです。

レインフォールが「下向き空中開花 」へのこだわりから生まれたらしいことは
今回調べていて初めて知ったことですが、上向きであれば問題無しで、
名称もそのまま使われていることに少し不思議な気がしました。

「レインフォール」を開発したドルフィンライダーは、「下向き空中開花」が
できないことをなぜか「政治的な理由」といったそうです。 

安全性を考慮して改変した新しい技の名前を、彼らは
あくまでも「下向き空中開花 」にしたかったのではないでしょうか。

事故で殉職したT-2のブルーインパルス隊員を顕彰するためにも。


続く。



 


ブルーインパルス・前編~平成27年度入間航空祭

2015-11-11 | 自衛隊

今年の観艦式にはブルーインパルスが演技を行いました。
特にわたしが先導艦「むらさめ」に乗った12日には、ほとんど雲がなく、
風もそう強くない真っ青な空にブルーが描く軌跡が人々を魅了しました。

「海上自衛隊の観艦式」であるにもかかわらず、メインとも言えるイベントが
空自の戦技であるということについては、多少の異論もあったようですが、
この選択については、US-2の海上着水と離水がなかったからではないか、
という噂が少なくともわたしの周辺では囁かれていました。

 US-2が訓練中フロートとエンジンの脱落によって墜落したのは今年の4月。
幸い乗員は全員脱出して無事でしたが、機体は300mの海底に沈んでしまいました。
その後機体は引き上げられ、事故原因について調査が行われている最中でもあり、
他に配備されている3機のUS-2もイベントの参加は控えている状態なのです。

もしこの事故がなければ海自の誇る救難艇の着水は観艦式の航空展示の
ハイライトとなるはずだっただけに、その抜けた穴を埋めるにはもう
ブルーインパルスの力を借りるしかない、と海自が判断したのではないでしょうか。

たぶん。

いずれにせよフネの上から観るブルーインパルスの演技は素晴らしく、
護衛艦とブルーと白の機体のコンボはめったに見られないだけに観衆を沸かせました。

「あたご」に乗っていた時だったと思いますが、近くで見ていた人が
大きな声でブルーの行う演技の名前を全て連れに説明していました。

わたしもこのブログで時々取り上げる関係上、フォーメイションの名前を
幾つかは知っていますが、それでも現場で次々と説明できるほど詳しくありません。

この人はよほどのブルーファンで、おそらくあらゆるところに追っかけをしているのか、
それともご自身がブルーインパルスに乗っていた、あるいは整備をしていた人か・・。




ウォークダウンののち、滑走路右手から4機がまず離陸しました。
最初は1から4番機までが演技を行います。



チヌークのローターとブルーインパルスのコンボ。(笑)



テイクオフして最初に行われるのは

DIAMOND TAKE OFF & DIRTY TURN
(ダイヤモンド離陸と汚いターン)←直訳


です。



フィンガーチップフォーメーション(不均衡なデルタ)で離陸、
直後に4番機が機体を滑らして
ダイヤモンドフォーメーションを組みます。



これがいわゆる「汚いターン」か・・・・。(意味不明)



正面を向いていると、着陸灯が点灯されているのがわかりますね?
他のはどうかわかりませんが、このフォーメイションはこれを点けて行います。



1番機はスモークを出しません。
なぜなら後続の飛行機にかかってしまうから。(たぶん)



この角度からも着陸灯が見えますね。
この演技の際、ギアは最後まで出したままです。



シャッタースピードはこれで1/2000です。
このフォーメイションは会場正面から進入し、後方にアウトします。



1番機から4番機がテイクオフしてから時間差で1機が単機離陸します。
このとき5番機が離陸してローアングルテイクオフを見せることもありますが、
本日は6番機が離陸して

ROLL ON TAKEOFF(回転塗布式離陸)←超直訳

を行いました。
離陸のときからスモークを出しつつ飛行し、バレルロール
(樽をなぞるように螺旋を描くことからこの名前がある)を行います。



これは6番機。
6番機も単機で離陸し、その後スモークを出しながらバレルロールを行います。



FAN BREAK (扇壊し)←直訳。


ファンというのは「扇」のファンでしょうね。

この密集隊形は写真で撮ると凄さがわかります。
全てのフォーメイション中、もっとも密集して飛ぶもので、
この隊形を「ダイヤモンドフォーメイション」といいます。



5番機が進入してきました。

4 POINT ROLL(4点転回)

を行います。



これは4つのポイントでロールを行うという名前の通り。
90度ロールするごとにピタリと機体を止め、それを4回行って360度回転しつつ
会場上空を突っ切っていきます。



続いて5機による

CHANGE OVER TURN

が始まりました。

こういう飛び方をトレイルというそうですが、縦並びでスモーク出しつつ進入。
 


正面に達した瞬間、こうやって編隊を組み替えます。



そしてデルタ隊形に変換し、上昇。



デルタ隊形のまま旋回を繰り返します。



自分たちの出したスモークなのか、それとも上空の霧か。
飛行機の半分にスモークがかかっている様子。



このフォーメイションのポイントは、なんどもターンを行いながら
だんだんと隊形を密集に詰めていくことです。

これが最終形ですが、最初と比べて随分縮まっていると思いません?
ずっとそのまま飛んで間隔を維持するのではなく、徐々に変わっていくというのが
ブルーインパルスの技術の高さを表していると思います。



続いては5番機1機での演技です。

INVERTED & continuous ROLL
(ひっくり返り&連続回転)←直訳




背面で5番機が滑走路を左から進入してきて横切ります。



その後急上昇してハーフロール、ハーフキューバンエイトを行い、
進入方向と逆方向を向くように降下し、連続ロールを行いながら離脱。



続いては#1、#2、#3、#4、#6の5機による

RAIN FALL(雨滝)←直訳


です。
デルタ編隊で進入してきました。



ループに入ってスモークデター。
このとき、飛行機の機体はほぼ真下に向かって墜落していく感じです。



文字通りの「レインフォール」。
見ている間にスモークが長く長く尾を引きます。



本来のレインフォールはこのあとブレイクして傘のように開くのですが、
今回は、



降りていきながらカーブを描き、



下方で上昇に転じてそのうち1機が次の演技に移りました。

どこかで誰かに「最近はレインフォールはあまり行われない」と聞いたことがあります。
少し前に読んだ武田頼政著「ブルーインパルス」という本には、過去のブルーの事故が
創世記から事細かく書かれていたのですが、あの有名な「下向き空中開花」の事故と、
この傾向には何か関係があるのかと思ってしまいました。



フィンガーチップ隊形(不均衡なデルタ)で飛んでいた編隊のうち1機が
スモークを出すと同時に離脱して単機の演技に入りました。

VERTICAL CLIMB ROLL(垂直上昇回転)←直訳

です。



急激な引き起こしで編隊から離脱し、単機上昇しながら連続的にロールを行います。



スモークを出し終わったときにも、ロールしながら描いた煙の航跡は残っていました。


この1機が演技を終えた後、明らかにアナウンスがアドリブで

「おっと、ここにもう一機進入してきました」

と言ったと思ったのですが、どなたか聞いておられた方おられませんか。



わたしの周りはこの飛び入りの単機演技に大喜びしていましたよ。


続く。 

 


祝賀会とブルーインパルスのウォークダウン〜平成27年入間航空祭

2015-11-09 | 自衛隊

C-1からの空挺団降下で大盛り上がりのまま、午前中のプログラムは終了しました。
いよいよ楽しみにしていた祝賀会が始まります。 

わたしにとって初めての空自的行事、特にどんな料理が待っているのか?




招待客席の後方のハンガーが祝賀会会場となっています。
外からはわかりにくくなっているのは、どさくさに紛れて招待者以外が入り込むのを

阻止するためと思われます。

招待者はあらかじめ、祝賀会出欠の返事をハガキで送り返してありますが、
受付のときに参加費を3000円支払い、引き換えに参加券をもらっています。
会場は扉が一部だけ解放されて、ここからその参加券のチェックを受けて入場します。

わたしはその参加券の存在をすっかり忘れて、何も見せずに入ろうとしたのですが、
チェックをする隊員は、胸につけたリボンを確認しただけで通してくれました。



祝賀会の最初に入間基地司令、山本祐一空将補の挨拶が行われました。

「日本一の秋晴れとなりました!」

としょっぱなから明るく元気な第一声に、和んだ観衆から笑い声が起きます。
空将補の写真を検索してみればおそらく納得していただけるのと思いますが、
実に屈託なく笑う方とお見受けしました。(山本空将補 画像検索)

空自の将官全部が全部こんな人ではないとは思いますが、この明るさが
いかにも航空自衛隊らしい、と思いました。(イメージです)



続いて、来席を賜った国会議員の先生方。
議員先生たちは途中参加も結構あって、会場では遅れてくる議員があるたびに
紹介がされるのですが、遅れてきて(名前はあえて失念)が壇上にあがったとき、
わたしの近くにいた男性(旧知の人らしい)から、

「ああー、太ったなあ・・・なにやってんだ」

と呆れたような声をあげられていた女性議員がいました。
女性だと議員でもこんなことを言われてしまうんですね(T_T)

壇上の三人のうち二人は、航空祭なのでスカイブルーのネクタイを選んできたのかな。
真ん中の議員は柴山昌彦内閣総理大臣補佐官です。



というわけで、乾杯の発声に続き、ご歓談タイムとなりました。

とりあえず近くのテーブルのお料理をごらんください。

オードゥブルも寿司もサンドイッチも、空自厨房で作られたものではなく、
業者からの仕出しではないかと思われます。
ローストビーフも多分・・・(作ってたらごめんなさい)

海上自衛隊下総基地では、全てが基地の厨房で作られ、担当したシェフが
食材の説明やオススメポイントなどをスピーチするなどという演出付きで
参加費はこの3分の1であったことを考えずにはいられないわけですが、

