プッチーニのオペラ、マノン・レスコーは、ホセ・クーラの出演するDVDが発売されている貴重な演目のひとつです。
1998年にリッカルド・ムーティが指揮、ミラノスカラ座でのマリア・グレギーナのマノン、クーラがデ・グリューの舞台は、本当に美しく、ドラマティックで、DVDの音質、画質で観賞できるのがとてもうれしいです。
その後、クーラは、この役柄では2010年のウィーンで、ロバート・カーセン演出の現代的な舞台にも出演しています。
しかしクーラは、もうこのデ・グリューの役は、卒業してしまったようです。
最近のインタビューで次のように語っていました。
「私は、ロドルフォ(ラ・ボエームの主人公)やデ・グリュー(マノン・レスコー)を愛している。本当に非常に美しい役柄であり、挑戦的であるが、テノールのためにとても良いものだ。私はこれらを歌うことに大きな喜びを感じるが、しかし、53歳の私は、ロドルフォに、皮膚感覚での信憑性を見いだすことができなくなった。時代は変わり、パヴァロッティが60歳や70歳でやったようには、我々はロドルフォを歌うことはできない」
残念ですが、ドラマのリアリズムを大切にするクーラにとっては、当然のことなのかもしれません。
ということで、今回は、クーラのデ・グリューを、写真や動画、インタビューなどから振り返ってみたいと思います。
DVDはおすすめです。プッチーニの美しく、情感あふれる音楽、若々しいクーラとグレギーナの迫力ある歌声、そして魅力的な舞台姿。マノンとデ・グリューの、若く、愚かで、情熱的な愛が切ない、感動的な舞台です。
アマゾンでも入手できるようです。まだご覧になっていない方は、以下の紹介ビデオを、ぜひ、ご覧になってください。
DVDの紹介ビデオ。1998年スカラ座でのムーティ指揮、グレギーナとクーラのマノン・レスコーより。第4幕、追放されアメリカの大平原に流刑となった2人、渇きと飢えを訴えるマノン、助けたいが何もない荒れ地で絶望するデ・グリューの慟哭。
*残念ながらレーベルの公式の紹介動画が削除されてしまいました。とりあえず音声だけですが、第4幕の2人の場面を。
Puccini: Manon Lescaut / Act 4 - "Sei tu che piangi?" (Teatro alla Scala, Milan 1998)
Puccini: Manon Lescaut (Teatro alla Scala, Milan 1998)
Maria Guleghina, José Cura, Lucio Gallo
Corpo di Ballo ed Orchestra del Teatro alla Scala
Conductor: Riccardo Muti
Director: Liliana Cavani
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――スカラ座でのマノン・レスコーのデ・グリューのロールデビューを前に 1998年のインタビューより
●デ・グリューは、これまでで最も危険な役柄
これは、私のキャリアのなかで、最も危険な指名だ。
デ・グリューの役柄は、プッチーニのリリックテノールの役柄のなかで、最も長く、おそらく最も要求がきびしい――5つの曲と大きいデュエットがある。
マノン・レスコーの後、あらゆるオペラは、テノールのための子守り歌になる。それほどタフだ。
――1998年のインタビューより
●マノン・レスコーはテノールにとって、ワルキューレのオーケストレーションを伴ったラ・ボエーム
マノン・レスコーのデ・グリューの音楽の声域は、リリック・テノールのもので、例えばリゴレットのマントヴァ公爵のテノールのようなもの。しかし、特に現在のオーケストラでは、オーケストレーションは非常に重く、音域が444Hzかそのあたりの場合、音は非常に明るく、力強い。だからそれは、ラ・ボエームのテノールのために書かれた、ワルキューレのオーケストレーションをもったオペラ。マノン・レスコーは、プッチーニの「ワグネリアン」の時期に書かれたものだ。
これはテノールが1時間かそれ以上歌う、プッチーニのただひとつのオペラだ。
だからマノン・レスコーのためには、声と技術が必要だが、度胸も必要となる。
――1998年のインタビューより
●芸術は喜びと愛と苦痛の入り混じったもの
もし人々が、「クーラはコレッリほど良くない」と言うのなら、それで良い。それは真実だ。しかし、彼らが、「ステージの上のクーラは、CDのクーラほど良くない」という時、私は重大な危機にさらされている。最近、私が受けた最高の賛辞の1つは、次のようなものだった――「CDは、あなたの声の素晴らしさを50%しか反映していない」。
