今回は、コロナパンデミックと芸術に関する、ホセ・クーラのインタビューを紹介します。
インタビューは2020年11月のものです。11月15日に、クーラが2017年に主演したテアトロコロンのオペラ、アンドレアシェニエの録画がコロンのサイトで放送されました。その放送にあたって、クーラの母国アルゼンチンでいくつか新しいインタビューが掲載されたのです。コロナ禍で渡航できないため、クーラは電話やメールなどでインタビューに答えたようです。
(その時放映された録画は現在でも視聴できます。録画のリンクや詳細は、以前の記事をご覧ください)
クーラ自身のコロナ禍での状況と活動についてとともに、コロナによるパンデミックが音楽に与えた影響と今後についてなど、興味深い内容となっています。
複数のメディアから、抜粋して紹介します。元がスペイン語なため、いつものように誤訳等、お許しください。
≪ ”監禁生活”は不幸なことだったが、幸いにも3作品を完成することができた ≫
Q、パンデミックの年をどのように経験した? 何をするつもりで、そして何を変えなければならなかった? それらの変更はどのような影響を与えた?
A(クーラ)、私は(2020年)3月13日から家にいる。2020年の公演は、1つずつすべてキャンセルされた。
しかし私が最も心配しているのは、現在ではなく未来だ。私は幸運なことに、文字通り、別の世界で育ち、能力を開発していった世代のアーティストに属している。私の弓にはまだ数え切れないほどの矢があるが、この30年間で達成したことについて文句を言うことはできない。それゆえ、私が未来について話すとき、私のことだけでなく、社会全体の未来、そして特にアーティストの未来についてを指す。
COVID-19は、クラシック音楽のショービジネスの世界で起きていることの「原因」ではなく、予告された死の長い苦痛を終わらせることができる「止めの一撃」だ。「レクリエーション活動」として行われるスポーツと「スポーツ産業」を区別する必要があるのと同様に、「音楽制作」とショービジネスである「エンターメント産業」を区別する必要もある。スポーツ産業が死んでも、スポーツそのものは死なない。音楽も同じだ。
この真実、ほとんど自明の理は、いまいましいウイルスが私たちを攻撃するまで、それほど明白には見えなかった。そのため私たちは、実際のシナリオ、「予定表」、および仮想シナリオの影響の増大を共存させる方法を心配することなく、何十年もの間、続けてきた。その結果 ―― すでにわかっていたように、私たちはゆっくりと、しかし容赦なくエンターテインメント業界を終わらせつつある。劇場に来たいという人は必ずいるだろうが、注意しなければならない。テクノロジーの利便性はすでにレコード業界を殺しており、観客の割合が構造を正当化できないほど低くなれば、ステージを殺してしまうだろう。そこに問題があり、Covidにあるのではない。最終的には、私たちを気絶させる必要のある者にとっての最高のアリバイになるだろうーー「それは私たちではなく、ウイルスだった!」と。
船を再浮上させなければならず、そのためには最高の乗組員を選ばなければならない。それはできるだろうか?
Q、何かクリエイティブなことをする機会は? 新しい何か?
A、私のような訓練を受けた作曲家にとって、監禁は、「幸運な不幸」だった...。
私は、ずっとやりたくても手が出せなかったギターとオーケストラのための協奏曲を書いた。明らかな理由から、私はそれを「復活のための協奏曲」と名付けた。また「テ・デウム」("Te Deum")を完成させ、今は、南大西洋での戦争(マルビナス戦争、フォークランド紛争とも)の犠牲者に捧げた1985年に書いた「レクイエム」を手直しするところだ。この間、私はオーストリアの音楽出版社・ドブリンガー社(Doblinger Publishing House)と契約したので、私の音楽はまもなく利用可能になる。
Q、2021年の計画は?