とりあえずいただいてみました。

多くは言いませんが、三自衛隊で一番食べ物にこだわるのが海自、
という世間の噂が、ここでもわたしの中で実証されたかもしれない、とだけ・・。



テーブルの前菜的なもの、特にローストビーフは、しつこいようですが3000円という
比較的高額の参加費の元を取ろうと皆が集中するためか、瞬時になくなってしまいました。
そこで、「まさかこれだけじゃあるまいな?」と群衆が次に目標を定めたのが屋台です。

屋台はカレー、うどんとそば、そして焼き鳥、寿司などの種類が出ていました。
わたしが、カレーを食しその感想を皆さまにお伝えするべく並ぼうとしたとき、
それは大変な長蛇の列となっており、途中で「これカレーの列ですか」と確かめながら
最後尾を探り当てると言う事態になっていました。

そしてやっとのことでゲットしたカレー、まず量が多かったです。
海自で配られるカレーは、ほとんど一口サイズなのですが、
テーブルの料理に「まさかこれだけじゃないだろうな」と思った人たちも、
これがメインと思えば一皿で満足できるくらいのボリュームがありました。

その他の料理は、どれも自衛隊ではなく、業者の屋台ではないかと思われます。
これなら大して豪華でなくても一人当たり高額になっても仕方ないかもしれません。

で、肝心のお味は、おいしかったです。
ご飯の柔らかさは海自に軍配が上がりましたが、ルーは決して負けていませんでした。
これが空自厨房特製のものか、これも業者のものなのかはわかりませんでしたが。



わたしが立っていた近くにはミス航空祭関係者の席がありました。
年頃の娘さんを持つ近隣在住の知人が、昔、

「ミス航空祭の参加者の家族は、招待者待遇になる」

という理由から、娘にミス航空祭に応募しないかと誘って一蹴された、
とおっしゃっていたのを思い出しました。

今回、そういう理由で娘を参加させていた親も、もしかしたらいたかもしれません。
というか、親が自衛隊関係者や関連業者という例は多く、さらには
自衛官につながり(婚約者とかボーイフレンドとか)がある人もいそう、
と思ったのは、制服の左肩に白い縄を背負った自衛官がやってきて、
わたしの近くにいた家族が持っていた娘のバッグ(着物用)の中から、
白手袋を取り出して自分の手にはめたのを見たときでした。



この後、各ミスは一人ずつ白手袋をはめた空自の自衛官にエスコートされて
壇上に上がり、紹介を受けていました。
そこで誰かがミスに選ばれたのかもしれませんが、人垣に阻まれて見えず、
わたし自身はハンガー内のお手洗いを待つ列が長くならないうちに並んだので、
ミスコンがいったいどういう顛末を迎えたのかわからないままでした。
 



列に並んで待つ間、ふと気付いたホワイトボード。
柵越しに撮った写真なので、向こう側の平成26年8月1日から起算された
2万人日達成予定(現在4804人)がいったい何の数値目標なのかはわからず。
そして、

1、暑気対策の推進

2、メリハリのある勤務

というスローガンについ脱力してしまうのでした。
11月3日において暑気対策の推進はもう必要ないと思うのだがどうか。



朝一番には空席だらけだった招待者席も、昼過ぎからは
ブルーインパルスの演技を見るためか、隊員関係席はほぼ満席。

わたしは休憩時間中に招待者向けに出された物販の屋台を物色し、
目ざとくこんなものを見つけて購入しました。



接着剤不要のナノパズル。
ヒトマル式戦車F-15戦闘機とこの「こんごう」という陸海空三点を売っていたので
当然のようにこちらを購入しました。

もちろん自分で作るためにではなく、招待状をくれた方へのお土産です。
作るのがちょっと大変そうですが、喜んでもらえるかな?




ここは招待者席と一般エリアを区切る通路ですが、どういうわけか
ここに招待者のカメラ持ちが集中していました。
ブルーインパルスのウォークダウンを少しでも人垣なしで撮るためですが、
はっきり言ってここはすでに前方を隊員家族関係者が塞いでいるので、
一般席のブルーインパルス前のような写真はまず望めません。

招待者席が必ずしも写真を撮る人にとって上席かというとそうではないのです。



ここでふと、しきりに使われているプラチェーンのスタンドに注目。
このチェーンの固定の仕方・・・・うーん、なんてよくできているんだろう。
と、日本ならではのアイデアにものすごく感心してしまったのでした。



さっきまで空挺隊員を乗せたり、ここぞと派手に飛び回っていたC-1も、
全員帰投して元の位置に駐機をしています。

ブルーインパルスの演技は、プログラムによると1305から1420まで。
飛んでいる時間よりウォークダウンの方が長いのではないかと思われますが、
ここからはそれらを見ることは全く不可能です。

ウォークダウンというのは飛行に移る前の準備を含めた作業をいい、
それらの手順も全てショーとして見せることをいいます。

特にブルーインパルスのウォークダウンは見せる要素が強く、
観客を意識した構成となっているようで、エンジンをかけるどころか、
ドルフィン・キーパーといわれる整備士たちがエプロンを行進し、
各受け持ちの機体前に到着するところから始まります。



整備士の行進に始まり、パイロットの行進、パイロットが耐圧スーツをつける、
ヘルメットやマスク装着、乗り込んでシートベルト装着、
エンジン始動と動作チェック、そしていよいよタクシーチェック。 


このあとスモークチェックも行われたようですが、我々のところからは何も見えません。



それらが全て完了し、初めて離陸のためにタキシングしていきます。



ここまでの行程を、大変詳しく写真で説明してくれているサイトを見つけました。

 ウォークダウン

これによると、後席の「次期レギュラー」は乗っているだけで何もしないので、
その分手を振っていることが多いそうです。



確かに。
しかし、冒頭写真の6番機は一人で手を振っていますし、



機体番号731の1番機は二人で振っていました。
さすがにパイロットはちゃんと前を見ながらですが。

さて、いよいよ皆が待ちかねた、ブルーインパルスの演技の始まりです。


続く。






 




 


空挺団降下!〜平成27年入間航空祭

2015-11-08 | 自衛隊

前回私事と言いながらついつい体の不調などについて言及してしまい、
皆様にかえってご心配をかけてしまったようで恐縮しております。

写真を撮ることがこんなに体に負担をかけているとは思ってもいませんでしたが、

それにつけても驚くのが自衛隊イベントで多数に見る「カメ爺」たちです。
つまりあの老人たちは、重たい一眼レフと機材を持ち運び、それを扱うだけの
気力と体力を持ち合わせている、ということになるんですね。

そうか、あの場所取りをめぐる必死さは、その気迫の賜物だったりするのか・・。




さて、救難ヘリの飛行&救難訓練展示が終わった後は、
どすこーい重量級のC-1の登場です。

C-1というのは輸送機ですから、本来編隊を組んだり駆動性を見せたり、
ということには重きを置いていないわけですが、この日ばかりは
ここ入間基地のシンボル的存在として、この勇姿を見るがよいとばかりに
編隊飛行や急旋回などもやって見せてくれます。



例えばこんな風に。




いつ見てもこのキモかわいさがたまりませんわ〜。
かくいうわたしは「あおぞら空挺団」を見て以来C-1のシェイプを愛しております。

実は午前中のメインイベントが、C-1からの空挺降下です。
毎年年明けに行われる習志野の第一空挺団の降下始めでお馴染みなので、
この非スマートな機体と空挺団との組み合わせから、
なんとなくこれが陸自の飛行機だと思っている人も多いかもしれません。
(以前のわたし含む)

しかし、実はC-1、最初に導入されることになった量産機1号(通算3号)は
ここ入間基地において運用試験が行われているように、
紛れもなくここ入間の航空自衛隊の運用なのです。

今まで何気なく見ていましたが、空挺降下は空自と陸自の「コラボ」なんですね。
ペトリオットミサイルも陸自基地に空自が存在していたし、
陸空の間には他ではこのような共通運用の例が結構あるみたいです。

「陸海」「空海」間自衛隊でこんな例ってありますか?

それこそ日本が空母を持つ日が来れば、「空海」自衛隊の関係は
海自が艦載の戦闘機を持たない限り密接なものになるのでしょう。
かわぐちかいじの最新作「空母いぶき」では、日本が生んだ初めての空母の艦長に
船屋ではなく、なんとパイロット出身の空自隊員が選ばれるという、
思わず「そらー無理ちゃいますか。操艦的に」と言いたくなるような設定でしたが、
万が一そうなったら、どちらが上に立つかは、両自衛隊にとって大変な問題となるはずです。

まあ、心配せずともそもそも日本が空母を持つ可能性は当分ない、と言われそうですが、
現在南沙で中国が建設しているプラットホーム、あれって、

空母を2〜3隻建造して停泊させているのと同じこと

なんですよね。

話が盛大にそれましたが、とにかく陸空共同による空挺降下の実演です。



航過するC-1からまず一人が飛び出しました。



たった一人だけ飛び出したところをみると、これは「お試し降下」?



