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北山修『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』2006・みすず書房

2024年06月24日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

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 北山修さんの対談本『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』(2006・みすず書房)を再読しました。

 この本もかなりの久しぶりでしたが、今回は前回読んだはずなのにすっかり忘れていた(?)斧谷彌守一(よきたにやすいち)さんという哲学者を再発見(?)したことが一番の収穫です。

 斧谷さんはハイデガーさんの研究者ですが、ハイデガーさんはヘーゲル弁証法の正・反・合を発展させて、全体性と聖なるものの関連に気づいていたのではないか、という説を述べられます。

 ただし、ウィニコットさんを知らなかったため、子どもとおとなの中間領域という考えやそこが創造の場であるという考えには至らずにいて、喜びと悲しみの中間領域という考えには思い至らなかったのではないか、という大胆なお話に発展しています。

 たしかに、ハイデガーさんは読むのにも難儀をするような緻密な哲学で、ウィニコットさんの遊びや創造性の世界からは少し縁遠い印象を受けますが、しかし、素人の感想ですが、どちらもがかなり深い世界を扱っているなという雰囲気だけはなんとなくわかります。

 久しぶりに哲学らしい論議を読めて、面白かったです。

 他にも、精神分析の鈴木晶さんとの対談では、昔話の変化とつくり直しの話題が出て、例のつるの恩返しの物語が書き換えられるかというテーマに繋がっています。

 同じく精神分析の小此木啓吾さんとは境界パーソナリティをめぐって対談がなされ、現代社会における子どもの過剰適応との関連が検討され、死の本能の隠蔽やエディプスの崩壊とおとなになることへの失望など、なかなか刺激的な話題が話されます。

 さらに、精神分析の妙木浩之さんとは、ウィニコットさんをめぐって話され、ウィニコットさんやフロイトさんの症例報告が間接話法で書かれていることを指摘されて、ローデータ神話を批判されます。

 事例報告を直接話法で書くか、間接話法で書くか、という問題は、事例検討が重要である臨床家にとっては大きな問題で、今後、真剣に考えていきたいなと思いました。

 対談本ですが、とても刺激になった一冊でした。     (2017?記)

 


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