岩手県宮古市田老地区における津波の足跡
◆江戸時代初期(1611年)「慶長三陸地震津波」…村がほとんど全滅。
◆明治29年(1896年)「明治三陸津波」村の345戸が一軒残らず流され、
人口2248人中83%に当たる1867人が死亡。
(義援金で移転の考えもあったが異論が出て中断)
◆昭和8年(1933年)「昭和三陸津波」田老村559戸中500戸が流失
死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32%)。一家全滅66戸
※復興案は高所移転ではなく、防潮堤建造を中心にした計画であった。
半世紀後の1966年(昭和41年)完成。総工事費は1980年当時の貨幣価値で約50億
◆平成23年( 2011)「東北地方太平洋沖地震」
海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し
「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」という。
地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者。
「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言
現在は住民の8割以上が市街の高地移転。