この人が風に煽られたりしたら後の集団降下はやめにします、とか?
「お試し降下員」は、よほどのベテランしか務まらなさそうですね。



一人のパラシュートが開いた後は、C-1が編隊飛行を見せてくれます。
これなどこの巨体で別々に離陸して、すぐに(まだ脚が出てる)
これだけ密集位置の編隊を組むのは大変なことと見た。



C-1の裏側。



さて、いよいよ部隊による降下が始まります。
離陸の時には閉じていたハッチが今開けられました。



まず一人目が飛び出します。
隊員の装着したパラシュートの先には黄色い紐が見えますが、
これがいわゆる

「環をかけっっ!」

で機体の内側にかけられた環によって自動的に傘が引っ張られ、
たとえどんなうっかりさんでも傘が必ず開くというシステムなのでしょう。



飛び降りる時にはハッチから出ているステップに立ち、
飛行機の尾翼の方向に向かって体を倒すように飛び出しています。

飛び出したら体は真っ直ぐにしないほうがいいみたいですね。



昔の空挺降下の訓練を描いた映画「空の神兵」について、
ここでもご紹介したことがありますが、なんども行われる地上での
「飛び出し訓練」では、できるだけ手を真っ直ぐ頭上に伸ばし、
体を曲げないようにするのが「立派な姿勢」といわれていました。

第一空挺団に入隊し、初めて降下を行う青年が、

「不開傘の確率300万分の1?今の俺にとっては開くか開かないか2分の1」

と恐怖に震える漫画を紹介したこともありますが、黎明期は
300万分の1なんて低い確率ではなかったはずです。
飛行機に乗るのさえ生まれて初めての連中にとって、空挺は
それそのものがどんなに恐ろしいことであったでしょうか。



飛び出す時間はきっちり決まっているはずです。
だれかひとりぐずぐずしていると、冒頭写真のように
等分に傘がきれいにならぶことがなくなり、それは「失敗」とされるでしょう。



傘が開くまでの間はどんなベテランでも長く感じるのではないでしょうか。



こちら二人目の降下者。
一人目が「環をかけ」たロープが傘を開く役目を終えて宙に舞っています。



今の空挺降下は腕は体の前で組むようにといわれるようですね。



脚から飛び降りても、この写真で見るようにかならずこの位置で
降下者の体は一回転して頭が下になるようです。
うーん、怖いだろうなあ・・。



ちょうど日の丸の下にいる降下者をみてください。
彼らのパラシュートはお腹に抱えるように装備されていることがわかります。



最後の降下者が今飛び降りようとしているところ。



そして飛び出しました。
もうハッチには人影がありません。



10人が飛び降りたハッチからは、その傘を機体と繋いで
開傘させた黄色いロープが人数分なびいています。

そして青空に空挺団のゴールドの傘がの花が10、開きました。
見事な空挺に会場は拍手が巻き起こります。



そして、地面に到着。
やはりこういうときに空挺の展示を行うくらいですから、
ある程度ベテランで危なげなく降下を行えるものばかりが選ばれるのでしょうが、
さすがに全員がちゃんと展示航空機の向こうで柵のこちら側に着陸を決め、
チヌークの真上に落ちてNO-STEPと書かれたところをピンポイントで踏み抜いたり、
電信柱に傘をひっかけたりという場面は見せてくれませんでした。

いや、別に見たくていってるんじゃないですよ?



U-125がまるで傘をさしているようです(笑)
彼らを落としたC-1を含む3機は点のように見えます。 




どうして煙が立っているかというと、地面に落下してから
傘が開いたまま風を受けてしまい、地面をずずずっずーーーーっっ
と降下者が引きずられたからです。

このときアナウンスでも言っていましたが、落下傘降下というのは
普通に降りても二階から飛び降りるのと同じ衝撃を受けるといわれます。
ですから、特にこのようなコンクリートの上に降りるときには、
降下者は決して足で立たず、受け身を行って衝撃を逃すようにします。

空挺団のみなさんが酔っ払うと二階から飛ぶというのは、それくらいの衝撃は彼らにとって
わたしたちが三段くらいの階段を飛び降りるようなものだからです。ってどんなだよ。




そんな化け物、いやスーパーマンみたいな隊員はどんな顔をしているのか、
ぜひ拝んでみたいと思うのですが、さすがの望遠レンズも
エプロンの端っこにいる人の顔までは鮮明にしてくれませんでした。

降下後、紐をたぐって傘を手繰り寄せている隊員。



傘のお片づけを手伝うためにか、陸自迷彩の隊員が一人走り出てきました。



本当に等間隔に、狙ったところに降りることができるんですね。



彼らが傘をまとめて素早く全員退場していったのと入れ替わりのように
最初に編隊飛行をしていた029のC-1が帰って来ました。

これをもって午前中のプログラムは全部終了です。

11時45分から、観覧席の後ろに設けられた格納庫の会場で、
昼食会が行われる旨放送が行われ、人々は三々五々移動を始めました。

さあ、初めて体験する空自のごはんはどんなものでしょうか!?(wktk)

続く。







 


エア・レスキュー・ウィング〜平成27年度入間航空祭

2015-11-07 | 自衛隊

いきなり私事になりますが、観艦式の前、わたしはPEMという検査を受けました。
左胸の奥に恒常的な鈍痛があったため、念のために調べてみたのです。
結果はなんら異常なし、ということで、乳癌などの疑いもなくなったのですが、
問題はこの痛みです。

入間航空祭が終わった次の日、その痛みが明らかに強くなっていたので、
主治医(というか夫の友人)に間接的に電話で相談してもらったところ、

「それはもしかしたら筋肉痛かもしれない」

と言われました。
いや、筋肉痛といっても、2年前から時々感じる痛みなんです。

「奥様は近年チェロを始められたということですが、 こういう人たちは
小さい頃からやっている人と違い、筋肉の使い方に無理をしているので、
胸郭出口症候群のようになってしまう人が多いんです」

そういえば、かすかな異変はチェロを始めてから感じるようになったなあ。
でも、最近は特に、観艦式とそのご報告のためのエントリ作成、それに加えて
息子の矯正医を変えたために検査と初診でバタバタ、自分の歯科治療でウロウロ、
歯医者関係だけで山形と神田と代官山と荻窪を駆け回る毎日で、
チェロを触るどころではなかったはずですが・・・。

だいたい今回痛みが強くなった前日は航空祭だったし、航空祭では
朝早くに起きて往復4時間運転する以外は1日写真を撮っていただけ・・・

・・・ん?

もしかしたら、痛みの原因って、カメラ?

チェロと同じく、わたしがカメラらしいカメラを持ち始めたのは近年のこと。
重さを嫌ってあくまでもニコン1にこだわってはいますが、それでも
写真を撮っているときはカメラの重量を受け、かつレンズを操作するため、
かなり不自然なねじりの姿勢を強いられるのが左手です。

しかも、その間アドレナリン噴出の状態なので、平常ならば「あーしんど」となって
休憩するところ、夢中で撮り続け、そのままの姿勢を続けていれば
筋肉に不具合が来てもおかしくありません。

胸郭出口症候群とは、頚肋、鎖骨、第一肋膜などや前斜角筋、中斜角筋、小胸筋などに
圧迫・牽引されることで起きる症状の総称だそうです。


これもチェロと一緒で、アマチュアの悲しさ、体の使い方というか、
基礎ができとらんため、日頃使っていない筋肉に無理がかかったということなんでしょう。


主治医からは当分チェロとコンデジ以外のカメラは使用を控え、
患部にバンテリン(なぜバンテリンでないとダメなのかはわからないけど)貼って
様子を見るように、と言われてしまいました。\(^o^)/

折しも骨膜に働きかけるタイプのマッサージ兼整体をしてもらっている
カリスマ美容家の施術を昨日受けてその旨相談したところ、左手を触った途端、

「肘から先がすごいことになってます!」

というわけで、彼女に患部を緩めてもらい、バンテリン貼ってストレッチを行い、
まだまだ終わらない自衛隊関係行事参戦に向け、主治医に内緒で備えるわたしでした。

カリスマによると、カメラマンという仕事は筋肉を酷使するので、
本職には「もう全身ボロボロ」状態の人も多いということです。
わたしと違ってあんなゴツイ機材を操作するので、さもありなん。



さて、そんなわたしが体を張って写真を撮ったった入間航空祭、続きです。
ロートル部隊の意地をかけた(たぶん)華麗なT-4のフライトに続き、
主に救難を目的とした輸送隊の飛行展示が行われました。



CH-47J、空自迷彩のチヌークが滑走路をタキシングして離陸準備を行います。



UH-60Jも、CH-47Jと共に何か展示を行うようです。

ところでヘリの写真を撮る時には、何かパフォーマンスをしていない限り
ローターの動きを止めないように、シャッタースピードを250/1以下にして撮るのですが、
ほとんどが
画質が粗くなってしまうのが困りものです。

まあ、わたしの場合、写真の出来そのものを評価してもらおうとも別に思っていないので、
ヘリが何か始めたら、潔くシャッタースピードを上げてしまいます。

 

この時もワイヤーが下されたので、ローターの動きの方はきっぱり諦めました。
おおっと思っていると、二人の隊員が同時にリペリング降下を行いました。



見ているだけなら簡単そうですが、このリペリング降下を行う隊員はもちろん、
ヘリを一定の位置にホバリングさせ、降下員が地上に達するまで空中に微動だにせず、
どんな強風の時でも安定させているのは簡単に見えて決してそうではないということです。

「ライジング・サン」で新海3曹がそう言ってました。




つづいてストレッチャーの降下を行います。
地上で何が行われたのかはわかりませんでしたが、この状況から
おそらく二人の隊員によって救難活動が行われたという設定でしょう。



あのー、ヘリから体を乗り出している人は安全ベルトつけてるんでしょうね?

 

おおっ!いつの間に!
ストレッチャーには、じゃんけんで負けたに違いない怪我人役の隊員が乗せられ、
ヘリに引き上げられようとしております。




というわけで救難訓練展示終了。
終わった後は必ずお辞儀をして去る、いつもながら礼儀正しい奴です。



続いてCH-47Jが張り切って登場。

人を輸送している時には決して行わないような飛行を行って、
見かけの割に駆動性が機敏であることを強調しています。



一旦地面近くの低空にホバリングして、その間地上員が荷物を牽引させ、

その後空中に持ち上げて見せてくれます。
本日は当たり障りのない木のコンテナですが、武器はもちろん榴弾砲、
車両くらいなら楽々牽引できてしまうのです。

陸自の降下始めではFHなどふっつーうに降下させていますよね。
たしか前回(2013年)と前々回(2012年)、荷物には「がんばろう」「日本」
と書かれていて、震災後のメッセージとなっていたのですが、今年はそれはありませんでした。



これはわたしのカメラを構える姿勢がゆがんでいたのではありません。

CHのパイロットが張り切って飛んで機体が大きく傾き、荷物を振り回すことになったのです。
冒頭写真もこのときのものです。



床の部分のハッチが大きく開けられていますが、これは

牽引している荷物がなんかの弾みで落ちたりしないか見ているんですね。

たしかに、目的地に着いたら荷物がねえええ!
ということなど、我らが自衛隊において、あっていいはずはありません。



というわけで、牽引パフォーマンスを行った機体番号496が展示を終えて帰って来ました。


ところでチヌークのノーズに二本触覚のように出たものは何?
こんなところにあるからにはやっぱりピトー管でしょうかね。



一緒に訓練展示を行った500番機も帰って来ました。



こちらに正面顏を向けてくれたCH。
ちょうど正面から見ると、機体の下部に黒い器具が二つあるのがわかりますが、
これが先ほどまで荷物を牽引していた貨物フックです。



なぜかみんなで右側を見ているの図。
コクピットではどんな会話が行われているのか気になりますね。

右と左は正副操縦士であるのは間違いないとして、真ん中の隊員の役目は?