A、2021年のスケジュールが予定されているが、日付が近づくにつれて何が残るかを確認する必要がある。
そのなかでとりわけ、1月にハンガリーで「テ・デウム」を(公演はコロナ禍のためキャンセル)、3月にフランスで「復活のための協奏曲」を初公開する。
「レクイエム」は、戦争の40周年にあたる2022年にハンガリーのブダペストでリリースされる。いつかアルゼンチンで公開できることを夢見て、これまで数年間、努力してきた。実現するまであきらめない。
Q、いつアルゼンチンに戻る?
A、母がまだ生きていた2018年まで、毎年必ず帰国していて、その時は何度もテアトロコロンへの出演とも一致していた。残念ながら、今は帰国日を決めることができない。そのことは私を少なからず悲しませる。
Q、2017年のアンドレア・シェニエについて何を覚えている?何が特別だった?
A、非常に印象的だった。
土壇場で劇場から電話があった(注・主演のシェニエを予定していたテノールがキャンセルしたため)。ちょうど私の誕生日と重なっていて、いつも私はその時期を空けておくので、フリーだった。
到着して演出のマティアス・カンビアッソに、私に何を求めているのか尋ねたのを覚えている。彼は「あなたの手に私自身を委ねる」という意味のことを言った。そして事実は、予期せずに責任がその気の毒な人の肩に降りかかってきたいうことであり(注・当初予定されていた演出家が急に降板)、そしてそこで彼は剣を手にそれと戦っていた。一緒に公演をすすめたが、緊急事態による長所と短所があったにもかかわらず、私が覚えている最強の感情的な盛りあがりで成功した。めったに経験できないほどの...。加えて、劇場中が立ち上がって私に “Happy Birthday”を歌ってくれた。これ以上、何を求める?
Q、将来を想像するとき、プロフェッショナルとしての夢は?
私の夢は、いつの日か、歌手、指揮者、演出・舞台監督、舞台美術家、作曲家としての長年の経験を、素晴らしい劇場に対して提供できるようになることだ。
これまで言ってきたように、エンターテインメントの世界では革命がなされるべきであり、そのためには経験豊富な人材が必要だと思う。私はこれまでにたくさんのことを学び、さらにたくさん学び続ける。私の仕事を複数の目的に奉仕する時が来たと思う。3つの異なる運営者と話し合い中だ。それらがどう進展するか見ていく。
(「perfil.com」)
≪ パンデミックが音楽に及ぼす望ましくない影響とストリーミングの危険性 ≫
「生粋のパフォーマーにとってステージの欠如は、サラブレッド種の馬がピットに閉じ込められるのと同じくらい耐え難い。楽観的な見方を保つために自分自身を組織しなければ、隔離によって衰弱させられる可能性がある」
世界で最も有名なテノールのひとりであり、ヴェリズモのレパートリーとの親和性が高いホセ・クーラは、マドリードから語る。
「家族や信頼する友人と多くのことを話した。人々はこのパンデミックによって感情的に不意を突かれた。その結果は甚大であり、強制的な同居による家庭内暴力の増加、考えることを避けるために必要なアルコール消費量の増加など。幸い健康を維持できた私たちは、飛行機に乗るために急ぐ必要がなく、急いですべてを一緒に言う理由がなかったので、愛情をリセットし、関係を再確認し、静かにつきあいを楽しむ時間があったのは素晴らしいことだった。」
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ホセ・クーラは、ボディービルダー、電気技師、大工の経験があるだけでなく、ルネサンスの芸術家のように、芸術活動のすべての分野に関与することに興味を持つ、非常に優れたテノールだ。舞台の演出に加えて、彼は指揮と作曲をマスターしている。
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Q、あなたは30年以上音楽に携わっている。現在の状況はバランスを取るのに良い時期のようだが? あなたの大きな成功と悪い決断は何だった?
