臨済宗大徳寺の禅僧「一休さん」(一休禅師)は
蓮如上人よりも19歳上であったようだが、同じ室町時代に生きた僧侶で
この二人の交流はかなり深かったと伝えられています。
ある時、一休禅師が蓮如上人に歌を送った。
蓮如上人よりも19歳上であったようだが、同じ室町時代に生きた僧侶で
この二人の交流はかなり深かったと伝えられています。
ある時、一休禅師が蓮如上人に歌を送った。
阿弥陀には
まことの慈悲はなかりけり
たのむ衆生を
たのむ衆生を
のみぞたすくる
(意訳)
阿弥陀如来は、どんな衆生でも救う言うが、「阿弥陀如来をたのむ衆生しか救えない」のではないか。
これじゃ本当の慈悲とは言えないのでは…?
阿弥陀如来は、どんな衆生でも救う言うが、「阿弥陀如来をたのむ衆生しか救えない」のではないか。
これじゃ本当の慈悲とは言えないのでは…?
これに対し、蓮如上人はこのように返歌。
阿弥陀には
阿弥陀には
隔つる心はなけれども
蓋ある水に
蓋ある水に
月は宿らじ
(意訳)
阿弥陀如来は、どんな衆生も別け隔てなくお救い下さいます。
(意訳)
阿弥陀如来は、どんな衆生も別け隔てなくお救い下さいます。
でも、その教えを拒否したり、聞きたがらない人たちまで救えません。
月は全ての水に月影を映すが、蓋がしてあったなら映すことがことが出来ません。蓋を取れば満月は水に宿る。
月は全ての水に月影を映すが、蓋がしてあったなら映すことがことが出来ません。蓋を取れば満月は水に宿る。
月影の
いたらぬ里はなけれども
ながむる人の
心にぞすむ
(法然聖人)