これはフライトエンジニアで、飛行中ずっとコクピットにいて機体に変化や異常がないか、
振動や音、臭いにいたるまで、神経を尖らせてチェックしているのが仕事です。

いわばパイロットが操縦という任務に集中できるように、総合的なこと、
たとえば天候や搭載する荷物のことや、高度、目的地の状況を把握し、
それに対応してパイロットの補佐をする、いわば女房役のようなものなのだとか。

このときも、フライトエンジニアが何かを指摘したため、操縦士たちが

そちらに注目した、という状況だったのかもしれないですね。


ところで、チヌークは機体の、船でいうと左舷側の窓の上あたりにも、
5本の角のようなものがあるのですが、これもピトー管みたいなもの?
先を一本のラインが結んでいることを考えても、アンテナだろうと思うのですが。

で、こんな大写しの写真が撮れてしまったので、ついでに調べたのですが、
後ろに向かって付いている拡声器みたいなものは、エンジン・スクリーンで、
後ろについているエンジン・ナセル(飛行機でいうカウリング。エンジンの覆い)と共に
エンジンに異物が入り込まないようにネットのような仕様になっています。



富士総火演が「火力の総合展示」であるのに対し、航空祭は
「航空機の展示」であるため、総火演では決して見られない、
駐機中の整備の様子を目の当たりにできるのが大きな特徴と言えましょう。

CH-47Jの展示が終わり、駐機するなり機上に一人整備員が上がって行きました。
どうもローター付近の点検を行うようです。
これは前後にあるローターの前部分で、画面右側がノーズです。



「ローターヘッドの詰まり、なし!」



こちらは後方のカウル?なのですが、こんな風に開けられるのか・・。
いや、望遠レンズで狙っていてこんないいもの見せていただけました。

その気になれば人一人くらい入りそうなスペース?



んなこたーない(笑)
整備のために中が見られるようになっているだけでした。

彼の下側では先ほどのナセル部分を開けて中を点検中。
シルバーのドラム缶状のものはエンジンの排気ダクトです。



ローターの根元にはローターヘッド・フェアリングというものがあります。
これもカウルやナセルのように空気抵抗を減らすために被せるカバーです。
そこに見えている「NO STEP」の文字。
常識的に考えてこんなところに立つ人もいないでしょうが、一応注意書きしてあります。



機体に記されていた航空救難団のスコードロンマーク。
航空救難団は航空総隊隷下の捜索救難のための組織で、
ここ入間に司令部を配置しています。

これらのCH-47Jはヘリコプター空輸隊 (Helicopter Airlift Squadron)の所属機で、
災害派遣時には要救助者の救助、急患空輸、被災者の空輸および物資の空輸を行います。

あの東日本大震災のときに、消火活動のために200回以上の空中散布を行ったのも、
ヘリコプター空輸隊のCH-47Jだったということです。


入間航空祭の飛行展示、まだまだ続きます。



 


飛行整備隊とT-4の飛翔〜平成27年度入間基地航空祭

2015-11-06 | 自衛隊

入間航空祭三度目にして招待者席に潜入することに成功したわけですが、
この招待者席というもの、パイプチェアに座れて楽は楽ですが、
実際に会場の上空を縦横無尽に飛びまくる飛行機の写真を撮ろうとすれば、
とてもではないけど座っていられず、わたしはほとんど立ちっぱなしでした。

招待者席はその中もオレンジ色のテープで幾つかに仕切られていて、
もらったリボンの色によって大体座るところが決まってくるわけですが、
一番「上席」は区画の一番後ろのひな壇で、ここは「予約制」となっていました。
その前が我々(?)協賛企業席、その前が隊員家族関係といった感じです。

入間基地としては、滑走路に近い=ヘリなどの轟音や風に近いということで、
必ずしも前列が上席と考えていないらしいことがわかりました。

招待者席の椅子は最後まで全部埋まることもなく、わたしのとった席の列は
最後まで誰も座ることがないという状態だったので快適でした。

9時開始ということでしたが、観閲を伴う他の自衛隊公式行事と違い、
あくまでも航空「祭」なので、始まったといってもゆるい感じで、せいぜい
地元の協賛団体の偉い人がお祝いを述べる程度のオープニングです。

その間、われわれは観覧席前に駐機してあったT-4の整備を見ることになります。



入間基地のT-4は「中部航空方面隊司令部支援飛行隊」の所属です。
空自の航空集団は航空総隊という名前の組織に属しますが、それは司令部を横田に置き、


北部・中部・西部・南西の各航空方面隊

に分けられます。
入間はこのうち中部方面隊の司令部が置かれているところです。

入間航空祭の報告をするたびにお話ししていることですが、T-4は
練習過程でプロペラ機からジェット機への移行の際使われる飛行機なので、
素直な操作性と高い安定性が備わっており、なおかつ、低速から高速まで
安定した飛行特性を持つよう設計された川崎重工業の名作です。

展示の順番が最初なので、整備隊が最後の調整にかかっています。




オリーブドラブの耐圧スーツ着用、T-4パイロットキター。

入間は司令部があり、「教官の養成」を行う組織を持ちます。
ゆえにT-4の教官は全て佐官級、つまり
ロートルパイロットであるという話を聞いたことがありますが、
このパイロットもアップにすると、いかにも飛行時間の長そうな大ベテランの風格。
(姿勢が良くて体型が若いので遠くから見ると若く見えるんですね) 

しかし、入間航空祭のT-4編隊飛行は、そんなロートル部隊の本領発揮、
かつてのファイターパイロットがここぞと円熟の技能を見せてくれる機会のはず。



なるほど、燃料給油口はインテイクの外側にあるのか。_φ(・_・



整備が終わったのか、愛機に乗り込むパイロット。
こちらからは見えくいですが、機体に登るのにハシゴは掛けて使うんですね。



整備は整備隊員だけにお任せするのでなく、パイロットも参加します。



空自のパイロットは、こういう場合このタイプの帽子をかぶるんですね。
前回アメリカ空軍の軍人さんのことをお話しするときに少し話題にしましたが、
このタイプの帽子を「ギャリソン・キャップ」といいます。
船のような形をしているので日本語では船形帽ともいうそうです。

アメリカ空軍がこのタイプを採用しているせいか、アメリカ式空軍を持つ国は
帽子もこれを採用している軍が多いということで、自衛隊もその一つ。

どうして空軍がこれを多用するかというと、なんといってもたたみやすいからでしょうね。
特にパイロットは、かぶり物をヘルメットに変えたりする状況なので、
たたんでベルトや肩章にはさめるこのタイプは重宝なのです。

そういえば、岩国基地で会ったホーネットドライバーたちも、皆ギャリソン型でした。
戦闘機を持たない陸海自衛隊はスクランブルの必要もないので、
たためなくてもベースボールキャップ型で不便はないのかもしれません。



展示飛行機に向かって最前列がそろそろ埋まり始めました。
しかしこの辺はブルーインパルスの前に場所を占められなかった人たちが
だんだんこちらに追いやられてきているという感じです。

ブルーインパルスはその整備の段階から、搭乗、タキシングに出るところ、
そして帰投してからの花束贈呈などを至近距離で見たい&撮りたい人がたくさんいるようで、
わたしは最後の頃その辺りに行ってみましたが、人垣が何重にもなっていて
とても前で起こっていることが見えるような状況ではありませんでした。



U-125。
尾翼に赤白のチェッカー模様があるこの飛行機は、

チェッカー←チェック=点検→点検隊 \( ̄▽ ̄;)/

ということで、英語で言うと「フライト・チェック・スコードロン」。
全国唯一入間に存在する、飛行点検隊の仕様機です。




入間基地にはエプロン中央にこのような飛行点検隊のハンガーがあります。
飛行点検隊の任務は、飛行機の航行のために必要な安全装備について
自らが飛行しながらそれを点検するというものです。

例えば飛行設備の運用前検査、定期検査、事故を設定した検査、
新たな施設やシステムの検査。
飛行方式の改正に伴う検査があれば、事故の検証を行うのも飛行隊の仕事です。



U-125はホーカー・ビーチクラフトの製造です。

何?「ホーカー・ビーチクラフト」だと?
イギリスの「ホーカー・シドレー」(シーハリアーのあそこ)とビーチクラフト社は
いつの間に合併していたのだ?

