ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

いつもクライエントのそばにいるということと,いつもクライエントにより添うということ-カウンセリングを考える

2024年06月07日 | 心理臨床を考える

 たぶん2012年ころのブログです

     * 

 ある研究会で,一人のカウンセラーのかたが,自分はクライエントに携帯の番号を教えて,いつでも連絡が取れるようにしています,と話していました。

 すごく熱心だな,と思いました。

 一方で,でも少し違うのではないかな,とも思いました。

 いつもクライエントと連絡が取れること,が,いつもクライエントのそばにいること,と同じかというと必ずしもそうとはいえない気もします。

 ましてや,いつもクライエントにより添うこと,とはまた違うような気がします。

 さらに,そのことがクライエントの自立に繋がるか,ということになると,さらに難しい問題となります。

 カウンセリングの目標がクライエントの精神的な自立や成熟だとすると,最終的にはクライエントがカウンセラーに頼らなくてもいいようになることが課題となります。

 それにはクライエントがカウンセラーを「内在化」して,自分のこころの中のカウンセラーと対話ができるようになることが大切になります。

 精神分析では,毎日の面接と週末のお休みのリズムが大事だと言われています。

 週末,治療者の「いない」時にいかに患者が自分の「内的な」治療者と対話ができるか,がポイントになります。

 一般に,心理療法において,治療者やカウンセラーのお休みは,彼らの健康を守ると同時に,患者やクライエントの自立の契機として重要な意味を有していると思います。

 考えがまだまだ深まっていませんが,これらのことはとても大切なテーマではないかと思います。

 簡単には正解は出ないと思いますが,今後,さらに考察を深めていきたいなと思います。      (2012?記)

     *

 2020年12月の追記です

 今も考え続けている大きくて、奥深い問題です。    (2020. 12 記)

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 立原正秋『春の鐘(上・下)... | トップ | 北方謙三『檻』1987・集英社... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同様に思います (ゆり)
2021-12-19 08:05:44
おはようございます。

大阪の事件があり、今朝、神田沙也加さんの自殺も知りました。

私の今朝挙げた河合隼雄さんの本の中に「死にたくなった時はいつでも電話を」というと、
夜中でも早朝でも電話がかかってくるとありました。

>自分のこころの中のカウンセラーと対話ができるようになることが大切になります。

そうですね。最終的にそういうことなのですね。

私が現在関わってる方は、そういうことが出来るようになってきている気がします。
今どき、ちょっといないような真面目な方です。

電話をではなく、いつでもメールを…とは言ってしまいましたが(;^_^A
いい教えをありがとうございます。

昨日のお孫ちゃんのお話し…ほっこり致しました。
返信する
コメント、ありがとうございます (どさんこじーじ)
2021-12-19 08:15:19
とても参考になるお話をありがとうございます。
本当にいろいろな方がいらっしゃいますので、その方にきちんとより添ったていねいなカウンセリングが大切になりますし、きちんとした目標も必要になる作業だと思います。
返信する
同じところにコメントを (うばゆり3)
2024-06-07 19:26:07
こんばんは。

>自分のこころの中のカウンセラーと対話ができるようになることが大切になります

やはり、3年前と同じように感じました。

で、3年前の方は、もう大丈夫です。
今後の人生に幸あれと思います。
返信する
コメント、ありがとうございます (どさんこじーじ)
2024-06-08 03:42:43
よかったですね。
周りの方々の優しい思いやりのおかげですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

心理臨床を考える」カテゴリの最新記事