一部の批評家は言った。舞台上で、すすり泣くべきではない、ステージ上でこれらの役柄をやっているのであって、キャラクターが感じている痛みなのだから、と。
マノン・レスコーでは、あなたの腕の中で彼女が死んでいく。その時、涙にむせぶことなく、一体、あなたは何をしようというのか。
ある人々が、感情、情熱なしに音楽を録音しようとする方法は、私には理解できない。
たぶん私は、彼らの前では、キャリアが終わり、「古い」ものになるかもしれない。しかし、私は、私の芸術は、喜びと愛と苦しみが入り混じったものであると考えている。
それが人生だ。
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スカラ座でのクーラは、まったく易々とデ・グリューを歌っているように思っていましたが、プッチーニのスコアの詳しい分析をふまえて、相当な覚悟と構えで、この役にのぞんでいたのですね。
2010年、クーラは48歳になる年に、再度、このタフな役柄、デ・グリューに挑戦しました。
このウィーンでの舞台は、残念ながら正規の録音や動画はありませんが、幸い、Youtubeに、いくつかの場面がアップされてます。音も画像もあまり良いとはいえませんが、クーラの声の響きが聞き取れるのがうれしいです。批評も好評だったようです。
2010年、ウィーン国立歌劇場でのマノン・レスコーより、第1幕、デ・グリューが歌う「栗色、金髪の美人たちの中で」
José Cura - Manon Lescaut - Tra voi, belle
2010年、第1幕、マノンの美しさに心を奪われたデ・グリューの「見たこともない美人」
José Cura - Manon Lescaut - Donna non vidi mai
2010年、第2幕、デ・グリューと引き離され、金持ちの愛人として贅沢な生活をしているマノンのところに、突然あらわれたデグリュー。責めるデ・グリューにマノンは許しを請い、すがりつく。デ・グリューはマノンの魅力に負け、許し、抱き合う。「ああ、私が一番きれいなのね~あなたなの、あなたなの、愛する人」~
Olga Guryakova、José Cura - Manon Lescaut - Tu, tu, amore, tu
2010年、第3幕、パトロンのもとを逃げ出したことで逮捕され、アメリカに囚人として送られるマノン。港で助けようとしたが、できず、涙ながらに「自分も連れて行ってほしい」と訴える、デ・グリューの「狂気の私を見てください」
José Cura - Manon Lescaut - No, no, pazzo son
(おまけ)
2000年ブダペストのコンサートより、クーラが指揮する、マノン・レスコーの間奏曲。
クーラはもともと指揮者、作曲家志望で、15歳で合唱指揮者としてデビュー、大学でも指揮、作曲を専攻している。
José Cura (conductor) Intermezzo from Manon Lescaut Budapest
こちらは音声だけですが、1999年のコンサートから、「栗色、金髪の美人たちの中で」。若々しく軽やかな歌声です。
Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut
同じく、1999年のコンサートから、「見たこともない美人」
Jose Cura "Donna non vidi mai " Manon Lescaut
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アーティストとしての芸術的、知的誠実さ、自己検討を大切にしていると語っているクーラ。そういう立場から、ワーグナーやピーター・グライムズへの挑戦で新境地を開く一方、これまで大切に歌ってきたなかでも、大胆に撤退する役柄もある。50代半ばにさしかかるテノールとして、ひとつの節目の時期にあるのかもしれません。
近年は、演目の変化だけでなく、歌中心から、本来の志望であった指揮、そして演出の活動へも、軸足を少しずつ移しつつあります。しばらく中断していた作曲の仕事も、再開、オペラの作曲も手掛け始めていると、フェイスブックでコメントしていました。
美しく魅力的なテノールの役柄でクーラの歌と演技が見られなくなるのは、正直、残念ではありますが、今後の挑戦とあらたな活動を、心から応援していきたいと思います。