と一瞬思わされる名称ですが、ここはもともとレイセオン傘下の航空機会社で、
つまりホーカーとビーチクラフトのブランドをどちらも製造販売しているのだとか。
しかしこの機体の原型はデ・ハビランド社の飛行機だったという、いろいろ混在型。

素人目にはビーチクラフトのスタイルという気がしますけどね。



CH-47Jのローターに着陸しそうなU-125。


 

この写真を見ていきなり思い出しましたが、前回参加の2年前には「ド」の字もなかった

「ドローンの持ち込み、近隣での飛行の禁止」

の貼り紙が、基地のあちらこちらに見られ、放送でも注意がありました。

この傾向は夏の陸上自衛隊の総合火力演習のときから気づいたもので、

富士演習場でも幾度となく「ドローンを飛ばさないように」と放送があったわけですが、
会場内にいる人はすでに手荷物検査も受けているわけだし、入間基地においても
一般入場者は皆検査を受けているので、内部で告知しても意味がないのでは・・。


さすがに海自は合理的というか、護衛艦内でそんな注意はされませんでしたが、

一度ならず二度までも、停泊中の護衛艦にドローンの落下を許しています。

犯人は自衛隊のイベントに来る人ではなく、外部からの操作であるのは明白なのですが、
自衛隊としては、集まってくる人たちに訴えるしか、とりあえず方法がないという・・・。

官邸ドローン事件を受けても、まだドローン機の所有者が登録制にならないのなら、
もう自衛隊としては、護衛艦に近づいたらCIWSで、総火演の現場では無反動砲か自走榴弾砲で、
航空祭に飛んできたらF-2をスクランブルさせて墜としてもいいってことにすればいいと思います。



入間基地にいる飛行整備隊のU-125は全部で3機です。
こういう構図で撮るとなんだか「紙飛行機」感が漂うU-125。



「CHのローターと航空機」シリーズその3のお題は、

「蜻蛉釣り 今日は何処まで行ったやら」

棒の先にトリモチをつけてトンボを採ったあの日を思い出してください。

そういえば旧海軍で空母から落ちた飛行機を回収することを「とんぼつり」といいましたが、
これは回収機材がトリモチ竿のように見えることからだそうです。



この飛行機も飛行整備隊の点検機、YS-11FC。
FCは「フライト・チェッカー」の意です。

機体が大きいだけに、検査装置はもちろんのこと、計器着陸装置、通信装置、グラフィックレコーダー、
機上録音機、信号観測用オシロスコープなどなどの無線機材が詰め込まれています。

入間ではYS-11も3機が稼働しています。




デモを終えて帰ってきたフライトチェッカー。
仕切りの内側の人と、その外側の人たちの「空気の違い」をごらんください。

この部分は滑走路右手に向かって障害物が何もなかったので、とりあえずこの辺では
写真を撮りたい人が集中する必死ゾーンとなっていました。



方向変えてきた〜。
航空祭の写真は会場の様子が写り込んでこそ。
わたしは前で人が立っていてもむしろ大歓迎です。



さて、続いてのプログラムは、先ほど点検整備を行っていたT-4の編隊飛行です。
アプローチは全てこのように画面の右側にタキシングしていき、左に向かってテイクオフします。



テイクオフ直後。まだ脚が出ています。
このTー4が「オープニング・フライト」とスケジュールにはあります。
ということは、最初の点検飛行隊のフライトは状況チェックを兼ねていたのでしょうか。



脚が収納されました。



ブルーインパルスとは色が違うだけで同じドルフィンシェイプでもこんなに印象が違うのか、
と思うのですが、いったん編隊飛行を始めるとやはりブルーの演技を彷彿とさせます。



忖度にすぎませんが、T-4のパイロットたちは、この日のメインである
ブルーインパルスの飛行に見劣りするといわれぬよう、
ベテランの意地をかけてこの編隊飛行に臨むのではないでしょうか。



というわけで渾身の(たぶん)フライトを終えたTー4が帰ってきました。



ところで入間航空祭では、例年「ミス航空祭」コンテストが行われます。

軍用車(観閲式の時に部隊長や安倍首相が立って乗るあれ)でパレードさせたり、
山田さんのご趣味はヨガと音楽鑑賞、なんていう超どうでもいいことをアナウンスしたり、
ブルーインパルスの隊員に花束を渡させたりしているわけですが、どうも、
会場を見ていると、当人とその家族以外には「それがどーした」な反応なのです。

それを裏付けるように、この日の観客の「ミス」に対する無関心さが
象徴的に現れている写真が撮れてしまいました・・・(涙)


聞くともなく聞いていると「ミス川越」とか「ミス飯能」とか、他府県
の人間が聞くと、
失礼だけどあまりありがたみのないようなミスが一堂に集い、そのなかから

この日、何処かの誰かによって最終的に「ミス航空祭」が決められるということでした。

ミス航空祭とやらの栄冠をめでたく手にしたとして、たとえば優先的に
ブルーインパルスのパイロットとお付き合いできるとかいうご褒美があるのならともかく、
自衛隊の祭で美人コンテストをしてミスを選ぶ意味が、わたしには正直よくわかりません。

文字通り「華を添える」という意図で始まったことだと思うのですが、
なんとなくミスコンそのものが「バブル時代の昭和のかほり」というか、
コンセプトそのものが時代遅れという気がしないでもないというか。


同じ自衛隊でも「ミス観艦式」とか「ミス総火演」など生まれるべくもない陸海からみると、

「ミス航空祭」は良くも悪くも空自のアプレゲール的フリーダム気質を象徴しているのでは、
とわたしはなんとなく思ったのですが、ただ思っただけです。すみません。(←弱気)





続く。


 


開場~平成27年度入間航空祭

2015-11-05 | 自衛隊

観艦式シリーズが終わって1日下総基地のレポートを挟み、
入間航空祭の参加報告に突入することになりました。

観艦式シリーズの終了にあたっては皆様方の暖かい労いの言葉、
感想などをいただき、歓喜に咽びつつ達成感のようなものを噛み締めたのですが、
なかでもとみーさんの

お疲れのようですので、休まれてから続きをお願いいたします。まずはお休みくださいね!」

というコメントには歓喜のみならず涙に咽ばんばかりのありがたさを感じた次第です。
・・やっぱりお疲れの様子、わかっちゃいますかね?

今日は本当にしばらくぶりに行きつけのクリニックで温熱療法を受け、体を温めたのですが、
なかなか体が温かくならない、これはかなり冷えがたまっている、と言われ、
自分で思っていた以上に、体は疲れを溜め込んでいたらしいことが判明しました。

用事の合間を縫ってPCに向かってエントリ作成作業をするというのも
全く体を休めることにならないので、悪循環なんですねー。


しかし、いみじくも婆娑羅大将が「ネタ人生」と看破したごとく、
この行動力の源はこのブログにあり、もしこのブログがなければ
朝4時に起きて往復4時間車を運転したり、地方のビジネスホテルに一人で泊まったり、
土砂降りの中地べたに座り込んで半日過ごすことなど、生涯経験せずに終わったでしょう。

ここで知り合った顔も知らぬ(極少数は見破られたりして知ってますが)人々との
交流や、その人々に触発されて本を読んだりいろんな場所に足を運ぶことすべて、
わたしが得た貴重な一つの世界であり、これがわたしの人生そのものでもあります。

それを大事にしていきたい気持ちがあればこそ、わたしはたとえどんなに体が冷えても、
朝起きるのが辛くても、NIKON1とソニーのコンデジを携えて、どこにでも行くでしょう。

そこにお伝えしたいイベントがある限り(笑)

 

さて、4時に起き、5時には家を出て約1時間半で現地近くに
車を停め、そこから電車で会場まで行くことにしたのですが、
よく考えたら今日は全く早起きする意味はまったくないことが判明しました。

予告編でもお伝えしたように、わたしは今回招待者として参加したのですから、
早く行って前列の席を取ったりする必要はなかったのです。

海自と陸自にはそれなりに知り合いがいるわたしも、未だに空自には
まったくご縁がなく、こんなことになるとはまったく予想外だったのですが、
自衛隊関連会社関係者が「行きませんか」と招待券をそのまま送ってくれて、
わたしは「会社経営者代理」という立場で参加と相成りました。

しかし、自衛隊イベントの日は暗いうちに家を出るのが習い性となっていたのと、
空自のご招待というのがどんなものか全く想像もしていなかったため、
とりあえずいつも通り行動したというのが実際です。

入間基地に行くには「稲荷山公園」という駅で降りるのですが、この駅を降り、
人の流れが前後に真っ二つに分かれているのでためらいました。
招待者というのは一体どこから入っていったらいいものか・・・。

とりあえず招待券に書かれている電話番号に電話してみました。

「駅を降りて左に出られたのでしたら、門を入っていただきましたら
もう一度踏切を渡る形になりますので、そのあと構内に入っていただいたら
右手の方に受付のテントがございます」

大変わかりやすい説明であったのですが、彼は肝心なことを言ってくれなかったのです。

招待者は特別入り口があるため、列に並ばなくてもよいということを。




とりあえずみんなが行く方向に進むと、勢い列に並ぶ形になります。
8じの開門までこういう、かつては柵なんかなかったんだろうなー、と思わせる
桜並木の名残のようなところをみながらしばらくそこで待ちました。

入間基地がかつて「修武台」の名を天皇陛下から賜り、ここが
「豊岡陸軍飛行場」であったころの名残であると思われます。


8時に開門して、列が動き出しましたが、身体検査も行われているため
歩みは大変遅いものです。

そのうち、じわじわと団体ごと進みながらふとわたしは気づきました。

ときおり、並んでいる皆の横をすり抜けて門の脇の小さなドアから
どんどんと中に入っていく人が、例外なく
どこかで見たような封筒を手にしていることに。

どこかで見た・・・・って、あれ、今わたしがカバンの中に持っている、
会社経営者からいただいた招待状と同じものなんじゃ・・・。



わたしがそれまで並んでいた列を抜けて、招待者専用の
特別ゲートに向かった時、わたしのいたところは正門まであと30mでした(T_T)

そこから先は西武線の踏切を横切るために、すべての人がまた並ぶことになり、
わたしはせっかくの招待状の恩恵に預かりそこなったのでした。



入間の航空祭が行われるようになったのがいつからかは知りませんが、
少なくとも最近のように大勢の人がここに集結するようになったのは
ここせいぜい10年くらいのことではないかと思われます。

しかしさすがは自衛隊、航空祭の時の誘導にもちゃんとマニュアルができていて、
たとえばこの踏み切りでは何人かの隊員が遮断機の手前で
ロープを持って待機しており、踏み切りが鳴りだすより早く、それで人を堰き止めます。

踏み切りが開くと隊員たちはロープに付けた長い棒を捧げ持つようにして、
人々の頭上にロープを持ち上げ、その下を通過させていくというわけ。


この踏み切りの脇にわざわざ設置したらしいお立ち台の上で、アナウンスして
止まってくださいとか、前の人を押さないようにとか、のべつまくなしに
注意事項をアナウンスしていた隊員がいました。


電車待ちで立ち止まった人たちに「おはようございまーす」というだけで
皆は喜んで彼に手を振り、「ありがとうございます!」と彼が手を振り返すと、
思わず和んだ人々からは小さく笑い声が起こるといった調子。

楽しくあるべき自衛隊のイベントも、主にカメラマニアが殺伐としているせいで
主に場所取りや並ぶ順番を巡ってトラブルが起こることも多々あり、現にわたしは
観艦式でも総火演でもそんな現場を目撃したわけですが、航空祭というのは
展示場が主に「空」であるせいか、比較的雰囲気が和やかな気がします。

それを割り引いても、このときの集団は全体的に和気藹々の穏やかな雰囲気で、
それもこの明るいキャラの自衛官投入の成果大であると思われました。
彼がここに割り当てられたのは、適材適所というものだったかもしれません。


いや、実にいい仕事してましたよ。



踏み切りを渡ると入間航空祭の横断幕が見えてきます。
確か2年前のはもう少し古めかしかったような・・。
リニューアルしましたかね?



