人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2021年 ホセ・クーラ、自作曲「この人を見よ」がリュブリャナ・フェスティバルで生中継

2021-08-29 | コンサート ②

 

 

ホセ・クーラは、2021年8月25日(現地時間)、スロベニアの首都リュブリャナで開催されているリュブリャナ・フェスティバルに出演しました。幸いにして、ネットで生中継され、8月29日現在、まだフェスティバルのフェイスブックで公開中です。録画リンクなどをご紹介します。

スロベニアは、西がイタリア、北にオーストリアに接し、アドリア海にも面している中央ヨーロッパの国です。リュブリャナ・フェスティバルは、クーラもこれまで何回か出演したことがあり、今年は69回を迎える伝統あるフェスティバルです。

今回のプログラムは、宗教に関する音楽で組まれていて、通常の夏のフェスティバルであるようなオペラアリア・コンサートとはまた違った趣の企画となっていたようです。メインは、クーラ自身が作曲したオラトリオ「この人を見よ」。クーラが歌手として参加しています。リンクを紹介していますので、興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。

 

 

 


 

 

 

Highlights of the 69th Ljubljana Festival

August 25, 2021   20.30   Congress Square

José Cura, tenor and composer
Elisa Balbo, soprano
Nuška Drašček, mezzo-soprano
Pétér Balczó, tenor
Marcell Bakonyi, bass
RTV Slovenia Symphony Orchestra and Youth Choir
Slovenian Philharmonic Choir
Mario De Rose, conductor


Program:
G. Verdi: Overture to the opera La Forza del Destino
G. Verdi: “La Vergine degli angeli” from the opera La Forza del Destino
P. Mascagni: Intermezzo from the opera Cavalleria Rusticana
P. Mascagni: “Inneggiamo Signor” from the opera Cavalleria Rusticana
C. Saint-Saëns: "Vois ma misère, hélas!" Samson's monologue from the opera Samson et Dalila
***
J. Cura: Oratorio Ecce Homo

 

 

≪ プログラム ≫

ヴェルディ「運命の力」序曲
ヴェルディ「運命の力」第2幕 レオノーラ・合唱「天使の聖母様が」
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より、サントゥッツァ・合唱 復活祭の讃美歌「賛美歌を歌おう、主は死なれてはいない」
サン=サーンス「サムソンとデリラ」第3幕、サムソン「ごらん下さい この惨めさ、この苦しさ」

ホセ・クーラ オラトリオ「この人を見よ」

 

 

≪ 動画リンク ≫

フェスティバルのフェイスブックに動画がアップされています。8/29現在、まだ視聴可能ですが、いつまで可能かわかりません。

動画にリンクをはっていますので、以下の画像をクリックしてご覧ください。前後半合わせて約1時間30分です。

 

 

 

 

 

 

≪ プログラムの内容について ≫

 

フェスティバル公式サイトの解説によると、今回のプログラムでは、何らかの形で宗教に関連した音楽で構成したそうです。オペラからの曲は、主人公たちが神に祈りを捧げる瞬間に光を当てたということです。

 

●ヴェルディ「運命の力」より、レオノーラの祈り

ヴェルディのオペラ「運命の力」からは、序曲とともに、主人公のひとりレオノーラの「天使の聖母様が」が歌われます。レオノーラは、結婚を約束した恋人アルヴァーロが不慮の事故で父を殺害してしまい、実の兄が復讐を誓ってアルヴァーロを探す旅に出るという過酷な運命のもと、アルヴァーロに捨てられたと思い込んでしまいます。そして男装して修道院に隠遁生活をさせてほしいと頼み込みます。その場面のレオノーラと修道士たちの歌です。「天使の聖母様、そのマントで私を包み下さい。そしてお護り下さい。神の聖なる天使さま」と歌っています。

 

●マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より、サントゥッツァの祈り

マスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」からは、美しい間奏曲と、サントゥッツァが教会に集まった人々と共に歌う「賛美歌を歌おう、主は死なれてはいない」です。愛するトゥリッドゥが、元恋人で出征中に他の人と結婚してしまったローラを忘れることができず、逢瀬を重ねていることに苦しみ、さらに自分自身も結婚前であるにもかかわらずトゥリッドゥの子どもを妊娠しているという、辛く切ない状況にあります。その結果、復活祭の日に起こる悲劇の前に歌われます。

 

●サン=サーンス「サムソンとデリラ」よりサムソンの悔恨の祈り

サン=サーンスの「サムソムとデリラ」からは、人間離れした力をもつサムソンが他民族に支配された民衆を救うために立ち上がったけれど、敵から派遣されたデリラの誘惑に負け、捕まり、力の源泉であった長い髪を切られてしまい、目を潰され、鎖につながれて石臼を回しながら、自分の行いを悔い、神に慈悲を請うというアリアです。