A(クーラ)、この混乱が始まったとき、私が最初に自分に言い聞かせた。「もう十分やってきた。30年間の国際的なキャリアで約3000のステージを終えたのだから、もし気を楽にして引退を考えたとしても、それは恥ずかしいことではない」と。友人や学生たちにも話したところ、彼らは申し合わせたように私を叱り、誰もが、今、参照すべき存在として私を最も必要としている時だと言った。それで私は剣を研ぎ、防御の態勢に立った。
Q、ライブ、レコーディング、ストリーミングのダイナミクスについて、パフォーマーとして、そして観客としてのあなたの視点は?
A、作品を公開するこの方法は興味深いように思えるかもしれないが、オーケストラを集団化することまで可能にするこの技術的な緩和措置(それぞれ自宅から演奏し、多かれ少なかれ控えめな結果を伴う)が、無意識のうちにミレニアル世代の終わりに貢献する。レクリエーションや教育の目的で、夢の実現のため社会的な支柱の周りに人々が集まった時代の終わりに。
世代交代で、一般の人々がモバイル画面の外の生活を考えていない世代に取って代わろうとしているため、通常の状況であっても、視聴者はますます少なくなっている。しかもライブコンサートにいる時でさえ、彼らはそれを撮影するために運命的な小さなスクリーンを引き出し、目の前にミュージシャンがいるにもかかわらず、それを携帯電話を通して見ている。もし大多数の人々が、ストリーミングという名の「苦悩するライブ・エンターテインメントの代替品」に慣れてしまうなら、墓碑が刻まれるだろう。
活動を続けたいという理解できる必死さの中で、アーティストたちは間違いを犯している、私はそう思う。どれほどの間違いかは神だけが知る。私たちは時間とともに高額なつけを払わなければならないだろう。彼らは、音楽ストリーミング、または安価のダウンロードのため(無料や海賊版ではない)、レコードの販売を停止し、レコード業界を破壊した。今は、ステージを殺す時が来たのだろうか?
Q、パンデミックからの脱出と舞台への復帰をどうイメージする?
A、非常に感情的だ。再会できることに、そしてそれが持つだろう不確実性のために...。
(「clarin.com」)
パンデミックが始まった当初に、クーラが引退を考えていたとはショックでした。
もちろん、引退とは歌手としてで、作曲や指揮などはその後も継続するつもりだったとは思いますが、それにしても、テノールとして他に類をみない声、深い作品解釈、強烈な存在感と魅力を放つクーラが舞台上で見られなくなるとしたら・・。あれほどエネルギッシュで情熱的なクーラであっても、だからこそかもしれませんが、アーティストにとって生の舞台に出演できないことの辛さ、苦悩がどれほど大きなことなのか、実感させられるエピソードです。周囲の引き留めで思いとどまってくれたことに感謝です。
今回の発言は、ストリーミングや録音配信などについての、クーラの率直な危惧の表明、警鐘でもありました。CD販売が大幅に減少し、アーティストが音楽活動による正当な収益を得られなくなっている問題については、これまでもクーラは指摘し、発言してきました。現在のコロナ禍のもと起きている劇場やアーティストをめぐる困難は、決して今回新たに起きたものだけでなく、長期にわたる流れのなかですすんできたことであり、それがコロナ禍で一気に噴き出したものだという認識です。ここには、以前からクラシック音楽やオペラの現在と将来、とりわけ音楽産業の在り方について危機意識をもってきたクーラの一貫した視点があります。
音楽産業が死んでも、音楽は生き続ける、というクーラの言葉から考えると、行き過ぎた商業主義が構造的危機を迎えつつあるなかで、パンデミックを体験し、あらためて芸術や音楽、劇場やアーティストの社会的な存在意義、生の人間的体験としての芸術の役割が問われている、ということを厳しく指摘しているように思います。
良い劇場で自分自身の体験と蓄積をすべて伝えることが今後の夢だ、と語ったクーラ。パンデミックが終わり、人間にとって不可欠な芸術の再興、豊かな発展の時がくることを、そしてその中でクーラが思う存分、活動できる機会、そういう舞台が提供されることを願います。そしてそれを見届けたいものです。