一つには、わが身は今、罪悪深重なる身であって、始めもわからないほどの無限の過去から現在に至るまで、煩悩に縛られて(迷いの境界)を流転し続け、未来永劫に至っても、煩悩の束縛から離れ、生死を解説する能力も手がかりも全くもっていないものであると、决定的に信ず。
二つには、阿弥陀仏の四十八願は、罪業深き身をお救いくださることに、一点の疑いも心配もないと仰せですら、必ず往生を得られると、决定的に信ずること。
これらの二信は、私の信ずる心はな私が造り出す信心ではなく、聴聞に依って阿弥陀さまから薫習された他力廻向の信心でありました。