 

●ホセ・クーラ「この人を見よ」 イエスの最後と母の祈り

そして後半の、クーラ作曲のオラトリオ「この人を見よ」は、イエスキリストの最後の瞬間をめぐる物語にもとづき、嘲笑、裏切り、十字架への道、はりつけの場面などが描かれているようです。

マニフィカト、ゴルゴダ、スターバト・マーテルの3曲から構成されています。マニフィカトは「聖母マリアの祈り」をテキストにしたキリスト教の聖歌で、ゴルゴダは十字架にかけられたゴルゴダの丘のこと、スターバト・マーテルは、磔になる十字架の傍らに立ち悲しみに暮れる母マリアを思う内容とのことです。

 

 

 

 

 

 

≪ なぜ作曲するのか、なぜ「この人を見よ」なのか ≫

 

テノールのホセ・クーラがなぜ作曲するのか、なぜ今キリストをめぐる物語なのか、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。私自身も、なぜ今、夏のフェスティバルで宗教の曲をやるのか、少し不思議な思いがありました。

クーラがなぜ作曲するのかについては、以前の記事で、クーラのインタビューからまとめたことがありました。クーラの発言から、いくつか抜粋してここでも紹介します。

 → 「ホセ・クーラ、作曲は、やむにやまれぬもの」

 

●初めて15歳で指揮者デビューした。もともと作曲と指揮が専門だったが、27歳の時に歌手としてのキャリアを始めた。その時は、1999年まで、指揮台に復帰する計画はなかった。当時のアルゼンチンは、ちょうど軍事独裁政権の恐怖から回復し始めていて、若い民主主義の時代だった。その頃の困難な経済状況では、指揮者や作曲家としての仕事を見つけることはほぼ絶望的だった。作曲と指揮をわきに置いて、私は仕事をしなければならなかった。

●創造的な仕事ほど、人の内面と深く結びついたものはない。絵画、音楽、詩、小説、数学の定理‥どれも比類のない人間の知的成果の典型だ。真のクリエーターは、商業的なものを除いて、常にやむにやまれぬ、強迫的なものとして、それを書く。商業的成功は、また別のステップだ。

●作曲と指揮は私のバックグラウンド。歌のキャリアはそれへのアプローチを豊かにした。数十年前夢見たフルタイムの指揮者としてキャリアを終わること以上に私にとって自然な事はない。

 

また「この人を見よ」についても、以前、プラハで初演の祭のインタビューで、作曲者としてのクーラの発言をまとめています。作品解釈のひとつの参考になればと思い紹介します。

 → 「(インタビューとレビュー編) ホセ・クーラ 自作オラトリオ『この人を見よ』を世界初演」

 

この中でクーラは、「この人を見よ」は、「子どもの痛み、母の痛みを描いた」と述べていて、題材を聖書にとっているが、現代に生きる自分たちに惹きつけて解釈し、人間の普遍的で変わらぬ痛みと苦しみ、願いと祈りを描いているようです。

またマニフィカトについて、2014年のインタビューで、「テキストは、十字架の下、愛する息子が死んだ母親についての物語。今でも、世界中で、紛争や、エボラ等の感染症、犯罪など、死んでしまった我が子を胸に抱く多くの母親たちがいる。私たちは、そういうすべての人々のために、この歌を歌う。」と語っていました。

クーラの思いは、聖書の世界を描くということではなく、現代の世界の人々の苦しみや苦難に思いをはせ、それを克服するために立ちあがる人、その人の受ける困難とそれを乗り越えようとする人間の姿への共感が込められているように思います。

人種差別、ジェンダーにもとづく差別や性暴力、各地の紛争や戦争、難民、格差と貧困の拡大、地球温暖化と気候変動、そして新しい感染症の発生とパンデミック……。現代の私たちが著面する様々な課題、困難、理不尽、不合理なことへ抵抗と抗議の行動、改革を求める人々の声がうねりとなっている今、それらに思いをはせ、連帯し、祈りを捧げる――夏のフェスティバルでの宗教曲という意表を突くプログラムには、深い意図があったのだと気づかされました。

 

 

 

 

 

 

≪ 終演後、クーラのFBより ≫ 

 

 

クーラ自身、コンサートが成功し、とりわけ作曲家として喝采を浴びたことがとても嬉しかったようです。オーケストラ、合唱団、共演者への感謝を述べています。

 

 

 

 

*画像は、フェスティバルのFBや動画などから利用させていただきました。

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