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ヴェルディの37歳の時の作品、スティッフェリオは、上演されることも多くなく、あまりなじみのないオペラかもしれません。牧師の妻の不倫をテーマにした心理劇で、発表当時は検閲による介入があったり、ストーリー展開にも分かりにくさがあり、その後、長い間、忘れられていたりした、波乱の経緯をたどった作品のようです。
ヴェルディは、このスティッフェリオの翌年にはリゴレット(1851)、3年後にイル・トロヴァトーレ(1853)、椿姫(1853)を発表しており、スティッフェリオは、これら有名な傑作群の直前に書かれました。物語が地味で、有名なアリアもありませんが、数多くの重唱が美しく、一度なじむと、何度も聞きたくなる魅力のあるオペラだと思います。
クーラは、1995年に、ホセ・カレーラスのキャンセルをうけて、この作品で、ロンドンのロイヤルオペラにデビューしました。このことが、後のオテロ出演とその後の世界的な活躍のきっかけのひとつにもなったようです。クーラはそれ以降も、各地で、スティッフェリオを歌い続けています。
このページのトップの写真は、左から、1995年のロンドン(ロールデビュー)、2007年ロンドン、2010年ニューヨークMET、2013年モナコ・モンテカルロ歌劇場での舞台写真です。この間、20年近い年月がたっているのですね。
2007年、ロンドンでスティッフェリオの再演にあたってのインタビューから、このオペラの魅力、クーラの思いを紹介するとともに、舞台の録音や録画、画像などを掲載したいと思います。
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<1995年から、2007年へ>
まずは、1995年のロールデビューの時と、2007年の舞台の録音聞き比べを。
まだ若い歌声、舞台姿の95年から、10年以上の年月、経験をへて、クーラの声と表現の成熟がわかります。
●1995年ロンドンの舞台より(音声のみ)
1995年、ロンドンでのスティッフェリオのデビューの舞台より、第1幕、スティッフェリオと妻のリーナとの二重唱。布教の旅から戻り、久しぶりに再会した妻と2人になるが、その不審な様子に心配するスティッフェリオ。そして妻の指に結婚指輪がないことに気づく。
Jose Cura 1995 Stiffelio Act1 duet
●2007年ロンドンの舞台より(音声のみ)
つづいて、12年後の2007年、同じロンドンでのスティッフェリオの舞台、第1幕のスティッフェリオの帰還から、95年と同様にリーナとのシーンを。上の録音とは場面が前後少しずれています。
Jose Cura 2007 Stiffelio Act 1
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<2007年ロンドンでのインタビューより>
●成熟とともに変わるスティッフェリオへのアプローチ
Q、1995年にコヴェント・ガーデンで、スティッフェリオとしてデビューしたが?
当時、私は髪と髭を白くメイクして出演した。しかし今は、私自身、十分白くなったので、その必要はない。このスティッフェリオの役柄に最適な人間としての、経験と成熟度―― それは私が、人生のうえで、当時とは、異なるアプローチを持っていることを意味する。
これは、スティッフェリオにおいては完全に別の意味を持つ。多くの役柄では、ミュージシャンとしての成熟度を必要とするが、人間として成熟するにつれて、多くを変えていく必要はない。しかしスティッフェリオは、オテロと同様に、そうした役柄の1つだ。人生における年齢や経験が、あなたの役柄へのアプローチを変え、言葉の意味やキャラクターの心理へのアプローチを変える。
Q、スティッフェリオは、椿姫やイルトロヴァトーレのように、傑作とよばれるに値するか?
それはもちろん、あなたの視点に依存する。私にとって、解釈する者、アーティストとして、そう、私は、それが傑作であると考えている。しかし、あなたが、オペラを傑作と判断するために、有名な15分の曲を持っている必要があるというのなら、もちろん、これは、そのような作品ではない。スティッフェリオには、'Di quella pira'(ヴェルディのイル・トロヴァトーレの有名なアリア「見よあの恐ろしい火を」)や、'Nessun dorma'(プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」)はない。
音楽スタイルの面では、それはもっと、ピーター・グライムズのように考案された作品だ。音楽がつぎつぎと背後にあるアクションを導き、第3幕でバリトンが大きなアリアを歌ったあと、一瞬の絵のために立ち止まり、そしてその後、駆け抜ける。それは最初から最後まで、疾走する音楽。イプセンの演劇のようなもの。それは生のドラマだ。
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写真=ロンドン2007年
Q、スティッフェリオのキャラクターをどうつくる?