会場に向かうほとんどの人はそのまま真っ直ぐ進みますが、招待者は
右にそれてテントで受付をしてから会場までバスで行きます。

わたしも受付をしようとしたら、会場でしてくださいと言われました。
ここで受付していた人たちはどうも隊員の家族関係だったようです。



バスを待っていたら、テレビのクルーが自衛官に連れられて横を通りました。

「所さんの学校で教えてくれないほにゃらら」

という番組であることが、彼らが掛けている看板でわかりました。



横田から来たらしい在日米軍の空軍軍人たち発見。
米空軍の軍服はかっこいいなあ・・。
なんと、バスも制服と同じブルーで統一です。
ナンバープレートは日本のものではありませんでした。



女性軍人がいたのでついアップ。
米空軍がかっこいいのはこの帽子のせいですかね。
どちらかというとガタイのいいアメリカ人に似合う帽子だと思いますが。



会場手前に受付のテントがまたまた現れました。
英語で「報道受付」という看板も見えます。
外国の報道関係者も来たんでしょうか。



わたしが手前で招待状を見せると、空自隊員が一人「ご案内します」と
エスコートしてくれ、祝賀会の受付を兼ねたデスクに連れて行かれました。

ここで祝賀会参加費3,000円也をお支払いして、リボンをもらいます。
わたしの前には陸自の将官が夫人同伴で並んで受付をしていましたが、
待っている間ずっと横にそのエスコートの隊員がいました。

どうやら受付した後会場の席にご案内するまでが彼らの仕事だったようですが、
彼を横に並ばせておくにもしのばず、またどうにも落ち着かないので、

「もうここで結構です」

といって彼に帰ってもらいました。
しかし会費を払って名簿を確かめると、今度はそこにいた女性隊員が

「上着にお付けいたします」

といって、リボンを留めてくれました。
何から何まですみませんねえ。



招待者の観覧席はこの赤い紅白幕の向こう側にあります。


入ってみました。
さすが招待客は8時50分頃でもほとんど来ていません。

こんなことならわたしももう少しおそくくればよかった、と思いましたが、
初めての経験なので仕方ないですね。



このときの会場。
前日は結構な量の雨が降ったため、エプロンにはまだ水が残っています。
2年前はテレビ番組のせいで大変な人出となりましたが、今年はそうでもないのかな。
あのとききゃあきゃあ言っていた女の子たちはリピーターにはならなかったのかしら。 



このオレンジの手前が招待者スペース。
柵に沿ってカメラを持っている人たちが場所を取り始めていますが、



最初はこんな感じでした。

展示機の前、とくにブルーインパルスの前から埋まっていくのだと思いますが、
後から来た人たちはこういう前の空いた所に落ち着きます。



だいぶ人が増えてきたころ、自衛官に案内されてきた米空軍の一行が、

周りの人たちに次々と一緒に写真を撮らされている現場を発見。



頼まれると嫌と言えない空軍軍人さんたち、何回頼まれても
その度愛想よく撮影に応じていました。

日米友好~。

一番右の女性はどうやら米軍ではなさそうです。
彼女の胸に第一空挺団のレンジャー徽章と全く同じバッジがあるんですがこれは・・。

ところで高性能の望遠レンズは、3人のアメリカ軍人さんが左から、
プールさん、バーナルさん、ワーレンさんであることもわかってしまうのだった。



柵のこちら側、前の席には車椅子の招待者が何人かいました。

9時になって開会の挨拶のようなもの(おい)が終わったあと、
人々はCH-47Jがローターを回しだしたのに、すわ!と色めき立ちます。


平成27年入間基地航空祭の始まりです。



続く。 




平成27年度入間基地航空祭(予告編)

2015-11-04 | 自衛隊

観艦式の余韻さめやらぬうちに、11月3日が来てしまいました。
前日激しい雨が降り、どうなることかと危ぶまれた天気も
さすが統計上もっとも晴れの多いと言われる日だけあって、
嘘のような日本晴れの航空祭日和となりました。 

朝5時半に起きて車で行き帰り合計4時間運転して帰ってきたため、
相変わらず疲労困憊した状態ですが、とりあえず写真だけを
予告編としてアップして時間を稼ぎたいと思います。



まず最初のプログラムはYS-11FCとU-125のフライトから。



空自迷彩のCH-47Jがタキシング中。



UH-60Jは「50周年記念」のペイントをしています。
入間基地は今年で開設50周年になります。



ヘリコプターの救難デモも行われました。
ホバリング中のヘリがおろしているのはストレッチャーです。



CH-47Jは荷物の吊り下げを行いました。



いつ見てもスマートなシェイプ、U-4。



とは対照的なC-1。
ずんぐりしたC-1がこの日は思わぬ駆動性能を発揮してくれます。



空挺団のパラシュート降下も行われました。

そして皆が待ち望んでいた、ブルーインパルスの演技。
この日は風が強く、スモークが早く消えてしまうということ以外は
ほぼパーフェクトなコンディションですべての演技が行われました。

アクシデントもミスもなく、観客にとっては大変満足度の高い演技でした。 



わたしは航空祭に初めて望遠レンズを投入して、使い初めです。
慣れていないわりにはそこそこ満足のいく撮影ができたのもレンズの性能のおかげです。



空の青さが昨日の雨のせいで深く、まったく画像を処理せずともスモークがくっきり。



NIKON1を持っている人に付け焼き刃で航空写真の撮り方のコツを聞いたのですが、

「プログラム(おまかせ撮影)で撮ればいいです」

「節子それコツとちゃう、手抜きや」という返事でした。
そこで素直に従わずにマニュアル撮影してしまう天邪鬼なわたし(笑)



こういうのも毎回シャッタースピードを変えつつ頑張ってみました。



最初に入間航空祭に来た時のことを考えると、カメラと航空祭そのものの経験値が上がり、
写真も失敗がほとんどなくなりました。



サブにソニーのコンデジを首から吊っておき、
全体の動きが大きくなったり、スモークを使うものになるとカメラを変えて
シャッタースピード高めにして撮るという方法をやってみました。



今年はコークスクリューも綺麗に決めてくれました。



そして、キューピッドは・・・?



今年の入間、わたしは幸運にも招待席で見せていただきました。
祝賀会にも参加して、初めて「空自のカレー」などもいただいてきたのですが、
次回、そんなこともお話ししていくつもりです。

d

そして、この丸々したC-1の正体とは・・・?!


続く。(あー眠かった)



 


P-3C体験搭乗〜自衛官の父

2015-11-03 | 自衛隊




航空教育隊基地でP-3Cの体験搭乗をしたときのことをお話ししします。

後から招待してくださった方に聞いたところ、やはり体験搭乗のための飛行では
高度をせいぜい1500フィート(457m)しか取っていなかったそうです。
スカイツリーの高さは635mということなので、この高さでは
あまり東京に近づかない当日の短縮コースは妥当だったと言えます。

しかし、なぜ曇っているとコースが短くなるのかについてはよくわかりません。
視界が悪くなるというほど暗いわけでもないし、むしろ逆光とかもなく、
コンディションは決して悪いとも思えなかったのですが・・。



さて、しばらくコクピットからの飛行を見学していると、クルーがやってきて
後ろにいた人と場所を交代するようにといわれ、移動しました。

ハッチから入って右側にはクルーが食事もできる4人掛けのテーブルがあり、
その窓際に座ると、最初からそこにいたらしい初老の男性が正面に、
前から移動してきた一人がその横に、先ほど名刺交換した方が横に座ることになりました。

そこに座ると窓際とは言っても小さな丸窓からかろうじて外が見えるだけなので、
4人はなんとなく雑談を始めました。
お一人はご子息が海自隊員で、「あ」のつく護衛艦に乗組になったばかりだそうです。

「観艦式には来られないんですか」

「息子の船は来ないんですよ」

今年の観艦式はとにかくいつもと違ってチケットが全く(その時点では)出ない、
一般公開の人数も抑えられているし、いつもなら自衛官が配ることのできる
チケットも、まだ(その時点では)全く手元に来ていない状態らしい、
とその方に内部事情?を教えていただいたりしていました。

わたしもその後、イージス艦は日本海に展開するかもしれないので、
基本的に一般搭乗(応募による)は乗せず、招待客にも

「なんかあったらそのときはすみません」

という全く嬉しくない予告とともに招待券が配られている、という話を聞いたのですが、
結局無事に観艦式も行われることになり、杞憂で済んだのは幸いです。




ところでいきなり余談ですが、舞鶴で東郷邸を案内くださった海将補とお話ししたときのことです。

海将補ご自身が潜水艦出身であるということから、呉地方総監部訪問でお会いした、
潜水艦出身の海将(当時)の話題になりました。

その後この海将は退官なさっているのですが、先日、安保法案の公聴会が横浜で行われた時、

自衛隊の立場から出席して賛成意見を発言したらしいということをこの時伺いました。

横浜の公聴会というと、バカ左翼どもが道端に寝そべって通行妨害したあのときですね。
物理的にそれを阻止すれば廃案になると思うあたりが、とても日本人離れした思考だなあ、
とわたしなどつい思ってしまったものですが、それはさておき、あのときマスコミは、
とくにニュースショー系の番組は、公聴会には反対意見ばかりが出されたような報道をしてませんでした?

