
「弥陀の身心は法界に遍し。衆生の心想中に影現せり。」
(善導大師~往生礼讃)
いい言葉ですね。思わずお念仏…
まさにお念仏は阿弥陀の大慈悲心が顕現した相であります。

私たちは50年100年のいのちを全てと思い、ああしたい、こうしたい。ああなりたい、こうなりたいと、自我を中心に生きております。
そんな私たちに
無量無碍なるいのちの世界から
~帰命無量寿如来~
はたらきかけて下さる光を智慧といただくことであります。
~南無不可思議光~
光のはたらきにより、迷いの世界に生き、凡夫の我が身を知らされ、無量のいのちの世界へ至らしめらるはたらきを知らされました。
これも先だって往かれた人々のお導き引きと知らされる。
南無阿弥陀仏

「人気者」
私は、しずかであたまもわるい。
にんきもののあの子とおおちがい
人間には、かわりないのになぜこんなにちがうのだう。
がんばってあの子にちかづける ようがんばってもなにもかわらない。
どうやったらあの子にちかづ けるのかがわからない
あの子にあって、私に ないものは、何?
(東京都江戸川区 上篠莉亜 10)
仲間の中心にいてワイワイガヤガヤ人気者っているよね。
私は恥ずかしがり屋だから、あまり目立ったりするのは嫌いな方です。(笑)

仏法は賢くなる道と思っていたが
愚かさに気づかされる道でした
南無阿弥陀仏
口で言ってく事と心で思っていることが違う
良いこと思う驕りの心
二枚舌・三枚舌…
仏法に遇って自分の愚かさを知る
何しろ、比べる相手は真実清浄なる仏心ですから…

「あきらめる」
ひとは
いつ
覚えるのだろう
ーあきらめる
と いうことを
たそがれ時に
背で泣く幼子
泣きじゃくりながら
眠りに落ちる
頬に
ひと筋の
涙の跡
(茨城県結城市 小林 キヨ子 73)
泣き疲れたのかな…
どうにもならないで諦めたのかな…
「あきらめる」は「明らかに見る」と聞いたことがあるけど
どうにもならない事はどうにもならないもんね。
涙の跡は戦歴か…
仏心とは
自分のことはさておいても
世のため人のために
尽くそうという心に他なりません
自分を中心にするから苦しむのです
仏心にめざめれば
苦労も生き甲斐に変わるのです
「おかえり」
ただいま おかえり
家族は返事しか返ってこない
玄関には誰もいない
でも君は待ってくれている
尻尾をふってとんでくる
しゃべることができない君だけど
私を笑顔にしてくれてありがとう
( 藤井 結 岐阜県川辺町・川辺中1年)
私も経験があります。
愛されているんだね。
「犬は3日飼われると3年間恩を忘れない」
と聞いたことがあるけど…
私は犬にも劣る恩知らずな所がある。
お恥ずかしや 南無阿弥陀仏

ついこの間正月を迎えたと思ったら、彼岸も終わりもう4月になりました。
さくら満開。年度初め、入学(入社)新たな人生のスタート。
外見の美しさは
目を奪う
内面お美しさは
心を奪う
〈4月行事〉
☆毎、日曜日・朝7時
日 曜 礼 拝(正信偈和讃繰り読み・御文章・ミニ法話)
☆4月20日(水)午後1時半~
☆毎、日曜日・朝7時
日 曜 礼 拝(正信偈和讃繰り読み・御文章・ミニ法話)
☆4月20日(水)午後1時半~
定例法話会
講師 西原龍哉師(天真寺副住職)
講師 西原龍哉師(天真寺副住職)
