これは法華経というお経の譬喩品(ひゆぼん)という章に説かれる「三車火宅」というたとえ話です。
あるところに大金持ちの老人と老人の子供たち30人とが一緒に暮らしていました。
しかしその家は老朽化が進んで、壁は崩れ、柱は腐り、梁は傾いて危険な状態でした。
あるときその家が火事になってしまいました。
老人はすぐに逃げられたのですが、子供たちは火事が起きたことを知らずに家の中で無邪気に遊んでいます。
ここで老人は考えました。
「すぐに家に引き返して子供たちを助けなければ。しかしこの家の門は小さくて狭いから私が行っても一度に救いだすのは無理だ。自分たちから外に出てくるように仕向けなければ。そのためには子供たちは幼くて、火事の恐ろしさがわからないから火事の恐ろしさを伝えよう」
ここまで考えた老人は家に向かって、
「おまえたち!今家が燃えているぞ!このまま家の中にいると家は焼け落ちて、おまえたちは焼け死んでしまうぞ!早く逃げなさい!」
と叫ぶのですが、子供たちは遊びに夢中で老人の言うことを聞きません。
そこでまた老人は考えます。
「普通に言ってもダメだ。家から逃げさせるために、便宜上の方法を使わなくては子供たちを外に出すことはできない。そうだ、子供たちはみんな珍しいものが好きだ。これを使って…」
そしてまた家に向かって
「おーい、おまえたち!今おまえたちが大好きな、なかなか手に入らない珍しいものがここにあるんだ!早く来ないと後悔するぞ!羊の車と鹿の車と牛の車だぞ!おまえたちにこの車をあげるから、そんな家の中から早く出てきなさい!」
こう叫ぶと子供たちは「外に珍しい、おもしろそうなものがある」と思って燃えている家の中から出てきて、火事の難を逃れることができたのでした。
羊の車、鹿の車、牛の車で三車、家が火事なので火宅ということで「三車火宅のたとえ」といわれています。
本当は三車はありませんが、火事の難から子供を逃れさせるために、老人のついたウソは、巧みな方便でありました。
このたとえから「ウソも方便」ということわざが出たのです。
たとえで説かれているものは?
この「三車火宅のたとえ」で説かれている老人とは仏様、子供たちとは私たち、火のついた家とは私たちの住んでいる世界を表しています。
私たちの住んでいる世界は火のついた家のように本当は安心できない世界なのに、それに気づかず火のついた家から逃げ出そうとしない私たちに、本当の安心満足があることを説かれたのがお釈迦様であり、仏教です。