憲法学者の相変わらずの違憲見解だけを大きく取り上げこそすれ、このとき
自衛隊の立場からの賛成違憲がいかなるものであったのか、そもそも、
元自衛隊員が公聴会の壇上に立ったということすら、わたしたちはほとんど

知らされることはなかったという記憶があります。

これもマスコミの報じない自由の行使ってやつですか。

「それでもとにかく一歩進みましたね」

わたしがこのようにいうと、海将は、はっきりとはないにせよ、
自衛隊の中にも色々と考えがあって、というようなことをおっしゃいました。

ふーむ、なるほど・・・・。

しかし、わたしがもっとも注目した海将補の発言は、少し前にも書きましたが
このようなものです。

「自衛隊が実際にどのような活動をし、どんな現場に当たっているかを
もし克明に知ることがあれば、おそらく誰もそれ以上反対できなくなると思います」

 それ以上反対できなくなる

 それ以上反対できなくなる 

 それ以上反対できなくなる

 ・・・・ 


これは先ほどの「自衛隊の中にも色々いて」という発言とある意味矛盾するわけですが、
こちらについては、自衛隊も人間の集団ですから、
自衛隊の公式見解と違う意見を持つ人が一定数いても、仕方のないことなのかもしれません。

前海将は公聴会の場で、おそらく自衛官が現場から見た防衛の最前線について、
法案必要の立場から現状を述べられたのではなかったでしょうか。

先日はアメリカが中国を牽制するために南シナ海にイージス艦を航行させました。
中国はこれに激怒し、「あらゆる措置を取る」と言明したそうです。

この記事を送ってきてくれた方は、

「 
冷戦期間中、海上自衛隊は宗谷、津軽、対馬三海峡に常時、船を張り付けて来ました。
中国と長い我慢比べの始まりです。
あたごは出さない方がいいかもしれません。

重巡愛宕 捷一号(レイテ)作戦中、19441023日パラワン島沖で戦没」


と書いてこられました(笑・・・・って笑ってる場合じゃありませんが) 

 




さて、P-3Cの機内での話に戻ります。
わたしたちが時折小さな丸窓から外を確認しながら話をしていたところ、
わたしの正面に座っていた男性が、


「息子は海自の航空学生をしておりました」

とさりげない調子で話し出しました。
それと同時にわたしは、男性が膝に置いていた額のようなものに気づきました。
その視線に合わせるように、男性はゆっくりと、こちらに向けてそれを置きました。
ブルーの背景に、海上自衛隊の制服を着た若々しい自衛官の写真です。


「墜落事故で殉職しまして」

わたしとそこにいたもう一人の男性は、その方の言葉に息を飲みました。
当ブログでも直後にお話ししたあの航空事故で、ご子息を失った父上が、
この基地開設記念式典に招待され、遺影を抱いて乗っておられたのです。


驚きですぐには声も出ないわたしと男性に向かって、

父上は静かな様子で遺影を差し出しました。
隣に座っていた80歳くらいの男性がまず遺影に向かって手を合わせ、
わたしもまた、しばし黙祷させていただきました。

そして、お会いしたことはないけれど、せめてその面影を胸に刻もうと眺めるうち、
海曹の制服をまとい、白い正帽を被った凛々しい青年の顔がたちまちぼやけました。
向かいの男性もティッシュを何枚も出して目元を拭っています。


父上の話によると、青年は普通大学に入学し、その後どうしても飛行機に乗りたい、

パイロットになりたいという夢を叶えるために、自衛隊に入隊したそうです。
そして、航空学生として訓練中、2名の教官とともに事故に遭い帰らぬ人となりました。


後日、海将に体験搭乗のお礼と感想を申し上げた際知ったのですが、
ご両親を招待したのは他ならぬ海将であったそうで、つまりあのP-3Cには
わたしを含め、海将の招待客ばかりが集まって乗っていたようでした。

そのときに聞いたところによると、この事故については、計器を使わない
有視界飛行の訓練中、折しも天候が崩れ、霧の山中を飛ぶうち山麓に接触したらしい、
と、夏に事故調査委員会の報告書が上がってきたばかりなのだそうです。


「らしい」というのは、事故機となった練習用ヘリコプターOH-6EDに
フライトレコーダーはなく、通信が途絶えてからの状況は全て調査による推測だからです。


素人考えで、計器飛行のできない機体で有視界飛行の訓練をするのは危険ではないのか、
と質問してみると、昔「いせ」の出港準備を見学したときに書いたように、
マニュアルだけで最低限の操作をする基本的な訓練を疎かにしていると、

やはりいざという時のためにならないという考え方が現場にはあり、そのためあえて
旧式機も使い続けていたという答えが返ってきました。

ちなみに、この墜落で現行のOH-6EDが1機になってしまったので、

自動的にこれも退役になったということです。

教育航空集団54年の歴史において、初めて死者を出した今回の事故は、
計器飛行のできない旧型機、天候の急変、訓練飛行と、あってはならない偶然が
不幸にも何重にも重なったための結果だったのです。

「運命だったんですね」

わたしの右側に座っていた男性がこう言いました。
それに対して父親は、ただ

「運命です」

と繰り返しました。
そうでも思わないと、この偶然が自分の息子にもたらした不条理な死を
到底受け入れることができなかったのかもしれません。 

 

学生だった2曹の実家は、この基地の比較的近隣であったため、
事故現場へは基地から鹿屋に家族を運びました。
Wikipediaによると、最後の通信が途絶えてから機体が発見されたのはほぼ1日後。
ご両親がどんな思いでこの基地を飛び立ったのか、その心痛は察するに余りあります。

「最近やっと落ち着いてきたところです」

そうおっしゃる父親の様子はむしろ淡々として、その様子は
身を削るような慟哭の日々を乗り越えてようやく到達した、

あまりにも悲しい諦めの境地をかえって彷彿とさせ、胸が痛みました。
しかも、

「すみません。こんなときにこんな話をして」

楽しい体験搭乗に水をさしてしまった、とおっしゃりたかったのか、
しきりにこういって謝るのです。
わたしも、二人の男性も、とんでもない、と首を横に振りました。
そのときクルーが前からやってきて、正面に座っていた方は、

「この方、事故で息子さんを亡くされたんですよ」

と感極まったように告げました。
クルーはそのことを前もって承知していたようで、ただハイと頷きました。
特に感情を込めない淡々とした様子でしたが、

「まだコクピットを見ていない方がおられましたらどうぞ」

と男性に前に行くことを促すために来たようでした。
遺影を両手で抱くように持った男性は、わたしたちに一礼してコクピットに向かいました。

コクピットからの景色を、搭乗員を夢見ていた息子の遺影に見せてやりたい、
という一心で、おそらく息子を亡くした親にとっては、
何よりも辛い気持ちを呼び起こすであろう航空基地にわざわざやってきたはずなのに、
最後まで皆に先を譲っていた姿に、高潔な人格が表れているような気がしました。


しばらくしてテーブル席が一つ空いたまま機体は最終着陸態勢に入り、
隊員が安全ベルトを締めるように
と言いに来ました。
P-3Cの安全ベルトは旅客機のそれとは違い、少々複雑な形状をしているため、
わたしはいつまでたってもうまくはめることができず、手伝ってもらいました。

着陸の衝撃は旅客機よりも軽く、Gもそんなに感じないまま、タキシングに入り、
前にいた男性など、

「あれ?いつの間に着陸したの?全然気がつかなかった」

と言ったくらいです。
まあ、気づかなかったのはずっと話をしていたせいもあると思いますが。

乗ったときの逆で、タラップを降りると一列になってまたマイクロバスに乗り込み、
格納庫前のエプロンまでそれで移動しました。
バスから降りて戻るとき、わたしはもう一度、後ろを歩いている男性に挨拶しました。
そこでもまた、

「あんなことをしゃべってしまって申し訳ありません」

と謝る男性に、わたしは心からのお悔やみと共に、ご一緒できて光栄だったと告げ、
息子さんのことは決して忘れません、と付け加えました。



偶然この事故について当ブログで取り上げたときにも書いたことですが、
今回もマスコミは「自衛隊の不祥事」、「近隣の不安」といった視点に立ち、

自衛隊の事故であるがゆえに、どんな人間が関わり、どんな未来が失われたか、
さらには、隊員の遺族がどう思うかなど一切斟酌しない調子でこれを報じました。


だから、というわけではありませんが、縁あってお話しさせていただいた
父親と、その息子であった若い自衛官のことを、せめて少しでも多くの方に
知っていただくのも、またわたしに与えられた使命であろうと考え、
追悼の意を込めて、このことをこのブログでお話しすることにしたのです。



見ず知らずの同乗者に写真を見せ、辛いお気持ちを語ってくれたことは、

たった23歳で夢半ばのままこの世を去った息子のことを、誰かに覚えていてほしい、
知ってほしいという父親の願いの表れであったと信じるがゆえに。






夕映えの帰還〜平成27年自衛隊観艦式

2015-11-01 | 自衛隊

帰投途中に見かけ、艦内アナウンスでも説明のあった「海堡」と
祝砲の撃たれた観音崎砲台との関係に気づいてしまい、軽いエピソードで入れるつもりが
まるまる1項を割いてお話しすることになってしまい、最終回が一つ遅れてしまいました。

しかし、帝都地下の要人用秘密通路や地下要塞のように、
我々のあずかり知らぬ世界がかつてこんなところにあったということを知り、
つい興味を惹かれて皆さんにも聞いていただきたかったのです



