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テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2008年 ホセ・クーラ、生誕150年のプッチーニの生家を訪ねる

2018-11-18 | オペラ・音楽の解釈




ホセ・クーラにとって、プッチーニは、ヴェルディなどとともに最も深いつながりのある作曲家です。

トスカのカヴァラドッシ、西部の娘のディック・ジョンソン、トゥーランドットのカラフ、妖精ヴィッリのロベルトなど、繰り返し出演し、クーラの代表的な役柄が登場するオペラの多くが、プッチーニの作曲です。トゥーランドット、西部の娘は演出・舞台デザインも、西部の娘と蝶々夫人では指揮も行っています。

またエドガールのタイトルロール、マノン・レスコーのデ・グリュー、ラ・ボエームのロドルフォ、つばめのルッジューロ、蝶々夫人のピンカートン、外套のルイージなど、回数は少なく、現在は歌わなくなった演目も含めると、クーラは、ほとんどのプッチーニ作品に出演してきました。

今回は、このクーラが敬愛するプッチーニ、その生誕150年にあたる2008年に、クーラが彼の故郷イタリアのルッカにある生家を訪問した際の関連記事とインタビューなどを紹介したいと思います。



≪ルッカにあるプッチーニの生家とプッチーニ像≫







1858年12月22日生まれのプッチーニ、まもなく生誕160年を迎えます。
プッチーニが生れたのは、イタリア中部、州都フィレンツェの西側にあるルッカという町です。生家は保存され、プッチーニ博物館として公開されているようです。
クーラが訪問したのは今からちょうど10年前、プッチーニ生誕150年の年でした。



≪クーラのルッカ訪問――本の出版会見も≫

2008年10月6日、クーラはルッカを訪問。
一番の目的は、クーラの本がルッカの出版社から発刊され、その会見を、ルッカの市庁舎があるドゥカーレ宮殿で行うためでした。
そしてクーラの希望で、その会見終了後に、プッチーニの生家・博物館の訪問が企画されたようです。

クーラの本とは、「GIÙ LA MASCHERA!―Personaggi a nudo」(『仮面を外せ!―裸のキャラクター』というような意味か)という表題のものです。
内容は、プッチーニのカヴァラドッシやカラフ、デ・グリュー、ディック・ジョンソンをはじめ、ヴェルディのオテロやドン・カルロなど、オペラの有名な男性キャラクターに対して、クーラによる心理的な分析とその本質、生き生きとしたドラマと必然性など、解釈をまとめたもので、心理学者のセレネッラ・グラニャーニさんとの共著となっています。


ドゥカーレ宮殿での会見の様子。クーラと共著者のグラニャーニさん、ルッカの副市長、テアトロ・ゴルドーニの芸術監督、出版社関係者らが出席したようです。



クーラの本の紹介(HPより)



ルッカのナポレオーネ広場の向かいにあるドゥカーレ宮殿


会見場となった美しいホール




≪クーラのインタビューより≫

ホセ・クーラとの午後」と題されたクーラの会見を報道した記事より、主にオペラのキャラクター解釈などについての部分を抜粋して紹介します。


Q、しばしば、キャラクターの解釈を犠牲にしても、歌のパフォーマンスの方が好まれる傾向があるが・・?

A(クーラ)、確かに、オペラの世界では、(演劇の世界で行われたような)必要な革命がまだ到来していない。その中でも、何らかの形で私は改革をすすめようとしている。しかし、今日の歌手は、20、30年前と比べてはるかに優れている。
もし、かつて曲がただひとつの出口だったとしたら、今、われわれは、再解釈を目の当たりにしている。
ニュースをつくるためのスキャンダルは必要ない。注目を集めるためには、現在の社会に照らして作品を読むだけで十分だ。


Q、オペラを観た後に、キャラクターがあまりに不自然で、リアリティーがないと言われることがよくあるが、あなたのパフォーマンスでは、曲と身体の動きが矛盾していない。あなたは幸せな例外か、それともそれは常に実現可能?

A、それは可能であり、非常に自然なものだ。そして可能であるだけでなく、もし私たちが、表面上だけでなく、書かれていることの実体を完全に表現しようとするのならば、それは当然のことだ。
しかし、数年前と比較して状況が大幅に改善されてきている。そしてそれを繰り返していきたい。


プッチーニの生家・博物館で展示に見入るクーラ





Q、キャラクターの分析では、あなたは、誰もが完全に「良い」または「悪い」とはいえないことを理解する必要があると述べているが?

A、成熟した人間は、人がキアロスクロ(濃淡で表現する画法)でつくられていることを知っている。それを否定することはとても愚かだ。
キャラクターの複雑さはここから来ているので、これらの側面を研究することは常に面白い。完全に良いだけの、または悪いだけの人物は退屈だ。


Q、プッチーニのキャラクターについて。プッチーニのキャラクターの現代性は?

A、プッチーニの解釈の最も複雑な要素の1つは、彼の非常に強いエロティシズムだ。セクシュアリティを心地よく受け取れない人、匂い、味、触れ合いを認識できない人――そういう人は多くの困難に遭遇する。

それはフロイトの決まり文句のように聞こえるが、そうではない。私はこれまで性的に抑圧された人にプッチーニを紹介するたび、その結​​果は耐え難いものだった。ここから、この作曲家を表面的に非難する原因となる問題点がつくられる。したがって、障害はプッチーニ彼自身ではなく、解釈する者にある。

また私たちの時代だけが責任を負う別の問題がある。
プッチーニの後のすべてのミュージシャンは、プッチーニのハーモニーとメロディーを発見し、そこから引き出しているが、しかし大衆の大部分はこのことを知らないままに、プッチーニの作品の1つを聞いて、バーンスタイン(Bernstein)またはロイド・ウェバー(Lloyd Webber)、美女と野獣、ライオンキングのような、すでに知られている何かを聞く。

これは、真の情報源を知らないために起こっている。真実を理解するためには時間を遡る必要がある。散漫な者だけが、プッチーニの凡庸を推論している。


Q、その意味で、我々は、プッチーニの作品の文脈から切り離して、同じアリアだけを覚えて、いつも使う。これについては?

A、良い解釈者は、私たちに作曲の偉大さを理解させ、「誰も寝てはならぬ」(トゥーランドットの中でのカラフのアリア)の背後にあるものを少しでも見せることができる人だ。





プッチーニの家のピアノの横で。








≪クーラの共著者グラニャーニさんのインタビュー≫



この上の画像は、クーラの本の共著者で心理学者のセレネッラ・グラニャーニさんのインタビューです。画像に元ページへのリンクが張ってあります。

クーラとの検討、意見交換の経過や、オペラにおける表現の2つの違うアプローチ――キャラクターの深い分析にもとづくパフォーマーと、歌唱や音楽の表現力に頼るスタイル、これらについてのやり取りは、クーラのスタイルとの関係でも、また現在のオペラの在り方をめぐる様々な議論に関連して、なかなか興味深く読みました。
イタリア語で、私にはなかなか意味が十分くみ取れないため、くわしく紹介することができません・・。

このインタビュアーが、本を読んで、クーラの思考の深さ、分析力に驚き、圧倒されて、また深く共感しているようなのが印象的です。
クーラの本は、イタリアのアマゾンなどでは入手可能なようですが、イタリア語で書かれていて、読むのは簡単ではありません。
もしイタリア語を勉強するゆとりができたら、読み込んでみたいものです。



グラニャーニさんとクーラ




*画像は紹介した記事などからお借りしました。
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