キャラクターは非常に複雑であり、そして、心理的に、ステージ上の他のすべてのキャラクターとリンクしている。例えば、トゥーランドットのカラフとは違う。彼は、徹底してずっと同じだ。
だから、私というより、むしろ、私たちがキャラクターをつくっている。私たちがスティッフェリオとともにやっていることは、私の同僚たちが彼ら自身の役をつくっていることを読み取った結果であり、非常につよいものをつくりあげていると私は思っている。今日私たちは、6時間を、このオペラの厳しい精神的な瞬間についやしたが、何度も、互いに泣いているのを見た。そのように非常に深く取り組んでいる。キャストの誰もが、ただ歌を歌うだけでなく、彼、彼女の役を生きている。純粋な意味で、驚くようなものになると思う。いま起きているのは、非常に重要なことだ。
私たちはステージ上で、必要な時のみ、ごくわずかしか動かない。すべては、テキストを通して、私たちの内面的な気持ちや感情に入り込む。それは1レベル上の大きなリスクだ。なぜなら劇場が大きいので、簡単に失われる可能性があるからだ。しかし現時点では、そのオペラをつくりあげるうえで、良い方法だと思う。恐らくステージにあがる時は、離れても誰からも理解できるように、動作をより大きくするだろうから。
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写真=ロンドン2007年
●普段は沈黙を愛する
Q、あなたにとって音楽とは?
このような質問には、非常に俗に答えることができるし、非常に哲学的になることもできる。そして非常に現実的に、音楽は私の生活の糧を得る方法であると言うこともできる。これは本当だ。それは、非常に感謝すべき、生計を立てる素晴らしい方法だ。 私は本当に、謙虚に、そのための才能があり、それを実行できることをうれしく思っている。
しかしそれと同時に、私は、多くのミュージシャンのように、沈黙を愛している。私の人生において、音楽のほとんどはプロフェッショナルな活動と結びついている。プロとして音楽をやっている時以外、私は普通に沈黙のなかにいる。だから、音楽は私の人生のエッセンスだとか、シャワーの時もベッドでも音楽を聞いている、などとは言えない。音楽は美しいビジネスだ。そして音楽で素晴らしいことができるのは幸運だ。そかし私は本当に沈黙の価値を認める。
●イギリスでピーター・グライムズを!
Q、すでにイタリアオペラのレパートリーの主要なものはほとんどを歌っているが、新しいものは?
それは良い視点だが、新しいレパートリーをするために、オペラハウスを説得するのは非常に難しい。主に劇的な役割に特化され、フリーな期間があると、オペラハウスは、サムソンやオテロをやりたがる。やれる人がとても少ないので、ステージにあげるのが困難な作品だからだ。そのため、「私は1か月、フリーだから、ル・シッドをやれないだろうか?」と言うのは難しい。
しかし、私の夢の一つは、ピーター・グライムズをやること、そして私はここ、ロンドンでそれをやってみたい。ここロンドンよりも、それを学び、演じるのに良い場所があるだろうか。一方で、それは非常に危険なことだ。もしあなたがイギリス人やドイツ人でなくて、英語やドイツ語のオペラをやるとき、正確なアクセントを身につけていないと、死ぬほど批判される。しかしあなたがイギリス人で、イタリアオペラを完璧なアクセントでなく歌っても、誰も何も言わない。なぜそうなるのか、私にはわからない。私は、イタリア的なアプローチが最も健康的だと思う。なぜなら、外国語で完璧なアクセントを持つのは不可能だから。重要なことは、キャラクターをつくるために最適なアプローチをすることだ。私はピーターグライムズをやれると思う。しかし私がイギリスでそれを提案するたびに、彼らは「イエス、でも他のどこかで最初にやって、それからここに持ってきて」という。なぜだろうか。私は最初からそれをよく学びたい。再びやるときに、ゼロからスタートしなければならないよりも。誰かがこれを読んで、私がそれを行うことができるようになることを願う。
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●若い人たちはオペラの将来、子どもたちは人類の未来
Q、イギリスでは若い歌手を助けるために忙しい時間を過ごしているが?