というわけで、「ちょうかい」が木更津港に入港しようとしているところから続きです。

「両舷前進最微速」

「80度よーそろ」

「赤黒なし横つけて」

先に停泊している「あすか」の艦橋デッキに鈴なりになっている人々が
はっきりと見分けられるようになった頃、艦橋ではこんな掛け声がかかりました。

艦橋α「曳船これ使ってます?」

艦橋β「使って・・・・ます」

曳船が押しているかどうか艦橋からではわからないものなのですね。
してついに、

「両舷停止」

そのあとも左にふれたり、前進最微速をとったりして行き脚で調整し、
お任せすべきは曳船にお任せして、ピタリと位置を決めます。
「あすか」「ちょうかい」「こんごう」と岸壁に並んだ三隻が
見事に艦首を揃えて停泊しているのも、なんでもない景色に見えますが、
操舵と曳船の共同作業の賜物だとわかります。

「前進ヌキアシ」

「抜き脚」とは・・・・多分「行き脚」の反対だと思う。
このあとも「両舷停止」と「内角何度」「左後進最微速」が何度となく繰り返され、
「内角1度」から、

「ただいま岸壁と並行」

「行き脚止まった行き脚なし」

「わずかに後進抜足」

「両舷軸ブレーキ完」

「両舷軸を止める」

「両舷軸回転下降」

「両舷軸ブレーキ脱」

そして艦橋後ろで(わたしの横ですが)操舵していた1等海曹が帽子を外しました。

このときはまだ操舵中ですが、向こう側にいるこの道何十年!みたいな風格の海曹です。
正帽の下はベテランらしく髪は半分白髪でした。


このときわたしはふと艦橋にかかっている時計を見ました。
示されていた時間は4時39分45秒。

木更津に向かう航路航行中、たしかアナウンスで、
木更津入港は4時40分になると言っていたような気が・・・。


お、恐るべし。自衛隊のミリミリ(使い方ヘン?)恐るべし〜!



入港作業はこれで終了、と判断し、わたしは艦橋からウィングに出てきました。
今日1日ここにいてすっかりおなじみになった光景ですが、さっきまでとは違い、
向こうに「あすか」のマストが見えています。 



訓練展示中は人多すぎで近づくことのできなかった艦橋デッキの端も、
もはやそこから外を見ようとする人など一人もいません。
艦首部分を眺めると、そこには一団の曹士が固まって立っていました。

赤い腕章のインカム付きは通信係として、残りの人たちは、これから入
「ちょうかい」の左舷に曳船が防眩物を運んでくるのを待ってそれを取り付け、
また「こんごう」が入港してきた時にもやいを掛けるために待機しているに違いありません。

艦首旗は入港と同時に揚げられたばかり。 
日没までの停泊時というのが艦首旗の掲揚に決められているので、
もうすぐ降ろされることになるのですが、その辺は疎かにすることなどあり得ません。



甲板にいた人々は今頃ラッタルに向かって移動し始めている頃かもしれません。
しかし、艦橋にいる人々はここから先が長いことを知っているので、
下艦はかなり先のことと心得、のんびりと最後のひと時を楽しんでいます。

わたしの近くにいた男女がこんな会話をしていました。

「ああ、終わりましたねえ」

「次は3年後・・・・・ってことで」

「3年後か・・・その時生きてるかどうかもわかんないのに」

「そんな・・・縁起でもない」

女性は笑っていましたが、わたしはそれを聞いてはっとしました。

前回観艦式で、それまで観艦式どころか自衛隊の行事にどうやったら参加できるのか、
全く門外漢でそれすら知らなかったわたしが、なぜ「ひゅうが」に乗れたかというと、
ある防衛団体の会合で知り合った、防衛大学校卒の会社経営者のおかげでした。

わたしが自衛隊に興味があるということで、その方が防大の「コレス」にあたる
元自衛官に頼んでくださって、「ひゅうが」乗艦が実現したのです。

しかし、陸自、空自と順番が巡って、海自の観閲式の順番が巡ってきたそれから3年後、
すでにその方は、夫人
共々この世の人物ではなくなっていました。

去年の暮れに、まだ若々しくお元気そうだった夫人が癌のため急逝し、
周囲の衝撃の覚めやらぬまま半年経った今年の初夏に、その方はまるで
夫人の後を追いかけていくかのように、病気で逝かれたのです。

そのことをわれわれに知らせてくださったのは、3年前、その方を通じて
前回の観艦式のチケットを手配してくださった、元自衛官でした。


今回わたしは、観艦式に参加しながらも、まるで青々(せいせい)とした空の一隅に
ポツンと小さい黒い雲が浮かんでいるような思いがどうにも拭えなかったのですが、
この男性の一言によって、それが、この夫妻のことであったと思い当たりました。

3年前の観艦式の一日、わたしはそのご夫妻を中心としたメンバーと共に、
今日と同じように護衛艦に乗り、訓練展示に目を見張り、艦内ツァーをご一緒し、
横浜の大桟橋に「ひゅうが」が着いた後は、皆で中華街に繰り出して
そこで美味しい中華料理を夕食にいただいて帰ったものでした。

社交辞令としての会話ではありましたが、別れるときには

「また3年後もご一緒できるといいですね」

と言い合ったことを思い出します。 

わたしたちは勿論、この夫婦が、次の観艦式の時には自分たちはこの世にいないなどと、
そのときほんの少しでも予感することは果たしてあったでしょうか。




祭りの後。

そんな切なさを感じずにはいられない、華やかだった観艦式の終わる瞬間、
わたしがこの男女の会話から、人の命の儚さと運命について、
誰もが例外なくそれを従容として受け入れるものであるという摂理を思い起こし、
改めてやるせなさと共にそれを噛み締めていると、夕映えの木更津港を、
帰投してきた「こんごう」が、曳船を従えてこちらに向かってくるのが見えました。

「ちょうかい」の艦橋からはそれは全くの逆光となり、
この写真で見るより、はるかに艦影はそのままシルエットのようでした。



二隻の曳船は、見ていると寄り添うように「こんごう」に近づき、
その艦体を押し始めました。
「こんごう」の艦橋では今、先ほどまで「ちょうかい」で行われていたように、
息もつかぬ操舵の専門用語が同じように繰り返されているのでしょう。



そのとき、わたしはデッキ前方に「ちょうかい」艦長中村1佐の姿を認めました。
先ほどまで艦橋を満たしていた整然と秩序ある喧騒の空気も嘘のように去り、
艦が完全に停泊した今、何かを確認するためかデッキに出てこられたのです。

コメント欄でも今回艦長の任務とは何かをずいぶん教えていただいたのですが、

操艦が巧いかどうかということは艦長にとってごく当たり前の能力であって、
艦長は船の機能すべてを把握し、その機能を指揮する文字通りの「指揮官」なのです。


ところでいきなり余談です。
かつて、野党民主党の某議員が政府与党に対して憲法クイズをしたり、

貴重な国会の場で漢字の読み方テストをして、それに答えられないと
鬼の首を取ったように為政者の資格なしと言い募るということがございました。
これなど、艦長にもやい結びの速度を海曹と競わせて、負けたから艦長の資格なし、
と言っているようなもんなんですね。

野党なら政策で論議し、代案を出して大いに論戦していただきたい。
それが国民の期待するあなたたちの役目でしょ?


最近、政権与党の品格や教養を一言で断罪しつつ故に与党の資格なし、みたいな

ご意見をコメント欄に頂戴しましたが、

教養品格に優れた政治家必ずしも善政を敷くに能わず、

況や鳩山由紀夫においてをや

とでも言わせていただきましょうか(笑)

まあ、政治家ならずとも教養品格に溢れているに越したことはないんですけどね。


話が大いに脱線しましたが、この艦長という職は全体の長であり、
絶対的権限を持たされている護衛艦の権威者です。
なかでもイージス艦のような巨大戦闘艦の艦長というのは、この観艦式の行われる前のような、
非常時における参入を考えただけでも、大変な重責であり、それだけに
判断力と統率力も、人並み以上に優れた自衛官が任されるに違いありません。


というようなことをなまじ思い込んでいると、実物がそばに来ただけで、

イージス艦の艦長、キタワァ━.+:。(n'∀')η゜.+:。━ッ!! 

というモードになってしまったとしても、これは誰に責められましょうか。
日頃はあまりこういうことを良しとしないわたしが、

「艦長、一枚写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」

そのように言葉をかけ、夕日に赤く染まる中村艦長をカメラに収めると、
それがまるで皮切りのように、周りの人たちが次々と艦長と写真を撮りだしました。



さて、そこから下艦までがまた長かった(涙)
艦橋への階段というのは一方通行になっているのですが、艦橋にいた集団を下ろすため
どちらも下降用にしても、狭い階段の踊り場に溜まった人は一向に減りゃしねえ。

そんなことをしているうちに「こんごう」が停止して舫かけが始まると、
人々はその間一斉に足止めされてしまいました。

やっとのことで甲板レベルまで降り、最後まで丁寧で全く疲れを見せぬ様子の
自衛官たちの敬礼と挨拶に送られ、埠頭を踏んだのは、乗船してから10時間後。
午後5時半ごろのことでした。

ともあれ、木更津港は岸壁がそのまま駐車場なのでここまで帰って来ればあとは楽勝、
と思いつつ車に乗り込んだのですが、とんでもなかったのです。

全てが観艦式の車でもなかったでしょうが、一斉に大量の車が集中したため、
アクアラインの入り口は、大渋滞となり、自宅に着いたら午後8時半。
車から降りる頃には、眠さと疲れで疲労困憊しておりました。




埠頭に降り立ち、車に向かう時に気づいた遥か向こうの富士山のシルエット。
ちなみに、2015年10月18日の日の入り時刻は、国立天文台のHPによると1703です。



かくして平成27年自衛隊観艦式も終了しました。
操艦、訓練と、接遇などを通して今の自衛隊の力とその実態を目の当たりにし、
ここでそのご報告ができたことを、幸せに思います。

この場をお借りして、今回の観艦式参加にあたってご配慮いただいた方々、
コメント欄で応援、ご教示をいただいた方々に心から御礼を申し上げる次第です。


ありがとうございました。