私にとっては、これが最も重要なものの一つ。それは私が子どもの頃、持っていなかったもの。年上の人々から、彼らが経験したすべての事を聞くことと同様に、若い人たちと、学んだすべてのものを共有することが不可欠だ。それは一緒に育つこと。素晴らしいことだ。2時間のマスタークラスに出席し、彼らと一緒に10時間を過ごしたら、何が起こるかわからない。よく準備され、互いに尊敬があるならば、素晴らしいことだ。私はいつも言うのだが、私は、そこで、どう歌うかを教えるつもりはない。私は、誰かに歌い方を教える技術的な権限を持っていない。しかし、私自身の経験から知ったいくつかのことを彼らに伝えたいと思う。
彼らのような若い人たちは、オペラの将来のすべてだ。私は44歳(当時・1962年生まれ)で、まだ過去の人間ではない。しかし、もし私に今後20年間の将来があるとしたら、彼らは次の40年間の未来だ。そして、あなたの後の人たちは、次の60年間の未来になるだろう。もし世界にすべてにおいて希望があるならば、それは過去にはない。未来に希望はある。
かつて読んだ言葉はこう言っていた。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――それは絶対的な真実、それは人類の未来だ。
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<2006年チューリッヒの舞台の動画>
クーラのスティッフェリオは、残念なことに正規の録音もDVDもないのですが、2006年のチューリッヒ歌劇場での舞台のいくつかの場面がアップされています。人間関係も入り組んだ物語なのに、字幕がなく、わかりにくいかもしれませんが、クーラと他の出演者の重唱の魅力を味わえるのではないでしょうか。
2006年チューリッヒ、第1幕第1場 重唱~スティッフェリオとリーナの二重唱
Jose Cura Stiffelio "Di qua varcando sul primo albore"
2006年チューリッヒ、第1幕第2場、みんなが集まった場で、リーナが不倫相手との通信道具としてきた本が差し出され、大混乱の場。
Jose Cura 2006 Stiffelio "Cugino, pensate al sermone?.."
2006年チューリッヒ、第3幕第1場、妻の不倫相手のラッファエーレに、離婚したら結婚の意思があるかと問うスティッフェリオ。その後、現れたリーナに、静かに離婚を切り出す。リーナは騙されて関係ができたと許しを請う。リーナの父スタンカー伯爵が現れ、娘の不倫相手ラッファエーレを殺したことを告げる。
Jose Cura Stiffelio Act3 : Stiffelio, Lina duo
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出演者が互いに涙を流しあうほど、心理的に深く入り込んで、リハーサルに打ち込んだという、ロンドンのスティッフェリオの舞台。断片的な録音では、その魅力が十分味わえないのがなんとも残念です。
このインタビューによると、かなり前から、ブリテンのオペラ、ピーター・グライムズをやりたい、それもブリテンの母国イギリスで、と願ってきたようですね。残念ながらその願いは長くかなえられませんでしたが、ついに来年2017年7月、ドイツのボン劇場で実現することになりました。しかも主演に加えて、舞台デザイン、演出もクーラが担当します。これをもって、イギリスに行けるかどうかは、まだまだ先の話ですね(笑)
またインタビューの最後は、クーラからの、若い人たち、子どもたちへの熱いメッセージ。機会あるごとに熱心にマスタークラスにとりくんでいます。また子ども好きで、オペラの演出のなかでも、子どもたちに希望を託すメッセージを発信しています。「子どもたちは、あなたが見ることのできない、将来からの生きたメッセージ」――これは、音楽分野にかかわらず、自らの経験を過信しがちな大人の1人として、印象に残る言葉となりました。
写真=2010年、メト
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2013年、モンテカルロ
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